第77話「手を出してないからって、決めてないことにはしないでください」
金曜日。
午後二時十一分。
雨が降り始めた。
「来た!」
渾沌ちゃんが。
入口へ走る。
「何がですか」
「雨!」
「見れば分かります」
◇
PANDEMONIUMの軒下に。
紙袋が六つ。
配達待ち。
雨粒が。
石畳へ黒い点を増やしていく。
「中、入れる?」
渾沌ちゃん。
「もうすぐ受け取りです」
「でも濡れるよ」
秩序ちゃんが。
空を見る。
「軒の内側へ寄せましょう」
◇
そこへ。
制服の少年が来た。
「これ、雨よけ出せますよ」
「雨よけ?」
少年が。
壁の横を指す。
緑のボタン。
《AWNING》
「前、店の人が押してた」
「これ?」
渾沌ちゃんの指が近づく。
「待ってください」
秩序ちゃん。
「動作範囲を確認します」
「でも降ってる」
「十秒です」
◇
少年が。
軒の上を見る。
「たぶん、前に出るだけです」
「どのくらい?」
「ここまで」
少年が。
石畳の線を靴で示した。
「じゃ紙袋も入る!」
「確認してからです」
「濡れる!」
◇
雨が強くなった。
一つ目の紙袋に。
点。
二つ。
「押していい?」
渾沌ちゃん。
少年が言った。
「大丈夫だと思う」
渾沌ちゃんが。
押した。
◇
うぃん。
頭上で。
畳まれていた布が開く。
「おお!」
前へ。
前へ。
少年の靴で示した線を越えて。
「長い!」
「下がってください」
◇
布の先端が。
雨樋の脇に立てかけてあった。
細い看板へ当たった。
からん。
看板が倒れる。
その下にあった。
白い植木鉢へ。
がしゃん。
◇
「あ」
渾沌ちゃん。
「あ」
少年。
鉢は。
二つに割れていた。
土が。
雨に混じる。
◇
隣の花屋が。
飛び出してきた。
「うちの!」
「ごめんなさい!」
渾沌ちゃん。
「私が押しました!」
◇
少年が。
一歩下がる。
秩序ちゃんが見る。
「待ってください」
「え」
少年。
「あなたは、どこへ行きますか」
「いや」
「責めているのではありません」
「俺、押してないです」
「はい」
◇
花屋が。
割れた鉢を拾う。
「じゃ、この子は関係ないでしょ」
「……そうかな」
渾沌ちゃんが。
ボタンを見る。
「昨日なら」
「昨日?」
「触った人まで、って」
◇
少年が言う。
「俺、ボタンの場所を言っただけです」
「はい」
秩序ちゃん。
「雨よけが出るって」
「はい」
「前に出るだけだと思ったって」
「言いました」
「ここまでだって」
「……言いました」
◇
「でも押したのは私」
渾沌ちゃん。
「はい」
「止めたのは秩序ちゃん」
「はい」
「押していいって言ったのは?」
「俺は」
少年が止まる。
「大丈夫だと思う、って」
「言ったね」
「……はい」
◇
雨が。
割れた鉢の土を。
少しずつ平らにする。
花屋が言った。
「で、誰が弁償するの」
「PANDEMONIUMです」
秩序ちゃん。
「即答?」
渾沌ちゃん。
「店の設備を、店側が操作して起きた損傷です」
「じゃ、この子はやっぱ関係ない?」
◇
秩序ちゃんが。
少年を見る。
「弁償する人と」
割れた鉢を見る。
「起きたことへ関わった人は、同じでなくていいです」
「俺も?」
「はい」
「でも触ってない」
「触っていません」
「じゃ何をしたの」
「渾沌ちゃんが押す判断へ、情報を出しました」
◇
少年は。
少し嫌そうな顔をした。
「それで責任?」
「責任という言葉を、全部同じ意味にしないでください」
「難しい」
「私もです」
◇
渾沌ちゃんが。
濡れた紙袋を一つ持ち上げる。
「じゃ私、弁償する責任?」
「店としては私たちです」
「押した責任?」
「あります」
「この子は?」
「自分の言ったことが、判断に使われたと知る責任」
「それ何するの?」
◇
少年が先に言った。
「次から、知らないなら知らないって言う?」
秩序ちゃんが。
少年を見る。
「それは、かなり近いです」
「弁償は?」
「求めません」
「鉢、直すのは?」
花屋が。
二つに割れた鉢を持ち上げる。
「これは無理」
◇
花屋は。
店の奥から。
空の鉢を一つ持ってきた。
「植え替えるよ」
「手伝います!」
渾沌ちゃん。
「俺も?」
少年。
花屋が言う。
「暇なら土入れて」
「それ、責任?」
「手が足りない」
「じゃやる」
◇
三人で。
濡れた土を集める。
秩序ちゃんは。
雨よけを途中まで戻した。
今度は。
看板へ届かないところで止める。
「そこ!」
渾沌ちゃん。
「止めて!」
止まる。
「今の私、決めた?」
「はい」
「触ってないけど?」
「はい」
◇
渾沌ちゃんが笑う。
「入った」
「何に?」
「関わった人」
「そうですね」
「でも壊れたら?」
「操作した私も確認します」
「二人?」
「今度は」
秩序ちゃんが。
看板との距離を見る。
「二人です」
◇
午後三時。
植え替えが終わった。
花屋が。
新しい鉢を元の場所へ置こうとして。
やめた。
「ここ危ないな」
「雨よけが当たります」
「今まで当たってなかったんだけど」
「今日は看板が間にありました」
「じゃ看板どかすか」
◇
少年が言う。
「鉢を奥にした方がよくない?」
全員が。
少年を見る。
「……何」
「今のは」
渾沌ちゃん。
「決めた?」
「案を言っただけ!」
「そうですね」
秩序ちゃん。
「案です」
「じゃ関係ない?」
「採用されたら、判断には関わります」
「また?」
「ただし」
秩序ちゃんが。
鉢と看板を見る。
「決める側が、確認して採用します」
◇
花屋が。
鉢を奥へ置いた。
「ここならいい」
「採用!」
渾沌ちゃん。
「うるさい」
少年。
◇
夕方。
雨は止んだ。
配達の紙袋は。
全部なくなっていた。
割れた鉢だけが。
花屋の脇に残っている。
少年が帰る前に。
それを見る。
「俺、あれ割ってないよね」
「割ってはいません」
秩序ちゃん。
「でも関係はある?」
「あります」
「どのくらい?」
「どのくらい、ではなく」
秩序ちゃんは。
緑のボタンを見る。
「何に、です」
◇
「鉢を弁償することには?」
「ありません」
「ボタンを押したことには?」
「ありません」
「押す判断には?」
「あります」
「植え替えには?」
「手伝いました」
「鉢を奥にしたことには?」
「案が採用されました」
少年は。
しばらく考える。
「全部、別なんだ」
「はい」
◇
「めんどくさ」
「はい」
「昨日の『一緒にしたことまで』より増えてない?」
渾沌ちゃん。
「増えました」
「昨日、間違ってた?」
「いいえ」
秩序ちゃん。
「足りませんでした」
◇
閉店後。
雨よけは。
半分だけ出ていた。
その下に。
鉢はない。
看板もない。
ボタンには。
新しい注意書きを貼らなかった。
誰が押していいかも。
書かなかった。
◇
「書かないの?」
渾沌ちゃん。
「今日は」
秩序ちゃん。
「押した手だけ見ても、分からなかったので」
「じゃ何を見る?」
「その手が」
少し止まる。
「何を聞いて、何を信じて、押したのかも」
◇
緑のボタンは。
何も言わず。
壁にあった。
押さなかった指も。
何もしていなかったとは。
限らなかった。




