第51話「待っている人がいるなら、理由まで同じとは限りません」
日曜日。
午前九時十七分。
秩序ちゃんと渾沌ちゃんは、搬入口へ行かなかった。
「ほんとに見ないの?」
「今日は見ません」
「鈴鳴ってても?」
「見ません」
「板なくなってても?」
「見ません」
「ちょっと見たい」
「昨日、私たちがいなくても待てていました」
「だから?」
「私たちがいると、私たちを待つかもしれません」
渾沌ちゃんは廊下の角から、搬入口の方を見た。
「見ないって難しいね」
「こちらへ来てください」
◇
今日の仕事は二階だった。
客席でもない。
厨房でもない。
細い廊下。
突き当たりに、古いエレベーターが一基。
扉の上に数字はない。
呼び出しボタンもない。
「これ動くの?」
「昨日までは使っていません」
「今日は?」
「荷物を運ぶ予定です」
床に段ボール。
紙ナプキン。
洗剤。
空のトレー。
「普通だ」
「普通の荷物です」
「エレベーターは?」
「まだ分かりません」
渾沌ちゃんが扉を叩く。
こん。
中から。
こん。
こん。
二回返った。
二人とも止まった。
「……昨日のやつ?」
「決めないでください」
◇
扉が開いた。
中に誰もいない。
狭い箱。
灰色の床。
鏡なし。
奥に、木の椅子が一脚。
「荷物用なのに椅子ある」
「後から置かれたようです」
座面がへこんでいる。
長く使われている。
渾沌ちゃんが段ボールを持つ。
「乗せよ」
「待ってください」
「なんで?」
秩序ちゃんは椅子を見る。
「誰かが使っている可能性があります」
「誰もいないよ」
「そう見えます」
「昨日みたいに?」
「昨日と同じとは限りません」
◇
午前九時二十五分。
廊下を、パン屋の店員が通った。
「あ、開いてる」
「このエレベーターを知っていますか」
「知ってますよ」
「使いますか」
「たまに」
「いつから?」
「前から」
渾沌ちゃんが椅子を指す。
「これ誰の?」
「さあ」
「座る人いる?」
「いますよ」
「誰?」
「分かりません」
「また!」
店員が笑った。
「一階で待ってると、たまに乗ってくるんです」
「見える?」
「見える時もあります」
「見えない時も?」
「ありますね」
秩序ちゃんが聞く。
「見えない時、どう判断していますか」
「椅子が下がるから」
「座面が?」
「はい」
◇
三人で見る。
椅子。
何もない。
数秒。
ぎ。
座面が沈んだ。
渾沌ちゃんが息を止める。
「いる」
「可能性があります」
「これはいるでいいでしょ」
店員が段ボールを持ち上げた。
「じゃ、次にします」
「乗せないんですか」
「座ってる時は狭いから」
店員は普通に荷物を下ろした。
扉が閉まる。
箱が下がる音。
◇
「知ってたんだ」
「何をですか」
「待つの」
「搬入口より前からですね」
「じゃ昨日の鈴、広がったんじゃない?」
「違う可能性があります」
「でも二回ノックしたよ」
「それも確認します」
「誰に?」
「使っている人に」
「見えないよ」
「だから、必要なことだけです」
◇
十時三分。
エレベーターが戻った。
扉が開く。
椅子は空いている。
座面も戻っている。
秩序ちゃんが扉を二回叩いた。
こん。
こん。
返事なし。
「二回じゃないんだ」
「そうですね」
渾沌ちゃんが一回。
こん。
下から。
ごん。
「返った!」
「音源は不明です」
「じゃ三回」
「増やさないでください」
段ボールを積む。
二人も乗る。
扉が閉まる。
ボタンはない。
「どうやって下行くの?」
「店員さんは何もしていませんでした」
「じゃ待つ?」
「はい」
待つ。
動かない。
十秒。
二十秒。
「行かない」
「そうですね」
渾沌ちゃんが椅子を見る。
「座る?」
「なぜですか」
「さっき座ったら動いたんじゃない?」
「それは利用者が乗った後です」
「じゃ試す」
座る。
ぎ。
扉が開いた。
「開いた」
「降りてください」
「なんで?」
「今の動作は、移動ではなく扉を開ける条件かもしれません」
「便利じゃん」
「目的地へ着いていません」
◇
廊下に出る。
荷物も戻す。
「エレベーターなのに使えない」
「使い方を知らないだけです」
「パン屋さんは?」
「聞きましょう」
店員を探す。
いない。
「帰った?」
「仕事中でしょう」
「じゃ待つ?」
秩序ちゃんが止まった。
「何を待ちますか」
「パン屋さん」
「何のために?」
「使い方聞くため」
「荷物は急ぎますか」
「知らない」
洗剤。
紙ナプキン。
空のトレー。
秩序ちゃんは伝票を見る。
十一時まで。
「四十分あります」
「じゃ待てる」
「はい」
◇
十時十九分。
女の子が来た。
黄色い帽子。
「何してるの?」
「エレベーター待ってる」
渾沌ちゃんが言う。
「来てるじゃん」
「使い方が分かりません」
秩序ちゃん。
「乗れば?」
「乗りました」
「動かなかった?」
「はい」
「椅子座った?」
「渾沌ちゃんが」
「開いたでしょ」
二人が見る。
「知ってるの?」
「うん」
女の子は箱へ入った。
椅子には座らない。
奥の壁へ手を置く。
「何階?」
「一階です」
「じゃ、一階」
壁へ言う。
扉が閉まった。
箱が下がった。
◇
「しゃべるの!?」
渾沌ちゃん。
「そのようです」
「ボタンないもんね」
「あなたは知っていたんですか」
「おばあちゃんに教わった」
「おばあちゃん?」
「パン屋の近くの」
「森さん?」
「違うよ」
「また知らない人!」
女の子は笑った。
「ここのエレベーター、待つ人がいたら先に行かせるんだよ」
「椅子が沈んだら?」
「それも」
「ノック二回は?」
「何それ」
渾沌ちゃんが秩序ちゃんを見る。
「違った」
「はい」
◇
一階。
扉が開く。
そこは厨房ではなかった。
狭い物置。
古い棚。
掃除道具。
小麦粉の袋。
外から雨の音。
「ここどこ?」
女の子が首を傾げる。
「私の一階じゃない」
「あなたの一階は?」
「パン屋の裏」
秩序ちゃんが扉を押さえる。
「戻ります」
「なんで?」
「荷物の配送先ではありません」
「でも一階って言ったよ」
「一階が一つとは限りません」
女の子が外を見る。
「雨だ」
今日は晴れていた。
PANDEMONIUM側では。
◇
扉が閉まる前。
廊下から声がした。
「待って!」
知らない女。
買い物袋を二つ持っている。
走ってくる。
渾沌ちゃんが扉を押さえた。
「乗る?」
「お願いします」
女が乗る。
椅子を見る。
空いている。
座らない。
「どこまで?」
女の子が聞く。
「二階」
「どこの?」
女が止まる。
「え?」
「二階、いっぱいあるよ」
「……駅前の二階」
「駅前の何?」
「診療所」
箱が動いた。
上へ。
◇
渾沌ちゃんが笑う。
「女の子の方が詳しい」
「はい」
「私たち、何階って聞かなかったね」
「はい」
「一階って一個だと思った?」
秩序ちゃんは少し黙った。
「思いました」
「言った」
「言います」
「珍しい」
「必要なので」
◇
扉が開く。
白い廊下。
消毒液の匂い。
受付。
診療所。
「ここです」
女が降りる。
「ありがとう」
女の子が手を振る。
扉が閉まる。
「次どこ?」
「PANDEMONIUMの一階です」
秩序ちゃん。
箱は動かない。
「足りない?」
渾沌ちゃん。
「可能性があります」
「PANDEMONIUM BURGERの一階」
動かない。
「店の厨房横」
動かない。
女の子が言った。
「帰るとこって言えば?」
「曖昧です」
「でも、さっき駅前の診療所で行ったよ」
秩序ちゃんは壁を見る。
ボタンなし。
地図なし。
階数表示なし。
必要なのは。
正しい住所ではないのかもしれない。
「私たちが、荷物を持ってきた場所へ戻してください」
箱が下がった。
◇
午前十時四十六分。
二階の廊下へ戻った。
「二階じゃん」
渾沌ちゃん。
「私たちにとっては、ここが戻る場所でした」
「じゃ階数いらない?」
「必要な場合もあるでしょう」
「また増えた」
「何がですか」
「聞くこと」
秩序ちゃんは段ボールを持ち直した。
「減らすために、増やすこともあります」
「難しい」
「私も今、そう思っています」
◇
パン屋の店員が戻ってきた。
「あれ、まだ荷物ここですか」
「使い方は分かりました」
「なら運べますね」
「配送先が分かりません」
「一階でしょう?」
「どこの一階ですか」
店員が止まった。
「ああ」
「知っていましたか」
「たまに間違えます」
「なぜ先に言わなかったんですか」
「聞かれなかったので」
渾沌ちゃんが笑った。
「またそれ!」
店員も笑う。
「PANDEMONIUMの倉庫って言えば着きますよ」
「倉庫は一階ですか」
「たぶん」
「たぶん?」
「着けば分かります」
◇
十時五十三分。
三人で乗る。
女の子は帰った。
椅子は空いている。
「PANDEMONIUMの倉庫へお願いします」
秩序ちゃんが言う。
箱が動く。
下へ。
横へ。
一度、斜めに傾いた。
「エレベーターだよね?」
「今は質問しないでください」
「怖い?」
「荷物を押さえてください」
「はいはい」
ごと。
止まる。
扉が開いた。
倉庫。
見慣れた棚。
洗剤置き場。
「着いた」
「はい」
◇
荷物を下ろす。
十一時二分。
二分遅れ。
「間に合わなかった」
渾沌ちゃん。
「はい」
「待ちすぎた?」
秩序ちゃんは時計を見る。
「違います」
「じゃ何?」
「何を待つか、間違えました」
「パン屋さん?」
「はい」
「待たなくてよかった?」
「それも違います」
渾沌ちゃんが眉を寄せる。
「どっち」
「待つ理由を、昨日から借りました」
「昨日?」
「搬入口では、見えない利用者が渡り終わるまで待つ必要がありました」
「うん」
「ここでは、椅子が沈んでいる間は待つ意味がありました」
「うん」
「でも使い方が分からないから人を待つことは、別です」
「聞ける人が来るまで待った」
「はい。自分たちで確認できることを残したまま」
渾沌ちゃんは少し考えた。
「待つの、正解じゃないんだ」
「行くのも、正解ではありません」
「じゃ何が正解?」
「今、何を待っているのか確認することです」
◇
午後。
二人は搬入口を見に行かなかった。
代わりに。
エレベーターを使う人を何人か見た。
椅子が沈んでいる時。
待つ人。
相乗りする人。
「乗っていいですか」と聞く人。
何も聞かず、次を待つ人。
目的地を階数で言う人。
店名で言う人。
人の名前で言う人。
「母のところ」と言って着く人。
一度も同じではなかった。
でも。
誰かが中にいる時。
扉を無理に閉める人はいなかった。
◇
午後四時。
渾沌ちゃんが言った。
「鈴、いらないね」
「ここにはありません」
「なくても待てる」
「はい」
「二回ノックも」
「不要です」
「板も」
「ありません」
「じゃ昨日と全然違う」
「はい」
「でもちょっと同じ」
秩序ちゃんは椅子を見る。
誰もいない。
座面は上がっている。
「そうですね」
「何が?」
「相手を同じにする必要はありません」
「うん?」
「待つ理由だけ、見つければいいです」
◇
閉店前。
エレベーターが開いた。
椅子が沈んでいる。
誰も見えない。
渾沌ちゃんが乗ろうとした。
止まる。
「待つ?」
「何を待ちますか」
秩序ちゃんが聞く。
渾沌ちゃんは椅子を見る。
「この人が降りるの」
「なぜですか」
「狭いから」
「はい」
二人は待った。
扉が閉まる。
少しして。
戻ってくる。
開く。
椅子は上がっていた。
「今度は?」
「乗れます」
二人で入る。
渾沌ちゃんが壁へ言った。
「帰るとこ」
秩序ちゃんがすぐ言う。
「PANDEMONIUMの客席です」
「細かい!」
「必要です」
箱が動く。
扉が閉まる直前。
廊下の向こうから誰かが走ってきた。
「待って!」
渾沌ちゃんが扉を押さえる。
秩序ちゃんは時計を見なかった。
知らない人が乗る。
「ありがとうございます」
「どこ行くの?」
「帰るところです」
渾沌ちゃんが笑った。
「どこの?」
扉が閉まった。




