第63話「断っていいなら、断られ続ける人も見てください」
金曜日。
午前八時六分。
八百屋が、開いていなかった。
「休み?」
渾沌ちゃんがシャッターを見る。
貼り紙はない。
「昨日は営業していました」
「寝坊?」
「決めないでください」
その前に。
杖をついた男が立っていた。
昨日、パン屋の店員に断られた男だった。
「おはようございます」
秩序ちゃん。
「おはよう」
「待っていますか」
「うん」
「八百屋さんを?」
「今日は病院なんだ」
◇
「八百屋さん、病院まで行くの?」
渾沌ちゃん。
「いや。橋まで」
「その先は?」
「薬局の人がいるだろう」
「引き受けるって言った?」
男は笑った。
「昨日、そういう話になったんだろ」
「昨日は、毎回聞く話になりました」
秩序ちゃん。
「そうだったな」
男は少し困った顔をした。
「じゃ、開くまで待つよ」
◇
午前八時二十分。
開かない。
八時三十分。
開かない。
八時四十二分。
パン屋の店員が通った。
「あれ、まだいるんですか」
「病院だって」
渾沌ちゃん。
「ああ」
「行けますか」
秩序ちゃんが聞く。
「今日は無理です」
昨日と同じ答え。
「配達が多くて」
「分かりました」
男も頷いた。
「仕事なら仕方ない」
店員は二歩行って。
戻った。
「薬局なら」
「紹介しなくていいよ」
男が言った。
「自分で聞く」
◇
薬局。
午前八時五十分。
白衣の男がシャッターを上げていた。
「病院まで行きたいそうです」
秩序ちゃん。
「今日は無理ですね」
早かった。
「まだ何も聞いてないよ」
渾沌ちゃん。
「棚卸しなんです」
「橋まででも?」
「無理です」
杖の男が頷く。
「分かった」
◇
次。
クリーニング店。
「すみません、今日は」
次。
花屋。
「開店したばかりだから」
次。
新聞販売所。
「配達終わったんで寝ます」
誰も悪くなかった。
誰も引き受けなかった。
◇
午前九時十四分。
男はPANDEMONIUMの前へ戻ってきた。
「病院、何時?」
渾沌ちゃん。
「九時半」
「もう無理じゃん」
「予約は十時まで待ってくれる」
「歩いたら?」
「今日は道が長い」
「どのくらい?」
「昨日は十五分。今朝、一人で行こうとしたら四十分歩いて同じ角に戻った」
◇
秩序ちゃんが時計を見る。
九時十五分。
「私が行きます」
渾沌ちゃんが見る。
「引き受けるの?」
「はい」
「どこまで?」
秩序ちゃんは男を見る。
「病院の受付が引き受けるまでです」
「最後までじゃん」
「今日は、そうします」
◇
男が首を振った。
「店は?」
「渾沌ちゃんがいます」
「いるよ」
「迷惑じゃないか」
「迷惑です」
秩序ちゃんは答えた。
男が目を丸くする。
「でも、引き受けます」
「迷惑なのに?」
「迷惑ではないふりをすると、次も引き受けられることになります」
◇
九時十八分。
二人で歩き出した。
渾沌ちゃんは店に残った。
「いってらっしゃい」
「店をお願いします」
「任された」
「勝手に閉めないでください」
「まだ何もしてない!」
◇
橋まで。
昨日なら十分だった。
今日は七分。
橋の向こうに。
病院は見えない。
「昨日はあった?」
「駅の横だった」
「駅は?」
「ないな」
男は笑った。
「困ったね」
「はい」
「戻る?」
秩序ちゃんは首を振る。
「病院へ行く必要は、なくなりましたか」
「なくなってない」
「では続けます」
◇
橋の先。
道が三本に分かれていた。
右は商店街。
左は住宅地。
正面は。
海だった。
「昨日、海あったかな」
「ありませんでした」
「じゃ正面じゃないな」
「なぜですか」
「病院、海の中じゃないだろ」
「今日もそうとは限りません」
「それ言われると何も選べないな」
◇
秩序ちゃんは道を見た。
地図は役に立たない。
昨日の位置も決め手にならない。
「病院で、今日することは何ですか」
「診察」
「何のためですか」
「薬を変えてもらう」
「薬局は?」
「診察の後」
「病院の名前は?」
男が答える。
知らない名前ではない。
昨日、杖がなくなった病院と同じだった。
「受付の人を知っていますか」
「顔なら」
「では、建物ではなくその人を探します」
◇
右。
商店街。
魚屋。
文房具店。
空き地。
その先に。
病院の受付カウンターだけがあった。
屋外に。
「病院なくない?」
男が笑う。
「受付の人はいる」
昨日、杖の場所を案内した女が座っていた。
「あら」
「診察できますか」
「できますよ」
「建物は?」
「今日は奥です」
受付の後ろ。
細い路地。
その先に自動ドアが見えた。
◇
午前九時三十七分。
「この方を、ここから引き受けますか」
秩序ちゃんが聞く。
受付の女が男を見る。
「診察ですね」
「うん」
「はい。ここからは私たちで」
「お願いします」
秩序ちゃんは。
そこで初めて、男から離れた。
◇
帰り道。
橋がなかった。
「……」
秩序ちゃんは止まった。
川だけがある。
向こう岸にPANDEMONIUMの看板が見える。
「私も戻れませんね」
◇
午前十時二分。
PANDEMONIUM。
渾沌ちゃんは一人でレジにいた。
「秩序ちゃん遅い」
客が二人。
注文票が三枚。
ポテトが一つ床に落ちている。
「落とした?」
客が聞く。
「落ちた」
「拾わないの?」
「今バーガー作ってる」
「一人?」
「一人」
電話が鳴る。
取る。
「はい、PANDEMONIUM」
『秩序です』
「どこ?」
『川の向こうです』
「帰れない?」
『橋がありません』
「迎え行く?」
少し間。
『店はどうですか』
渾沌ちゃんは店を見る。
客二人。
注文票三枚。
床のポテト。
「ちょっと大変」
『では来ないでください』
「断っていい?」
『はい』
「断る」
『分かりました』
電話が切れた。
◇
十時十五分。
八百屋の女がPANDEMONIUMへ来た。
「秩序ちゃんいる?」
「川の向こう」
「何してんの」
「病院まで送ったら橋なくなった」
「迎えは?」
「断った」
女が笑う。
「ちゃんと断ったんだ」
「うん」
「じゃ私行くよ」
「店は?」
「今日休み」
「だから開いてなかったの?」
「そう」
◇
「迎え頼んでいい?」
渾沌ちゃんが聞く。
「いいよ」
「引き受ける?」
「川のこっちまでね」
「その先は?」
「自分で帰れるでしょ」
「たぶん」
「たぶん?」
「聞いてみる」
電話。
『はい』
「八百屋さんが迎え行けるって」
『お願いできますか』
「川のこっちまで」
『そこからは自分で戻ります』
「引き受けるって」
八百屋の女が頷く。
「じゃ行ってくる」
◇
午前十一時。
秩序ちゃんが戻った。
「おかえり」
「ただいま戻りました」
「病院着いた?」
「はい」
「店、大変だった」
「すみません」
「ポテト落ちた」
「それは拾ってください」
「拾ったよ!」
◇
八百屋の女は椅子に座った。
「昨日さ」
「はい」
「私、三人学校まで送ったでしょ」
「はい」
「その前も、二人送った」
「知りませんでした」
「その前はおばあちゃん一人」
渾沌ちゃんが見る。
「毎日じゃん」
「そう。私、断らなかったから」
◇
「今日休みにしたの、それ?」
「半分はね」
「半分?」
「腰痛い」
「それは休んでください」
秩序ちゃん。
「休んだよ」
女は笑う。
「そしたら朝、店の前で待ってる人がいたんでしょ」
「いました」
「悪いことしたかなって、ちょっと思った」
「していません」
「即答だね」
「休むことまで、引き受けた責任には含まれません」
◇
渾沌ちゃんが言う。
「でもさ」
「はい」
「断れるようにしたら、断らない人に集まったんだね」
八百屋の女が指を立てた。
「それ」
秩序ちゃんは黙った。
昨日。
断れることを守った。
今日は。
断らなかった人が休んでいる。
◇
「じゃ当番作る?」
渾沌ちゃん。
「作りません」
「また?」
「当番にすれば、断る前に責任が発生します」
「じゃどうするの」
「分かりません」
八百屋の女が笑った。
「分かんないんだ」
「はい」
「珍しい」
「最近、よくあります」
◇
午後一時。
杖の男が戻ってきた。
一人で。
「帰れた?」
渾沌ちゃん。
「病院の人が薬局まで。薬局の人が橋まで。橋からは一人」
「リレーだ」
「ちゃんと毎回聞かれたよ」
「断られた?」
「一回」
「どうしたの?」
「待った」
「何分?」
「十五分」
「困った?」
「困った」
「でも帰れた」
「帰れた」
◇
男は八百屋の女を見る。
「今朝、待ってたよ」
「ごめんね」
「謝らなくていいよ」
「でも病院だったんでしょ」
「うん」
「困ったでしょ」
「困った」
女が黙る。
男は続けた。
「だからって、毎朝いてくれとは言えないよ」
◇
「じゃどうする?」
渾沌ちゃん。
男が答える。
「早く出る」
「それだけ?」
「断られる時間を入れとく」
八百屋の女が笑った。
「すごい予定だね」
「この町ならいるだろ」
◇
秩序ちゃんが聞く。
「それで間に合わない日は?」
「その日は助けてって言う」
「誰に?」
「いる人に」
「全員断ったら?」
男は少し考えた。
「その時は、その時だな」
「診察を諦めますか」
「諦めたくはない」
「では、それだけでは足りません」
◇
渾沌ちゃんが秩序ちゃんを見る。
「助ける?」
「毎回はできません」
「今日はやった」
「今日は、私が引き受けました」
「次は?」
「次は分かりません」
「じゃ何が変わったの?」
秩序ちゃんは時計を見る。
九時十五分に店を出た。
渾沌ちゃん一人に負担が出た。
八百屋の女が迎えに来た。
誰か一人を助ければ。
別の誰かへ負担が移る。
「困っている人を、断られる側だけにしないことです」
◇
午後三時。
パン屋の店員が来た。
八百屋の女にパンを一袋渡す。
「昨日のお礼」
「何の?」
「子供送ってくれた」
「いらないよ」
「じゃ俺が食べます」
「それは違うだろ」
笑う。
薬局の男も来た。
「腰、大丈夫ですか」
「なんで知ってるの」
「朝、シャッター閉まってたから」
「休みだよ」
「薬いります?」
「いらない」
「断られた」
「断った」
◇
誰も会議を始めなかった。
名簿も作らない。
当番も決めない。
ただ。
パン屋の店員が言った。
「俺、明日は朝の配達少ないです」
薬局の男。
「明後日は棚卸し終わってます」
八百屋の女。
「私は明日も休む」
「休んで」
渾沌ちゃん。
「命令?」
「お願い」
◇
秩序ちゃんは何も書かなかった。
「記録しないの?」
渾沌ちゃん。
「店員さんが明日できることを、明後日の義務にしたくありません」
「忘れたら?」
「その時、また聞きます」
「めんどくさ」
「大事なので」
「取られた!」
◇
閉店前。
杖の男が店の前を通った。
今度は誰にも声をかけない。
角まで歩く。
止まる。
道を見る。
通りかかった配達の男に聞く。
男は首を振る。
次。
高校生。
首を振る。
次。
パン屋の店員。
「角までなら」
杖の男が笑う。
「今日は散歩だから、いいよ」
「断るんですか」
「断る」
「じゃ、また」
◇
渾沌ちゃんが窓から見ていた。
「助ける人も断られるんだ」
「はい」
「助けられる人も断るんだ」
「はい」
「ぐちゃぐちゃ」
「その方がいい場合もあります」
◇
店の灯りを落とす。
八百屋は暗いまま。
誰も、そのシャッターを開けなかった。
休みだから。
その代わり。
明日の朝に何が起きるかも。
誰も保証しなかった。
秩序ちゃんは外へ出る。
八百屋の前を通る。
立ち止まらない。
「起こさないの?」
渾沌ちゃん。
「起こしません」
「明日、困る人いるかも」
「いるかもしれません」
「じゃどうする?」
「明日、困った時に決めます」
二人は歩く。
誰もいない角で。
道が二つに分かれた。
渾沌ちゃんが右を見る。
秩序ちゃんが左を見る。
「どっち?」
「今日は、私が決めてもいいですか」
「いいよ」
「左へ行きます」
「なんで?」
「近いからです」
「普通!」
二人は左へ曲がった。
右の道も。
そのまま残った。




