第52話「答えられることを、全部聞く必要はありません」
月曜日。
午前十一時八分。
二階の廊下に、列ができていた。
「なにこれ」
渾沌ちゃんが数える。
一人。
二人。
三人。
段ボール。
買い物袋。
花束。
その先に、古いエレベーター。
扉は開いている。
でも誰も乗らない。
「故障ですか」
秩序ちゃんが聞いた。
「違います」
パン屋の店員が答えた。
手に、小さなメモ帳。
「順番に確認してます」
「何を?」
渾沌ちゃん。
「行き先です」
◇
先頭は、昨日の買い物袋の女だった。
「二階です」
店員が聞く。
「どこの二階ですか」
「診療所」
「どこの診療所ですか」
「駅前」
「駅は?」
女が止まる。
「駅前です」
「駅名です」
「……いつもの駅」
「名前は?」
「知らないです」
店員が困った顔をした。
「それだと間違えるかもしれないので」
女も困った顔をした。
「昨日は着いたんですけど」
渾沌ちゃんが秩序ちゃんを見る。
「増えてる」
「はい」
「聞くこと」
「はい」
◇
「誰に教わりましたか」
秩序ちゃん。
「昨日、ここで」
店員が答える。
「一階がいっぱいあるって話してたでしょう」
「聞いていましたか」
「荷物運びながら」
「それで?」
「間違えないように、ちゃんと聞こうと思って」
メモ帳を見せる。
《階》
《建物》
《地域》
《目的》
《会う人》
《帰り先》
渾沌ちゃんが読む。
「多っ」
「昨日、あなたたちも細かく聞いてたじゃないですか」
秩序ちゃんはメモを見る。
否定しなかった。
「はい」
◇
列の二人目。
花束を持った男。
「どちらへ?」
「姉のところ」
「建物は?」
「知らない」
「何階ですか」
「知らない」
「地域は?」
「知らない」
「お姉さんのお名前は?」
男は答えた。
エレベーターが。
ごと。
少し動いた。
全員が見る。
「今、動いた」
渾沌ちゃん。
「はい」
「もう分かってるんじゃない?」
店員がメモを見る。
「でも確認が」
「何の?」
店員は止まった。
◇
秩序ちゃんが男へ聞く。
「お姉さんのところへ行きたいですか」
「はい」
「別の場所へ着いた場合、戻ってこられますか」
「たぶん」
「急ぎますか」
「今日中なら」
「分かりました」
秩序ちゃんは扉から離れた。
「乗ってください」
「それだけ?」
店員。
「今、必要なのはそれだけです」
男が乗る。
「姉のところ」
扉が閉まった。
箱が上がる。
途中で。
横へずれた音がした。
渾沌ちゃんが笑う。
「姉、横にいる」
「階数で移動しているとは限りません」
「昨日からずっとエレベーターって呼んでるけどね」
◇
三人目。
大きな段ボールを抱えた配送員。
「PANDEMONIUMの倉庫」
店員が聞く。
「何階ですか」
「知りません」
「中身は?」
「聞く必要あります?」
「重さは?」
「十八キロ」
秩序ちゃんが箱を見る。
床。
段ボール。
扉の幅。
「十八キロなら問題ありません」
「中身は?」
店員がもう一度聞く。
配送員の眉が動いた。
「それ、エレベーターに必要ですか」
沈黙。
渾沌ちゃんが小声で言う。
「怒った」
「当然です」
秩序ちゃん。
「え、そっち?」
「必要性を説明できない質問はしないでください」
◇
店員がメモ帳を閉じた。
「でも、足りなくて間違えたら?」
「足りなければ追加で聞きます」
「最初から聞けば早いでしょう」
「今、早いですか」
廊下。
列。
四人に増えている。
最後尾の人が時計を見る。
店員も見た。
「……遅いです」
「はい」
「でも安全に」
「安全に必要なことは聞いてください」
「どれが必要か分からないから全部聞いてるんです」
秩序ちゃんは答えなかった。
昨日。
自分も似たことをした。
分からないから。
待った。
今日は。
分からないから。
聞いている。
どちらも。
止める理由にはできる。
◇
扉が戻った。
開く。
花束の男はいない。
代わりに。
小さな男の子が立っていた。
一人。
赤いリュック。
「どこから来たの?」
渾沌ちゃんが聞く。
男の子は答えない。
「名前は?」
答えない。
「お父さんお母さんは?」
答えない。
秩序ちゃんが渾沌ちゃんの肩を軽く引いた。
「増やさないでください」
「でも迷子かも」
「そうかもしれません」
秩序ちゃんはしゃがまない。
近づきすぎない。
「ここで降りたいですか」
男の子が首を横に振った。
「まだ乗りますか」
頷く。
「誰かと一緒ですか」
少し考えて。
頷く。
木の椅子。
座面が沈んでいた。
男の子の隣。
誰も見えない場所で。
◇
「あ」
渾沌ちゃん。
店員がメモ帳を開きかける。
秩序ちゃんが止めた。
「今は不要です」
「でも、この子がどこへ」
「一人ではありません」
「見えませんよ」
「椅子が沈んでいます」
「それだけで?」
秩序ちゃんは男の子を見る。
「一緒にいる人と、このまま行きたいですか」
頷く。
「困ったら、ここへ戻ってこられますか」
男の子は分からない顔をした。
質問を変える。
「戻りたい時、戻る場所は分かりますか」
頷く。
「では、扉を閉めます」
男の子が手を振った。
渾沌ちゃんも振る。
扉が閉まる。
◇
「名前、聞かなかった」
「はい」
「どこ行くかも」
「はい」
「いいの?」
「今、止める理由がありませんでした」
「迷子だったら?」
「その可能性は残っています」
「怖くない?」
「怖いです」
渾沌ちゃんが黙る。
秩序ちゃんは閉じた扉を見る。
「怖いから全部聞く、にはしません」
◇
正午。
列はなくなった。
パン屋の店員はメモ帳を破らなかった。
捨てもしなかった。
「これ、どうすればいいです?」
「持っていてください」
「使うんですか」
「必要な時は」
「必要って?」
秩序ちゃんはページを見る。
《階》
《建物》
《地域》
《目的》
《会う人》
《帰り先》
鉛筆で。
一番上に一行だけ足した。
《今、何が分かれば動けるか》
「また増えた」
渾沌ちゃん。
「一行増えました」
「減らす話じゃなかった?」
「質問を減らすための一行です」
「ほんと?」
「使って確認してください」
◇
午後一時十三分。
最初の女が戻ってきた。
買い物袋。
「帰りたいです」
店員がメモ帳を見る。
「今、何が分かれば動けるか」
読む。
女を見る。
「帰るところ、分かりますか」
「はい」
「じゃ、どうぞ」
「駅名は?」
渾沌ちゃんが横から聞く。
店員が首を振った。
「いらないです」
「おお」
女が乗る。
「いつもの家」
箱が動いた。
◇
午後二時。
花束の男が戻った。
花束はない。
「会えた?」
渾沌ちゃん。
「会えました」
「どこだった?」
「海の近く」
「何階?」
「分かりません」
「住所は?」
「知りません」
「姉ちゃんの名前だけで?」
「はい」
渾沌ちゃんが秩序ちゃんを見る。
「足りたね」
「今回は」
「次も?」
「次は次です」
「便利な答え」
「便利に使わないでください」
◇
午後三時。
椅子が沈んだ。
店員は何も聞かず、次を待った。
三時十分。
大きな台車が来た。
重量だけ聞いた。
三時二十七分。
初めて来た女が「友達のところ」と言った。
箱が動かなかった。
「友達の名前、分かりますか」
一つ聞いた。
動いた。
三時四十分。
「三階」とだけ言った男。
箱が動いた。
誰も。
「どこの三階ですか」とは聞かなかった。
必要になるまで。
◇
閉店前。
メモ帳はエレベーターの横に置かれていた。
札にはしなかった。
壁にも貼らなかった。
「みんなに教えないの?」
渾沌ちゃん。
「何をですか」
「聞きすぎないこと」
「教えると、聞かなさすぎるかもしれません」
「めんどくさ」
「はい」
「正解、書けないね」
「書かなくていいです」
扉が開く。
中には誰もいない。
椅子も沈んでいない。
二人で乗る。
渾沌ちゃんが壁へ言った。
「客席」
動かない。
「PANDEMONIUMの客席」
動かない。
「昨日の帰るとこ」
動かない。
「えー」
秩序ちゃんが聞く。
「今、どこへ行きたいですか」
「休憩室」
「なぜですか」
「お腹すいた」
ごと。
箱が動いた。
渾沌ちゃんが笑う。
「理由まで聞いた!」
「不要でした」
「自分でやってるじゃん」
「はい」
「減らせてない」
秩序ちゃんは少し黙った。
「次は聞きません」
扉が開く。
休憩室。
テーブルの上に。
バーガーが二つ置いてあった。
「誰の?」
渾沌ちゃんが聞く。
秩序ちゃんは答えかけた。
やめた。
「食べてよいかだけ、確認しましょう」




