第62話「次の人がいるからって、ここで手を離さないでください」
木曜日。
午前七時四十八分。
PANDEMONIUMの前を。
小学生が三人、通り過ぎた。
一人。
二人。
三人。
その後ろを、パン屋の店員が歩いている。
「遠足?」
渾沌ちゃんが窓から見た。
「平日です」
「社会科見学?」
「ランドセルです」
「じゃ登校」
「学校と逆方向です」
四人は角を曲がった。
五分後。
パン屋の店員だけ戻ってきた。
「おはようございます」
「おはよう」
「子供たちは?」
「薬局まで」
「薬局?」
「そこから先は薬局の人が送ります」
◇
渾沌ちゃんが外へ出た。
「何それ」
「何って?」
「リレー?」
「まあ、そんな感じです」
店員はエプロンを直す。
「最近、道が違う日あるでしょう」
「あるね」
「子供だけじゃなくて、お年寄りとか、配達の人とか。自分が分かるところまで一緒に行って、そこから分かる人に頼むんです」
「誰が始めたの?」
「知りません」
秩序ちゃんが店から出てきた。
「頼まれた側は、引き受けると答えていますか」
「たぶん」
「たぶん」
「昨日は大丈夫でしたよ」
◇
午前八時十一分。
薬局へ行った。
シャッターは半分だけ開いている。
白衣の男が段ボールを運んでいた。
「さっきの子供たちは?」
渾沌ちゃん。
「八百屋まで送りました」
「学校は?」
「八百屋の向こうです」
「あなたが学校まで行かなかったのは?」
「開店準備がありますから」
「八百屋さんは引き受けたんですか」
秩序ちゃん。
「いつもやってくれますよ」
「今日は?」
「まだ開いてたから、大丈夫でしょう」
「聞きましたか」
男は段ボールを置いた。
「……聞いてないですね」
◇
八百屋。
店先に。
小学生が二人いた。
「三人じゃなかった?」
渾沌ちゃんが数える。
一人。
二人。
「一人は?」
八百屋の女が振り返る。
「え?」
「三人来ませんでしたか」
「二人だよ」
「薬局から三人送ったそうです」
「うちに来たのは二人」
◇
秩序ちゃんがしゃがんだ。
「一緒に来た子は、どこで離れましたか」
男の子が答える。
「橋」
「なぜ?」
「あっちの方が近いって」
「誰が言いましたか」
「薬局のおじさん」
「一人で行ったの?」
渾沌ちゃん。
「うん」
「何年生?」
「一年」
◇
秩序ちゃんが立った。
「探します」
「学校へ行ったんじゃない?」
八百屋の女。
「確認できていません」
「でも道は」
「今日も同じとは限りません」
◇
午前八時二十分。
橋はあった。
学校も見えた。
川の向こう。
ただし。
橋の真ん中から先だけ。
雨が降っていた。
「また天気違う」
渾沌ちゃん。
「子供は?」
「いない」
濡れた足跡。
小さい。
橋の途中まで。
そこで消えている。
「落ちた?」
「決めないでください」
「見る」
二人で欄干から下を見る。
川。
誰もいない。
「足跡が消えただけです」
「よかった」
「まだ見つかっていません」
◇
橋の向こうから。
「こっち!」
声。
黄色い雨合羽。
知らない老人が手を振っている。
その隣に。
小学生がいた。
「いた!」
◇
老人は子供の手を握っていた。
「この子、橋の真ん中で止まってたんだよ」
「なぜですか」
秩序ちゃん。
「学校が二つ見えたんだと」
「二つ?」
子供が指す。
左。
赤い屋根。
右。
白い校舎。
どちらにも。
同じ校章。
「どっち?」
渾沌ちゃん。
子供は首を振る。
「わかんない」
「先生の名前は?」
「山田先生」
老人が笑う。
「両方にいるらしい」
「聞いたの?」
「校門の人に」
「両方?」
「両方」
◇
秩序ちゃんは子供を見る。
「今日は、誰と学校へ行く予定でしたか」
「みんな」
「二人の友達ですか」
「うん」
「では戻りましょう」
「学校、遅れる」
「はい」
「怒られる」
「事情を説明します」
「でも」
子供は二つの学校を見る。
「どっちか入れば学校じゃないの?」
◇
渾沌ちゃんがしゃがむ。
「入りたい?」
「わかんない」
「じゃ入らなくてよくない?」
「遅刻する」
「間違うよりいいよ」
子供は少し考えた。
「戻る」
「うん」
◇
老人が手を離した。
「じゃ、あとはお願いします」
秩序ちゃんが老人を見る。
「待ってください」
「ん?」
「今、私たちが引き受けると確認しましたか」
老人が止まった。
「……あ」
子供も老人を見る。
「そういう話です」
秩序ちゃん。
「どういう?」
「今朝から、ずっとです」
◇
午前八時三十七分。
五人で八百屋へ戻った。
小学生二人。
八百屋の女。
薬局の男。
パン屋の店員。
いつの間にか増えていた。
「見つかった!」
「よかった」
「学校は?」
「まだです」
◇
秩序ちゃんが言った。
「誰が、この子を学校まで送る予定でしたか」
誰も答えない。
「最初は?」
パン屋の店員が手を上げる。
「店の前で見かけたので、薬局まで」
「薬局からは?」
「八百屋まで」
薬局の男。
「八百屋からは?」
「学校の近くまで」
八百屋の女。
「近くからは?」
沈黙。
渾沌ちゃんが言った。
「みんな途中までじゃん」
◇
「でも、今までは着いてたんです」
パン屋の店員。
「誰かが次にいたから」
薬局の男。
「今日はいたよ」
八百屋の女。
「老人まで」
「いました」
秩序ちゃん。
「だから、誰も最後まで引き受けていませんでした」
◇
「じゃ、このやり方やめる?」
渾沌ちゃん。
男の子二人が顔を上げた。
「やだ」
「なんで?」
「前より学校行きやすい」
「前は?」
「道なくなると帰ってた」
もう一人。
「パン屋のお兄さん、道知ってる」
「薬局のおじさんも」
「八百屋のおばちゃんも」
「おばちゃんは余計だよ」
八百屋の女が笑った。
◇
秩序ちゃんは黙った。
やめれば。
今日の危険は減る。
でも。
昨日まで助かっていた子供も戻る。
「やめません」
「じゃ続ける?」
「そのままは続けません」
◇
薬局の男が聞く。
「札でも作ります?」
「作りません」
「名簿?」
「作りません」
「当番?」
「私たちが決めません」
「じゃどうするんです」
秩序ちゃんは三人を見る。
「次の人へ渡す時に、聞いてください」
「何を?」
「ここから、この人を引き受けますか、と」
◇
渾沌ちゃんが首を傾げた。
「それだけ?」
「それだけです」
「最後の人いなかったら?」
「そこで止まります」
「学校着かないよ」
「引き受けた人が、次を探すか、自分で行くか、戻るか決めます」
「重くない?」
「はい」
「今までより」
「はい」
「嫌がる人いるよ」
「断っていいです」
◇
パン屋の店員が腕時計を見る。
「俺、もう戻らないと」
「では、今日は誰が学校まで?」
八百屋の女がため息をついた。
「私、九時までなら」
薬局の男。
「途中までなら行けます」
八百屋の女が見る。
「途中までって、どこまで?」
「橋の手前」
「そこから私?」
「引き受けます?」
女が笑った。
「今聞くんだ」
「はい」
「引き受けるよ」
◇
午前八時五十分。
薬局の男が三人の子供と歩き出す。
橋の手前。
八百屋の女が待っていた。
「ここから三人、引き受けます」
男が言う。
「お願いします」
子供たちが渡る。
今度は。
誰も手を離してから頼まなかった。
◇
学校は。
二つあった。
まだ。
八百屋の女は子供に聞いた。
「昨日、どっち行った?」
「赤い方」
「今日は?」
「友達と同じ方」
三人とも赤い屋根を指した。
「じゃ行こう」
白い校舎は残った。
誰も消さなかった。
◇
午前九時十三分。
八百屋の女が戻ってきた。
「着いたよ」
「三人とも?」
秩序ちゃん。
「三人とも」
「先生へ渡しましたか」
「そこまで聞く?」
「聞きます」
「渡したよ」
「引き受けると?」
「先生に言わせたよ。三人、預かりますって」
渾沌ちゃんが笑った。
「完璧じゃん」
「めんどくさかったけどね」
「大事だから?」
「何それ」
「最近の流行り」
◇
午後。
PANDEMONIUMは何もしなかった。
当番表もない。
案内板もない。
子供を集めない。
それでも。
店の前で。
配達の男が老人へ声をかけた。
「駅までですか」
「途中まで」
「俺、角までなら行けます」
「そこからは?」
「分かりません」
老人が笑う。
「じゃ角で考えるよ」
「引き受けます?」
「角までね」
「はい」
二人で歩いていった。
◇
渾沌ちゃんが窓から見送る。
「広がった」
「何がですか」
「引き受けます?ってやつ」
「そうですね」
「またルールになる?」
秩序ちゃんは少し考えた。
「なるかもしれません」
「止める?」
「今は止めません」
「なんで?」
「誰かが断れるままだからです」
◇
午後四時二十分。
断る人がいた。
パン屋の店員。
「今日は無理です」
杖をついた男に言う。
「配達が多くて」
「そうですか」
「薬局なら聞けるかも」
「頼んでくれますか」
「それも今日は無理です」
男は少し困った。
「じゃ、自分で行ってみます」
「すみません」
「いいよ」
◇
渾沌ちゃんが小声で言った。
「助けなかった」
「はい」
「悪くない?」
「はい」
「困ってたよ」
「はい」
「難しいね」
「だから、断れる必要があります」
◇
閉店前。
朝の小学生が三人。
今度は学校から帰ってきた。
「帰りもリレー?」
渾沌ちゃん。
「今日は違う」
「なんで?」
「三人で帰れる」
「道分かる?」
「分かんなくなったら聞く」
「誰に?」
「いる人」
「その人が無理って言ったら?」
一年生の子が答えた。
「次の人」
「次も無理だったら?」
「待つ」
「誰もいなかったら?」
子供は少し考えた。
「戻る」
◇
秩序ちゃんが聞く。
「一人で決めないでくださいね」
「三人で決める」
「はい」
三人は走っていく。
「走らないでください」
歩いた。
◇
夕方。
渾沌ちゃんが言った。
「私たち、今日ほとんど何もしてないね」
「探しました」
「最初だけ」
「はい」
「その後、みんな勝手にやってた」
「勝手ではありません」
「じゃ何?」
秩序ちゃんは窓の外を見る。
八百屋の女が。
知らない人に何か聞かれている。
首を振る。
相手は別の店へ行く。
「自分で引き受けて」
少し先。
薬局の男が別の人と歩き出す。
「自分で断っています」
◇
店の灯りを落とす。
昨日まで。
この町では。
困った物がPANDEMONIUMへ集まり始めていた。
今日は。
困った人まで、一つの場所へ集めなかった。
誰かが。
行けるところまで行く。
そこで。
次の誰かが、本当に引き受けるか聞く。
引き受けないこともある。
だから。
一本の道にはならなかった。
閉店後。
窓の向こうを。
朝の老人が一人で歩いていた。
角で止まる。
通りかかった女に何か聞く。
女は首を振った。
老人も頷く。
次の人を待つ。
PANDEMONIUMの扉は。
開かなかった。
それでも。
老人は、置き去りにはなっていなかった。




