第7話「夜のお客様は、世界を一つお持ちください」
最初の客は、月だった。
七つあるうちの、一番小さいやつ。
夜空から落ちてきたわけではない。
自動ドアの前まで降りると、直径二メートルほどに畳まれ、そのまま店内へ転がっていった。
『いらっしゃいませ』
「…………」
「普通に入ったね」
「普通ではありません」
秩序ちゃんと渾沌ちゃんは、開いたままのシャッター脇から店内を覗いた。
昼間と同じ客席。
同じテーブル。
同じレジ。
ただ。
店員が違った。
昼間の制服姿ではない。
カウンターには、顔のない白い影が三人立っていた。
胸元の名札だけが浮いている。
『CREW』
それだけ。
月がレジ前で止まる。
「いつもの」
声は幼い。
白いクルーが端末を操作した。
「月齢は?」
「十三」
「欠け方は?」
「右から」
「中身は?」
「海、まだある」
「では、海抜きで」
「うん」
注文が通る。
「何頼んだの?」
「聞かないでください」
厨房。
鉄板に置かれたのは。
夜だった。
黒い。
ただ黒いのではない。
星が浮いている。
クルーがヘラで押すたび、遠くで雷が鳴った。
「……焼いてるね」
「夜を?」
「多分」
「多分で済ませないでください」
数分。
完成。
黒いバンズ。
中には薄く光る輪。
包み紙には、
《月欠けバーガー 海抜き》
月は一口で食べた。
空。
七つあった月が。
六つになった。
「…………」
「減った」
「見ればわかります」
◇
次の客。
三人の王冠を被った老人。
三人で一つの椅子に座る。
「王国を分けたい」
白いクルー。
「何分割ですか」
「三つ」
「均等?」
三人。
互いを見る。
「いや」
「では追加料金です」
「払う」
一人目が金貨。
二人目が指輪。
三人目が。
小さな国を。
カウンターへ置いた。
地図ではない。
本物だった。
指先ほどの大地。
山。
川。
城。
人々が動いている。
「…………」
秩序ちゃん。
一歩前へ。
「近づかないで」
渾沌ちゃんに袖を掴まれる。
「あなたが止める側なんですね」
「珍しいでしょ」
「非常に」
厨房で。
国が三枚に切られた。
悲鳴は。
聞こえなかった。
代わりに。
三つのバーガーができた。
一人ずつ受け取る。
店を出る。
道路の向こうで。
三人が別々の方向へ歩き始めた。
その瞬間。
街の遠景に。
三つの城が生えた。
「……この世界まで変わっています」
「出張店みたい」
「軽く言わないでください」
◇
三人目。
影。
人間本体はいない。
影だけが来た。
「本体を返して」
クルーが答える。
「注文番号は?」
「忘れた」
「購入日は?」
「生まれる前」
「本人確認できますか」
影。
黙る。
「できない」
「では再発行できません」
「そこをなんとか」
「規則ですので」
影は。
ひどく落ち込んだ形になった。
「……厳しい」
「秩序ちゃんみたい」
「違います」
「かなり似てる」
「違います」
影は結局。
ポテトだけ買って帰った。
袋だけが。
暗闇の中を浮いていった。
◇
そして。
午前零時十三分。
街が来た。
客として。
道路の先。
建物が一斉に歩き始めた。
住宅。
病院。
学校。
墓地。
高層ビル。
全部。
基礎を引きずりながら。
ぱんでむへ向かってくる。
「……逃げます?」
渾沌ちゃん。
「待ってください」
「でも街が並んでる」
「見えています」
店前。
行列。
先頭は小さな一軒家。
玄関から声。
「テイクアウトで」
白いクルー。
「何名様分ですか」
「八万四千二百六十一」
「少々お時間いただきます」
「大丈夫です」
厨房の奥。
扉が開いた。
昼間には存在しなかった。
その向こう。
秩序ちゃんは。
呼吸を忘れた。
厨房が。
地平線まで続いている。
鉄板。
フライヤー。
作業台。
無数。
白いクルー。
無数。
さらに奥。
空。
星。
その星々にも。
ぱんでむの看板が灯っている。
「……これ」
渾沌ちゃん。
初めて。
声が小さい。
「店の裏?」
「わかりません」
「広すぎない?」
「わかりません」
巨大な厨房。
ベルトコンベア。
バーガーが流れてくる。
一個。
二個。
百。
千。
万。
それを。
一軒家が。
玄関から受け取っていく。
内部へ。
消える。
窓の明かりが。
一つずつ灯る。
子供部屋。
台所。
寝室。
最後。
屋根裏。
「ありがとうございました」
一軒家が帰る。
次は病院。
「患者食、三千二百」
「禁忌ありますか」
「死だけ」
「承知しました」
次。
墓地。
「生者用を」
「何名様?」
「今日は十二」
「少ないですね」
「雨なので」
秩序ちゃんは。
もう記録を取っていなかった。
追いつかない。
それより。
見ていたかった。
どれも狂っている。
なのに。
どれも。
営業として成立している。
注文。
調理。
提供。
会計。
客は帰る。
それだけ。
それだけなのに。
世界が。
その形に合わせて。
ぐにゃりと変わっていく。
◇
「ねえ」
渾沌ちゃん。
「何ですか」
「昼と夜、どっちが本物なのかな」
秩序ちゃんは答えなかった。
その問いを。
もう。
口にしたくなかった。
店内。
白いクルーの一人が。
こちらを見た。
顔はない。
だが。
確かに。
見られた。
手招き。
「…………」
「呼んでる」
「見えています」
二人。
入る。
カウンター。
白いクルー。
「ご注文は?」
「注文ではありません」
「では?」
「質問があります」
「夜間は質問も商品です」
「…………」
「一件につき、世界一つ」
渾沌ちゃん。
秩序ちゃんを見る。
「高い」
「払えません」
「では注文できません」
「現金は?」
「世界のみです」
「カード」
「世界のみです」
「ポイント」
「世界のみです」
「厳しい」
「規則ですので」
秩序ちゃんは。
白い顔のないクルーを見る。
「では」
一つだけ。
「この店は、何ですか」
クルー。
沈黙。
「それは」
少し。
間。
「世界一つでは足りません」
秩序ちゃんは何も言わなかった。
白いクルーは。
レジ下から。
一枚のメニューを出した。
裏面。
小さな文字。
『質問価格表』
『この店はどこにある? 世界×1』
『なぜ姿が違う? 世界×7』
『誰が作った? 世界×31』
『最初の店舗は? 受付停止』
そして。
一番下。
『ぱんでむとは何か?』
価格欄。
空白。
その横に。
手書きで。
《まだ足りない》
秩序ちゃんが顔を上げた時。
白いクルーは。
もう。
次の客を呼んでいた。
「お次のお客様どうぞ」
店の外。
列の最後尾。
地平線の向こうから。
世界が一つ。
歩いてきていた。




