第79話「分からないまま決める人に、分かる人の分まで背負わせないでください」
日曜日。
午後四時二十三分。
PANDEMONIUMの厨房で。
冷蔵庫が鳴いた。
「今の何?」
渾沌ちゃん。
「警告音です」
秩序ちゃん。
「何の?」
「それを確認します」
◇
表示。
《TEMP 8.1》
「八度?」
「上がっています」
「バーガー逃がす?」
「食材です」
「どこへ?」
「それを確認します」
◇
扉を開ける。
冷気。
肉。
チーズ。
ソース。
野菜。
「閉めて!」
奥から声。
白い前掛けの女。
近所の惣菜屋だった。
「温度上がってる時に開けっぱなしにしない!」
「すみません」
秩序ちゃんが閉める。
◇
「これ、壊れてる?」
渾沌ちゃん。
「音だけじゃ分からない」
惣菜屋の女が。
表示を見る。
「コンプレッサーか、霜か、扉か」
「どれ?」
「今は分からない」
「じゃどうする?」
「中身を移す」
◇
「どこへ」
「うちの冷蔵庫。空きある」
「全部?」
「生ものから」
秩序ちゃんが聞く。
「何分以内ですか」
「早い方がいい」
「具体的には」
「知らないよ」
「え」
「機械屋じゃないから」
◇
警告音。
ぴ。
「でも食品は扱ってる」
女。
「八度なら、上がり続ける前に動かす」
「直るかもしれません」
「直るかもね」
「移動中に温度が上がる可能性も」
「ある」
「では」
「秩序ちゃん」
渾沌ちゃんが言う。
「全部分かってからだと、もっと上がるよ」
◇
午後四時二十六分。
秩序ちゃんは。
肉の容器を持った。
「移します」
「決めた?」
渾沌ちゃん。
「はい」
「惣菜屋さんが言ったから?」
秩序ちゃんの手が。
少し止まる。
「参考にしました」
◇
三人で。
運ぶ。
PANDEMONIUM。
裏口。
路地。
隣の惣菜屋。
冷蔵庫。
「上段空ける!」
女。
「肉こっち!」
「チーズは?」
「下!」
「野菜!」
「それは後!」
◇
午後四時三十二分。
機械屋へ電話がつながった。
秩序ちゃんが話す。
「表示八・一度。警告音。現在、中身を移しています」
受話器の向こう。
低い声。
『電源は切った?』
「いいえ」
『切らないで』
「はい」
『背面、熱い?』
◇
秩序ちゃんが。
冷蔵庫の後ろへ回る。
「かなり熱いです」
『ファンの音は?』
「どの音ですか」
『低い唸り』
「……分かりません」
『じゃ触らないで。四十分くらいで行く』
「四十分」
『中身は出しといて正解』
◇
電話を切る。
渾沌ちゃんが。
にやっとする。
「正解だって」
「結果としてです」
「惣菜屋さん正しかった!」
「今回については」
「じゃ昨日の話なら、採用した秩序ちゃんが決めた?」
「はい」
惣菜屋の女が。
箱を抱えたまま言う。
「ちょっと待って」
◇
「私、何も背負わなくていいの?」
「助言には関わっています」
秩序ちゃん。
「それだけ?」
「何かありますか」
「うちの冷蔵庫に入れろって言ったの、私だよ」
「はい」
「どの棚へ何を入れるかも」
「はい」
「それ、あんたに確認できた?」
◇
秩序ちゃんが。
惣菜屋の冷蔵庫を見る。
「できません」
「なんで?」
渾沌ちゃん。
「この店の保管状態も、食材ごとの扱いも、私は十分に知りません」
「でも決めたの秩序ちゃん?」
「移すことは」
「置き方は?」
秩序ちゃんが止まる。
◇
惣菜屋の女が笑う。
「全部、自分で決めた顔するから変になるんだよ」
「顔ですか」
「顔」
「どんな」
「こう」
女が。
真面目な顔をした。
渾沌ちゃんが吹き出した。
「似てる!」
「似ていません」
◇
午後四時四十分。
問題が起きた。
「待って」
惣菜屋の女。
下段を見る。
「これ誰が入れた?」
渾沌ちゃん。
「チーズ!」
「そこ、うちの漬物の汁こぼれてた」
「え」
「容器の外だけだけど」
◇
チーズの箱。
底が濡れている。
「中は?」
「密封されてます」
秩序ちゃん。
「じゃ平気?」
「食品として使えるかは、店側で確認します」
惣菜屋の女が。
布巾を取る。
「下って言ったの私だ」
「入れたの私」
渾沌ちゃん。
「移すと決めたのは私です」
秩序ちゃん。
三人。
箱を見る。
◇
「また増えた」
渾沌ちゃん。
「何がですか」
「決めた人」
「同じことを決めてはいません」
「移す」
「私です」
「どこへ」
「この方の提案を私が受けました」
「どの棚」
「この方です」
「実際に置く」
「渾沌ちゃんです」
「漬物の汁」
惣菜屋の女。
「私が先に気づくべきだった」
◇
「じゃ誰のせい?」
渾沌ちゃん。
「その聞き方をすると」
秩序ちゃん。
「一人にまとめたくなります」
「だめ?」
「今回は、まとめると何を直すべきか分からなくなります」
◇
午後五時九分。
機械屋が来た。
背面を開ける。
「霜ですね」
「霜?」
「風の通り道が塞がってる」
「壊れてない?」
「部品はたぶん大丈夫」
「じゃ移さなくてもよかった?」
渾沌ちゃん。
機械屋が首を振る。
「いや、温度上がってたなら移していい」
◇
秩序ちゃんが聞く。
「移す判断は、私がしました」
「そう」
「私は原因を分かっていませんでした」
「普通分からないよ」
「では、分からない人が決めてよかったんですか」
機械屋が。
ドライバーを止める。
「何を?」
「中身を移すことを」
「それは食品の人に聞いたんでしょ」
「はい」
「じゃ聞いて決めたんでしょ」
「はい」
「俺に聞かれても、食品が何度でどうなるか全部は知らないよ」
◇
渾沌ちゃんが。
機械屋。
惣菜屋。
秩序ちゃん。
順番に見る。
「誰も全部知らない」
「はい」
「でも決めた」
「はい」
「昨日は、採用した人も見ろって言った」
「言いました」
「今日は?」
◇
秩序ちゃんは。
冷蔵庫の開いた背面を見る。
「採用した人だけを見ても」
惣菜屋の冷蔵庫を見る。
「足りません」
「戻った?」
「進みました」
◇
午後六時。
冷蔵庫は。
四度まで下がった。
食材を戻す。
今度は。
惣菜屋の女が言う。
「肉から」
秩序ちゃんが聞く。
「理由は?」
「温度を戻したいのと、重いから先」
「二つありますね」
「そう」
「分かりました」
◇
渾沌ちゃんが。
肉の容器を持つ。
「じゃ今度は、言われたから?」
「いいえ」
秩序ちゃん。
「理由を聞いて」
「うん」
「私が分かる範囲を確認して」
「うん」
「分からない範囲は」
惣菜屋の女を見る。
「分かる人に残してもらいます」
◇
「残す?」
「判断をこちらへ全部持ってこない、という意味です」
「責任を押し返す?」
「違います」
秩序ちゃん。
「借ります」
「何を?」
「分かることを」
◇
惣菜屋の女が。
少し笑った。
「返すの?」
「必要なら」
「何を」
「結果を」
◇
閉店後。
冷蔵庫は。
静かに動いていた。
四度。
緑の表示。
その横に。
新しい手順書は貼らなかった。
代わりに。
惣菜屋から借りた空の容器が。
一つ残っていた。
「明日返す?」
渾沌ちゃん。
「はい」
「中身は?」
「ありません」
「じゃ何返すの」
秩序ちゃんは。
空の容器を持つ。
「今日、どうなったかも」
◇
分からない人が。
最後に決めることはあった。
でも。
分からないことまで。
その人一人の中へ。
入れる必要はなかった。




