↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
63/93

第63話「断っていいなら、断られ続ける人も見てください」


 金曜日。


 午前八時六分。


 八百屋が、開いていなかった。


「休み?」


 渾沌ちゃんがシャッターを見る。


 貼り紙はない。


「昨日は営業していました」


「寝坊?」


「決めないでください」


 その前に。


 杖をついた男が立っていた。


 昨日、パン屋の店員に断られた男だった。


「おはようございます」


 秩序ちゃん。


「おはよう」


「待っていますか」


「うん」


「八百屋さんを?」


「今日は病院なんだ」


 ◇


「八百屋さん、病院まで行くの?」


 渾沌ちゃん。


「いや。橋まで」


「その先は?」


「薬局の人がいるだろう」


「引き受けるって言った?」


 男は笑った。


「昨日、そういう話になったんだろ」


「昨日は、毎回聞く話になりました」


 秩序ちゃん。


「そうだったな」


 男は少し困った顔をした。


「じゃ、開くまで待つよ」


 ◇


 午前八時二十分。


 開かない。


 八時三十分。


 開かない。


 八時四十二分。


 パン屋の店員が通った。


「あれ、まだいるんですか」


「病院だって」


 渾沌ちゃん。


「ああ」


「行けますか」


 秩序ちゃんが聞く。


「今日は無理です」


 昨日と同じ答え。


「配達が多くて」


「分かりました」


 男も頷いた。


「仕事なら仕方ない」


 店員は二歩行って。


 戻った。


「薬局なら」


「紹介しなくていいよ」


 男が言った。


「自分で聞く」


 ◇


 薬局。


 午前八時五十分。


 白衣の男がシャッターを上げていた。


「病院まで行きたいそうです」


 秩序ちゃん。


「今日は無理ですね」


 早かった。


「まだ何も聞いてないよ」


 渾沌ちゃん。


「棚卸しなんです」


「橋まででも?」


「無理です」


 杖の男が頷く。


「分かった」


 ◇


 次。


 クリーニング店。


「すみません、今日は」


 次。


 花屋。


「開店したばかりだから」


 次。


 新聞販売所。


「配達終わったんで寝ます」


 誰も悪くなかった。


 誰も引き受けなかった。


 ◇


 午前九時十四分。


 男はPANDEMONIUMの前へ戻ってきた。


「病院、何時?」


 渾沌ちゃん。


「九時半」


「もう無理じゃん」


「予約は十時まで待ってくれる」


「歩いたら?」


「今日は道が長い」


「どのくらい?」


「昨日は十五分。今朝、一人で行こうとしたら四十分歩いて同じ角に戻った」


 ◇


 秩序ちゃんが時計を見る。


 九時十五分。


「私が行きます」


 渾沌ちゃんが見る。


「引き受けるの?」


「はい」


「どこまで?」


 秩序ちゃんは男を見る。


「病院の受付が引き受けるまでです」


「最後までじゃん」


「今日は、そうします」


 ◇


 男が首を振った。


「店は?」


「渾沌ちゃんがいます」


「いるよ」


「迷惑じゃないか」


「迷惑です」


 秩序ちゃんは答えた。


 男が目を丸くする。


「でも、引き受けます」


「迷惑なのに?」


「迷惑ではないふりをすると、次も引き受けられることになります」


 ◇


 九時十八分。


 二人で歩き出した。


 渾沌ちゃんは店に残った。


「いってらっしゃい」


「店をお願いします」


「任された」


「勝手に閉めないでください」


「まだ何もしてない!」


 ◇


 橋まで。


 昨日なら十分だった。


 今日は七分。


 橋の向こうに。


 病院は見えない。


「昨日はあった?」


「駅の横だった」


「駅は?」


「ないな」


 男は笑った。


「困ったね」


「はい」


「戻る?」


 秩序ちゃんは首を振る。


「病院へ行く必要は、なくなりましたか」


「なくなってない」


「では続けます」


 ◇


 橋の先。


 道が三本に分かれていた。


 右は商店街。


 左は住宅地。


 正面は。


 海だった。


「昨日、海あったかな」


「ありませんでした」


「じゃ正面じゃないな」


「なぜですか」


「病院、海の中じゃないだろ」


「今日もそうとは限りません」


「それ言われると何も選べないな」


 ◇


 秩序ちゃんは道を見た。


 地図は役に立たない。


 昨日の位置も決め手にならない。


「病院で、今日することは何ですか」


「診察」


「何のためですか」


「薬を変えてもらう」


「薬局は?」


「診察の後」


「病院の名前は?」


 男が答える。


 知らない名前ではない。


 昨日、杖がなくなった病院と同じだった。


「受付の人を知っていますか」


「顔なら」


「では、建物ではなくその人を探します」


 ◇


 右。


 商店街。


 魚屋。


 文房具店。


 空き地。


 その先に。


 病院の受付カウンターだけがあった。


 屋外に。


「病院なくない?」


 男が笑う。


「受付の人はいる」


 昨日、杖の場所を案内した女が座っていた。


「あら」


「診察できますか」


「できますよ」


「建物は?」


「今日は奥です」


 受付の後ろ。


 細い路地。


 その先に自動ドアが見えた。


 ◇


 午前九時三十七分。


「この方を、ここから引き受けますか」


 秩序ちゃんが聞く。


 受付の女が男を見る。


「診察ですね」


「うん」


「はい。ここからは私たちで」


「お願いします」


 秩序ちゃんは。


 そこで初めて、男から離れた。


 ◇


 帰り道。


 橋がなかった。


「……」


 秩序ちゃんは止まった。


 川だけがある。


 向こう岸にPANDEMONIUMの看板が見える。


「私も戻れませんね」


 ◇


 午前十時二分。


 PANDEMONIUM。


 渾沌ちゃんは一人でレジにいた。


「秩序ちゃん遅い」


 客が二人。


 注文票が三枚。


 ポテトが一つ床に落ちている。


「落とした?」


 客が聞く。


「落ちた」


「拾わないの?」


「今バーガー作ってる」


「一人?」


「一人」


 電話が鳴る。


 取る。


「はい、PANDEMONIUM」


『秩序です』


「どこ?」


『川の向こうです』


「帰れない?」


『橋がありません』


「迎え行く?」


 少し間。


『店はどうですか』


 渾沌ちゃんは店を見る。


 客二人。


 注文票三枚。


 床のポテト。


「ちょっと大変」


『では来ないでください』


「断っていい?」


『はい』


「断る」


『分かりました』


 電話が切れた。


 ◇


 十時十五分。


 八百屋の女がPANDEMONIUMへ来た。


「秩序ちゃんいる?」


「川の向こう」


「何してんの」


「病院まで送ったら橋なくなった」


「迎えは?」


「断った」


 女が笑う。


「ちゃんと断ったんだ」


「うん」


「じゃ私行くよ」


「店は?」


「今日休み」


「だから開いてなかったの?」


「そう」


 ◇


「迎え頼んでいい?」


 渾沌ちゃんが聞く。


「いいよ」


「引き受ける?」


「川のこっちまでね」


「その先は?」


「自分で帰れるでしょ」


「たぶん」


「たぶん?」


「聞いてみる」


 電話。


『はい』


「八百屋さんが迎え行けるって」


『お願いできますか』


「川のこっちまで」


『そこからは自分で戻ります』


「引き受けるって」


 八百屋の女が頷く。


「じゃ行ってくる」


 ◇


 午前十一時。


 秩序ちゃんが戻った。


「おかえり」


「ただいま戻りました」


「病院着いた?」


「はい」


「店、大変だった」


「すみません」


「ポテト落ちた」


「それは拾ってください」


「拾ったよ!」


 ◇


 八百屋の女は椅子に座った。


「昨日さ」


「はい」


「私、三人学校まで送ったでしょ」


「はい」


「その前も、二人送った」


「知りませんでした」


「その前はおばあちゃん一人」


 渾沌ちゃんが見る。


「毎日じゃん」


「そう。私、断らなかったから」


 ◇


「今日休みにしたの、それ?」


「半分はね」


「半分?」


「腰痛い」


「それは休んでください」


 秩序ちゃん。


「休んだよ」


 女は笑う。


「そしたら朝、店の前で待ってる人がいたんでしょ」


「いました」


「悪いことしたかなって、ちょっと思った」


「していません」


「即答だね」


「休むことまで、引き受けた責任には含まれません」


 ◇


 渾沌ちゃんが言う。


「でもさ」


「はい」


「断れるようにしたら、断らない人に集まったんだね」


 八百屋の女が指を立てた。


「それ」


 秩序ちゃんは黙った。


 昨日。


 断れることを守った。


 今日は。


 断らなかった人が休んでいる。


 ◇


「じゃ当番作る?」


 渾沌ちゃん。


「作りません」


「また?」


「当番にすれば、断る前に責任が発生します」


「じゃどうするの」


「分かりません」


 八百屋の女が笑った。


「分かんないんだ」


「はい」


「珍しい」


「最近、よくあります」


 ◇


 午後一時。


 杖の男が戻ってきた。


 一人で。


「帰れた?」


 渾沌ちゃん。


「病院の人が薬局まで。薬局の人が橋まで。橋からは一人」


「リレーだ」


「ちゃんと毎回聞かれたよ」


「断られた?」


「一回」


「どうしたの?」


「待った」


「何分?」


「十五分」


「困った?」


「困った」


「でも帰れた」


「帰れた」


 ◇


 男は八百屋の女を見る。


「今朝、待ってたよ」


「ごめんね」


「謝らなくていいよ」


「でも病院だったんでしょ」


「うん」


「困ったでしょ」


「困った」


 女が黙る。


 男は続けた。


「だからって、毎朝いてくれとは言えないよ」


 ◇


「じゃどうする?」


 渾沌ちゃん。


 男が答える。


「早く出る」


「それだけ?」


「断られる時間を入れとく」


 八百屋の女が笑った。


「すごい予定だね」


「この町ならいるだろ」


 ◇


 秩序ちゃんが聞く。


「それで間に合わない日は?」


「その日は助けてって言う」


「誰に?」


「いる人に」


「全員断ったら?」


 男は少し考えた。


「その時は、その時だな」


「診察を諦めますか」


「諦めたくはない」


「では、それだけでは足りません」


 ◇


 渾沌ちゃんが秩序ちゃんを見る。


「助ける?」


「毎回はできません」


「今日はやった」


「今日は、私が引き受けました」


「次は?」


「次は分かりません」


「じゃ何が変わったの?」


 秩序ちゃんは時計を見る。


 九時十五分に店を出た。


 渾沌ちゃん一人に負担が出た。


 八百屋の女が迎えに来た。


 誰か一人を助ければ。


 別の誰かへ負担が移る。


「困っている人を、断られる側だけにしないことです」


 ◇


 午後三時。


 パン屋の店員が来た。


 八百屋の女にパンを一袋渡す。


「昨日のお礼」


「何の?」


「子供送ってくれた」


「いらないよ」


「じゃ俺が食べます」


「それは違うだろ」


 笑う。


 薬局の男も来た。


「腰、大丈夫ですか」


「なんで知ってるの」


「朝、シャッター閉まってたから」


「休みだよ」


「薬いります?」


「いらない」


「断られた」


「断った」


 ◇


 誰も会議を始めなかった。


 名簿も作らない。


 当番も決めない。


 ただ。


 パン屋の店員が言った。


「俺、明日は朝の配達少ないです」


 薬局の男。


「明後日は棚卸し終わってます」


 八百屋の女。


「私は明日も休む」


「休んで」


 渾沌ちゃん。


「命令?」


「お願い」


 ◇


 秩序ちゃんは何も書かなかった。


「記録しないの?」


 渾沌ちゃん。


「店員さんが明日できることを、明後日の義務にしたくありません」


「忘れたら?」


「その時、また聞きます」


「めんどくさ」


「大事なので」


「取られた!」


 ◇


 閉店前。


 杖の男が店の前を通った。


 今度は誰にも声をかけない。


 角まで歩く。


 止まる。


 道を見る。


 通りかかった配達の男に聞く。


 男は首を振る。


 次。


 高校生。


 首を振る。


 次。


 パン屋の店員。


「角までなら」


 杖の男が笑う。


「今日は散歩だから、いいよ」


「断るんですか」


「断る」


「じゃ、また」


 ◇


 渾沌ちゃんが窓から見ていた。


「助ける人も断られるんだ」


「はい」


「助けられる人も断るんだ」


「はい」


「ぐちゃぐちゃ」


「その方がいい場合もあります」


 ◇


 店の灯りを落とす。


 八百屋は暗いまま。


 誰も、そのシャッターを開けなかった。


 休みだから。


 その代わり。


 明日の朝に何が起きるかも。


 誰も保証しなかった。


 秩序ちゃんは外へ出る。


 八百屋の前を通る。


 立ち止まらない。


「起こさないの?」


 渾沌ちゃん。


「起こしません」


「明日、困る人いるかも」


「いるかもしれません」


「じゃどうする?」


「明日、困った時に決めます」


 二人は歩く。


 誰もいない角で。


 道が二つに分かれた。


 渾沌ちゃんが右を見る。


 秩序ちゃんが左を見る。


「どっち?」


「今日は、私が決めてもいいですか」


「いいよ」


「左へ行きます」


「なんで?」


「近いからです」


「普通!」


 二人は左へ曲がった。


 右の道も。


 そのまま残った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。