第76話「『みんなで』の中に、いなかった人まで入れないでください」
木曜日。
午前十時四十分。
PANDEMONIUMの前に。
丸いテーブルがあった。
「これ、重いんだよね」
渾沌ちゃんが。
縁を持つ。
「持ち上げないでください」
「まだ持ってない!」
石の天板。
太い脚。
いつもは。
窓の下。
◇
乳母車を押した女が来た。
通れない。
テーブルと街路樹の間。
あと少し。
「すみません」
女が言う。
「動かせますか」
「はい」
秩序ちゃん。
「たぶん!」
渾沌ちゃん。
「たぶんはやめて」
◇
向かいの珈琲屋が。
外へ出てきた。
「三人ならいけるよ」
「お願いします」
三人で。
天板へ手をかける。
秩序ちゃん。
渾沌ちゃん。
珈琲屋。
「せーの!」
浮く。
「そっち!」
「どちらですか」
「木の方!」
「近すぎます」
「じゃ店!」
「乳母車が通れません」
「重い!」
「一度下ろします」
◇
ごん。
下ろす。
五センチ。
動いた。
乳母車の女が。
自分の買い物袋を持ち上げた。
「もう少しです」
「あと十センチ!」
渾沌ちゃん。
「今度こそ」
三人で持つ。
◇
「せーの」
動く。
その時。
脚が。
石畳の端へ当たった。
がり。
隣の店の。
木の看板に。
白い傷が一本。
「あ」
全員。
止まった。
◇
乳母車は。
通れるようになった。
女は傷を見る。
「私も、すみません」
「なぜですか」
秩序ちゃんが聞く。
「私のために動かしてもらったから」
◇
珈琲屋が言う。
「まあ、みんなでやったことだから」
「はい」
渾沌ちゃん。
「みんなで直そ!」
乳母車の女が。
乳母車を見る。
それから。
傷を見る。
「私も?」
「え?」
◇
渾沌ちゃんが止まる。
「だって」
女が言う。
「私はテーブル、触ってないです」
「でも通りたいって」
「動かせますか、とは聞きました」
「うん」
「どっちへ動かすかは決めてません」
「うん」
「持ってもいません」
「……うん」
◇
秩序ちゃんが。
自分の手を見る。
「三人でした」
「何が?」
「テーブルを持ったのは」
珈琲屋が言う。
「でもきっかけはこの人だろ」
「きっかけまで責任に入れますか」
「入れないの?」
「では」
秩序ちゃん。
「この方が来なければ、傷はつきませんでした」
「そうだよ」
「今朝このテーブルをここへ出した方がいなければ?」
珈琲屋が黙る。
「街路樹がなければ?」
「それは違うだろ」
「どこから違いますか」
◇
渾沌ちゃんが。
乳母車の前へしゃがむ。
「ごめん」
「何が?」
「みんなって言った」
「はい」
「あなたまで入れちゃった」
女は少し笑った。
「通してもらったのは助かりました」
「それはそれ?」
「それはそれです」
◇
乳母車は。
通っていった。
女は振り返って。
「ありがとうございました」
三人へ。
頭を下げた。
でも。
傷の前には戻らなかった。
◇
十一時。
隣の店主が来た。
「誰やったの」
「三人です!」
渾沌ちゃん。
秩序ちゃん。
珈琲屋。
「三人で傷つけたの?」
「三人でテーブルを動かしている途中です」
秩序ちゃん。
「誰の側の脚?」
「私の側です!」
渾沌ちゃん。
「では渾沌ちゃんが」
「待ってください」
◇
渾沌ちゃんが秩序ちゃんを見る。
「昨日と同じ?」
「少し違います」
「どこが?」
「昨日は、二人で置いた行為を一人ずつへ切ろうとしました」
「今日は?」
「三人で動かした行為へ、四人目を足しかけました」
◇
店主が傷を指でなぞる。
「直るよ、これ」
「どうしますか」
「紙やすりかけて、塗れば」
「私たちが」
「いや」
店主は珈琲屋を見る。
「あんた、塗るの下手だろ」
「なんで知ってるんだよ」
「去年見た」
◇
店主は。
PANDEMONIUMの中を見る。
「塗料ある?」
「ありません」
秩序ちゃん。
「うちにある」
「では取りに」
「私が行く」
店主。
「色、間違えるから」
◇
十五分後。
直したのは。
四人だった。
店主が塗料を持ってくる。
秩序ちゃんが周りを拭く。
渾沌ちゃんが紙やすりをかける。
珈琲屋が。
塗らなかった。
「ほんとにやらせてくれない」
「去年見たから」
「去年のは別だろ」
「今年も下手かもしれない」
◇
「四人になった」
渾沌ちゃん。
「何がですか」
「直した人」
「はい」
「傷つけたのは三人」
「はい」
「通りたかった人は一人」
「はい」
「全部、人数違う」
「はい」
「ややこしい」
「同じ人数にする必要がありますか」
渾沌ちゃんが。
紙やすりを止める。
「ないか」
◇
昼。
塗料が乾くまで。
テーブルは店内へ入れた。
乳母車が通った場所は。
空いている。
「戻す?」
渾沌ちゃん。
「まだ決めません」
「誰に聞く?」
「少なくとも、今ここを使う人には」
「朝の女の人も?」
「この場所の使い方を決めるなら、必要になるかもしれません」
「傷の責任にも?」
「それはもう別です」
◇
夕方。
乳母車の女が戻ってきた。
今度は。
子どもが歩いていた。
「広くなった」
「テーブル、中です!」
渾沌ちゃん。
「見れば分かります」
女が笑う。
「戻すんですか」
「まだ」
「私は、このままが楽です」
「分かりました」
秩序ちゃん。
◇
珈琲屋が向かいから言う。
「じゃ、みんなこのままがいいってことで」
「私はまだ何も言っていません」
隣の店主。
「俺も」
「私もです」
秩序ちゃん。
「私も!」
渾沌ちゃん。
珈琲屋が。
一人で頷いた姿勢のまま止まる。
「みんなじゃなかった」
「はい」
◇
閉店後。
テーブルは。
まだ店内にあった。
外には。
丸い跡だけが残っている。
朝。
そこにいたもの。
動かした三人。
通った一人。
傷を直した四人。
夕方。
そこを空けてほしいと言った一人。
どれも。
同じ「みんな」ではなかった。
◇
「共同って」
渾沌ちゃんが言う。
「大きい袋みたいだね」
「何でも入れないでください」
「入れた方が楽なのに」
「楽だからです」
「じゃ、どこまで入れる?」
秩序ちゃんは。
空いた窓際を見る。
「その時」
少し考える。
「実際に、何を一緒にしたのかまでです」
◇
外の丸い跡には。
誰の名前もなかった。
それでも。
朝そこにいなかった人まで。
入れる必要はなかった。




