第61話「ここに持ってくればいいを、誰が決めたんですか」
水曜日。
午前十時十二分。
PANDEMONIUMの入口に。
傘が十一本あった。
「雨?」
渾沌ちゃんが外を見る。
晴れている。
「降っていません」
「じゃ忘れ物?」
「十一本は多いです」
透明。
紺。
黄色。
折り畳み。
一本だけ、杖だった。
「傘じゃないの混ざってる」
「はい」
杖には紙袋が掛かっていた。
中に、鍵。
薬局の袋。
封筒。
「忘れ物いっぱい?」
「触らないでください」
「まだ触ってない」
「顔が近いです」
「顔は触らないよ」
◇
十時十八分。
男が来た。
自転車のヘルメット。
背中に大きな配送バッグ。
「あ、増えてる」
傘を見る。
「知ってるんですか」
秩序ちゃんが聞く。
「昨日からですよ」
「何がですか」
「行き先分かんなくなった物、ここ置いとくの」
◇
渾沌ちゃんが笑った。
「そんなことになってるの?」
「なっていますか?」
秩序ちゃん。
「なってますよ」
「誰が決めましたか」
「さあ」
「あなたは?」
「昨日、二個置きました」
「なぜ?」
「ここなら、だいたい誰か分かるから」
男は悪びれない。
「昨日の一個、ちゃんと持ち主来ましたよ」
「誰が渡しましたか」
「パン屋の人」
「なんでパン屋さんが」
渾沌ちゃん。
「近いからじゃないですか」
◇
十時二十五分。
パン屋の店員が来た。
「これ、昨日の残りです」
紙袋を二つ持っている。
「残り?」
「引き取り待ち」
カウンターへ置こうとする。
秩序ちゃんが止めた。
「待ってください」
「はい?」
「ここは何ですか」
「PANDEMONIUMですけど」
「そうではなく」
店員が傘を見る。
「ああ」
「いつから受取所になりましたか」
「受取所?」
「これです」
「誰かが困ってたら、ここに持ってくればいいって」
「誰が言いましたか」
「森さんかな」
◇
十一時二分。
森が来た。
「私じゃないよ」
「違うの?」
渾沌ちゃん。
「私は、分からない物があったらぱんでむで聞いてみたらって言っただけ」
「同じじゃん」
「置いていけとは言ってないよ」
森は杖を見る。
「あら」
「知っていますか」
「知らない」
「杖使う人、知ってる?」
「何人もいるよ」
「じゃ聞いて回る?」
「なんで私が」
「言い出した人っぽいから」
「言ってないって」
◇
十一時十五分。
客が一人。
傘を一本持っていった。
「それ、あなたのですか」
秩序ちゃん。
「はい」
「どこにありましたか」
「駅の向こう」
「誰がここへ?」
「知りません」
「どうしてここにあると?」
「近所の人が」
「誰ですか」
「名前知らないです」
傘を開く。
内側に赤い糸。
「あ、これです」
客は帰った。
◇
十一時二十一分。
渾沌ちゃんが言う。
「便利じゃん」
「何がですか」
「ちゃんと返った」
「はい」
「じゃいいんじゃない?」
秩序ちゃんは入口を見る。
傘、十本。
杖、一。
紙袋、三。
「私たちは、受け取ると言っていません」
「でも置けるよ」
「置けることと、引き受けたことは別です」
◇
十一時四十分。
また一つ増えた。
子供用の赤い上着。
持ってきたのは高校生だった。
「公園のベンチにありました」
「交番へ届けませんか」
「交番、今日は違う方にあるんで」
「違う方?」
「昨日は駅前だったけど、今日は川の向こうです」
「遠い?」
「二十分くらい」
「ここは?」
「三分」
高校生は上着を見る。
「ここなら、誰か来るかなって」
◇
秩序ちゃんは受け取らなかった。
「持って帰ってください」
「え」
「ここでは預かれません」
「でも」
「交番へお願いします」
「遠いです」
「はい」
「昨日はここでいいって」
秩序ちゃんが止まった。
「誰に言われましたか」
「配達の人」
◇
入口の男が手を上げた。
「俺?」
「あなたですか」
「たぶん」
「たぶんで広めないでください」
「でも昨日、財布戻ったんですよ」
「財布?」
「駅のベンチにあったやつ」
「それをここへ?」
「持ってきたら、昼には持ち主来た」
「なぜ来たんですか」
「知らないです」
「そこを知らないまま、次もここへ持ってくるんですか」
男は少し黙った。
「成功したから」
◇
渾沌ちゃんが傘を一本持ち上げた。
「これも成功するかも」
「戻してください」
「はい」
「成功した物だけ見て、残っている物を数えていません」
「十本と杖と袋三つと上着」
「数えていましたね」
「暇だったから」
◇
午後零時四分。
女が駆け込んできた。
「杖!」
入口。
壁に立てかけた杖。
女はそれを掴んだ。
「よかった」
「あなたのですか」
「母のです」
「紙袋も?」
女が見る。
鍵。
薬局の袋。
封筒。
「違います」
◇
「杖だけ?」
渾沌ちゃん。
「はい」
「どこでなくしたの?」
「病院の前です」
「どうしてここに?」
「病院で聞きました」
「誰に?」
「受付の人に。最近、分からない物はここに集まるって」
秩序ちゃんが黙った。
病院まで。
広がっている。
◇
女は杖を持って帰った。
薬局の袋は残った。
午後零時十七分。
今度は男が来た。
「薬!」
袋を見る。
「これ」
「あなたのですか」
「父のです」
中を見る。
首を振る。
「違う」
「違うの?」
「薬局は同じだけど、名前が違う」
◇
秩序ちゃんが袋を閉じた。
「これは、ここに置いてはいけません」
配達の男が言う。
「薬局に戻します?」
「はい」
「俺、持っていきます」
「なぜあなたが?」
「午後、そっち回るから」
「どちらの薬局ですか」
「袋に書いてある方」
「今日はそこにありますか」
男が止まる。
「……確認します」
「お願いします」
◇
午後一時。
高校生はまだ上着を持っていた。
「まだいたの?」
渾沌ちゃん。
「交番、行こうと思ったんですけど」
「けど?」
「持ち主、来るかもって」
「ここに?」
「はい」
「誰がそう言った?」
「誰も」
高校生は赤い上着を見る。
「でも、杖の人来たから」
◇
秩序ちゃんが言う。
「あなたは、どうしたいですか」
「返したいです」
「ここへ置きたいですか」
「楽だから」
「返したいことと同じですか」
高校生は黙った。
「……違うかも」
「交番まで二十分です」
「はい」
「行きますか」
高校生は上着を抱えた。
「行きます」
◇
「送る?」
渾沌ちゃん。
「一人で行けます」
高校生。
「じゃいってらっしゃい」
「はい」
出ていく。
◇
午後一時十二分。
配達の男が言った。
「じゃ、ここに持ってくるの禁止?」
秩序ちゃんは答えなかった。
「禁止って貼る?」
渾沌ちゃん。
「貼りません」
「じゃまた来るよ」
「来たら、その都度断ります」
「めんどくさ」
「はい」
「禁止の方が楽じゃん」
「昨日、便利だった物まで禁止する理由はありません」
「じゃ何ならいいの?」
「私たちが預かると、その場で合意した物です」
◇
配達の男が笑った。
「毎回聞くの?」
「必要なら」
「いなかったら?」
「預けないでください」
「困る人いるよ」
「いるでしょう」
「冷たいね」
秩序ちゃんは頷いた。
「便利な場所になる責任まで、知らないうちに引き受ける方が危険です」
◇
午後二時。
傘は七本になった。
三人が取りに来た。
紙袋は一つ、持ち主が来た。
残りは。
傘七。
封筒一。
誰のものか分からない。
「これどうする?」
渾沌ちゃん。
「今日すでに置かれていた分は、今日だけ確認します」
「明日は?」
「残っていれば、適切な届け先へ移します」
「全部?」
「一つずつ」
「めんどくさ」
「二回目です」
「大事だから」
◇
午後三時三十五分。
森が戻った。
パン屋の店員も。
配達の男も。
三人で話している。
店の外。
「何してるの?」
渾沌ちゃんが出る。
「置き場所、別にしようって」
森。
「作るの?」
「作らないよ」
「じゃ何?」
パン屋の店員が言う。
「持ってきた人が、その日の届け先まで持っていく」
「普通じゃん」
「普通ですね」
◇
配達の男が頭を掻く。
「俺が広めたっぽいんで」
「っぽい?」
「どこまで俺か分かんないんですよ」
「じゃ全部直す?」
「無理です」
「どうするの」
「会った人には言います」
「何て?」
「PANDEMONIUMは勝手に預かってくれないって」
◇
秩序ちゃんが出てきた。
「それも、決めつけないでください」
「え?」
「私たちは、勝手に置かれた物を預からないだけです」
「同じじゃない?」
渾沌ちゃん。
「違います」
「預かる時もある?」
「あります」
「どういう時?」
「その時、必要だと判断した時です」
男が笑った。
「広めにくいなあ」
「広めなくていいです」
◇
午後四時。
高校生が戻ってきた。
赤い上着はない。
「届けた?」
「はい」
「持ち主いた?」
「いません」
「じゃ失敗?」
「交番の人が預かりました」
「遠かった?」
「遠かったです」
「ここ置いた方が楽だった?」
「楽でした」
「じゃなんで行ったの?」
高校生は少し考えた。
「返したかったから」
◇
夕方。
傘は五本。
封筒一。
店の隅にまとめる。
新しい棚は作らない。
札も出さない。
預かり所にもならない。
それでも。
午後五時十九分。
知らない女が入ってきた。
「すみません」
「はい」
「ここに持ってくればいいって聞いたんですけど」
手に。
片方だけの子供靴。
渾沌ちゃんが秩序ちゃんを見る。
秩序ちゃんは靴を見る。
女を見る。
「何をしたいですか」
「持ち主に返したいです」
「ここへ置く必要がありますか」
女は止まった。
「……ないですね」
「では、近くの届け先を一緒に確認します」
◇
渾沌ちゃんが小声で言う。
「断らないんだ」
「置くことは断ります」
「手伝うのは?」
「別です」
女のスマートフォンで地図を見る。
交番。
今日は。
川の向こうではなかった。
徒歩六分。
「近い」
「今日はね」
女が笑う。
靴を持って出ていった。
◇
閉店前。
配達の男がもう一度来た。
何も持っていない。
「薬、戻せました」
「ありがとうございます」
「あと」
「はい」
「病院の受付にも言ってきました」
「何を?」
「ぱんでむに置け、じゃなくて」
少し考える。
「困ったら、ぱんでむで聞ける時もある、くらい」
「長い」
渾沌ちゃん。
「だから広まらないと思います」
「それでいいです」
秩序ちゃん。
◇
男が帰る。
入口には。
朝より少ない傘。
五本。
まだ残っている。
「明日も来るかな」
「誰がですか」
「物」
「物は来ません」
「持ってくる人」
「来るかもしれません」
「また断る?」
「必要なら」
「手伝う?」
「必要なら」
渾沌ちゃんが笑う。
「広めにくいね」
「はい」
◇
店の灯りを落とす。
朝まで。
この場所は。
誰かが勝手に決めた受取所だった。
夜には。
もう違った。
でも。
困った時に来る人まで、いなくなったわけではない。
秩序ちゃんは最後の傘を壁へ寄せた。
「明日、一本ずつ確認します」
「全部まとめてじゃなく?」
「まとめたから、こうなりました」
渾沌ちゃんは五本を見る。
「じゃ明日は五個の話?」
「必要なら」
「めんどくさ」
「三回目です」
「大事だから」
扉が閉まった。
外では。
誰かが誰かに。
もう別の言い方で、PANDEMONIUMのことを話していた。




