第48話「直した道を、直した人だけのものにしないでください」
木曜日。
午前六時十五分。
金属板が、曲がっていた。
「壊れた?」
渾沌ちゃんがしゃがむ。
「いいえ」
秩序ちゃんは端を指した。
昨日はまっすぐだった板が、搬入口の外側へ二十センチ伸びている。
固定ボルトも増えていた。
四本から六本。
黒い六角ナットはない。
代わりに。
板の先に、小さな車輪止めが付いていた。
「改造されてる」
「そのようです」
「誰が?」
「分かりません」
渾沌ちゃんが笑った。
「昨日と同じだ」
「同じとは限りません」
板を踏む。
動かない。
昨日より、頑丈だった。
◇
六時二十三分。
きい。
見えない車輪が来た。
止まる。
「これ、やった?」
渾沌ちゃんが聞く。
こん。
一回。
「やったんだ」
秩序ちゃんが板を見る。
「なぜ変更しましたか」
沈黙。
「危険だった?」
こん。
「昨日の形が?」
こん。
「どこが?」
沈黙。
渾沌ちゃんが板の先へ回った。
「あ」
しゃがむ。
床に細い傷。
昨日、見えない車輪が通った線より外側。
「ここ、落ちた?」
こん。
秩序ちゃんも見る。
三センチの段差を越えた先。
昨日の板は、通路の幅いっぱいではなかった。
二百二十キロには耐えた。
でも。
車輪が少し外へ振れれば、片側だけ落ちる。
「耐荷重しか確認していませんでした」
秩序ちゃんが言った。
返事はない。
「ごめん」
渾沌ちゃん。
こん。
◇
午前七時。
若い配送員が来た。
「広くなってる」
「昨夜、変更されたようです」
「誰に?」
「利用者です」
「業者じゃなくて?」
「はい」
女は台車を押した。
ごと。
昨日より滑らかに通る。
「こっちの方がいいですね」
「そうですか」
「昨日、端ぎりぎりだったんで」
秩序ちゃんが止まる。
「昨日、気づいていましたか」
「まあ」
「なぜ言わなかったんですか」
「通れたから」
女は振り返る。
「直す人がいると思ってなかったし」
◇
午前九時。
パン屋の店員が来た。
粉袋を積んだ台車。
「あ、これ助かる」
「幅ですか」
「はい。前のだと曲がる時ちょっと怖かったんです」
「昨日言ってよ!」
渾沌ちゃん。
「昨日は仮設って言ってたでしょう」
「言いました」
秩序ちゃん。
「だから今日なくなると思ってました」
店員は普通に渡った。
「なくなる物に注文つけても仕方ないかなって」
◇
午前十時。
二人は板の前に座った。
「いっぱい知ってたね」
「はい」
「私たち以外」
「はい」
渾沌ちゃんが昨日の札を読む。
《耐荷重 二百二十キロまで確認》
「間違ってないよね」
「間違ってはいません」
「でも足りなかった」
「はい」
「じゃ、何書く?」
秩序ちゃんは鉛筆を持った。
止まる。
札を外した。
「書かないの?」
「別のものにします」
◇
持ってきたのは。
白いチョークだった。
「それ?」
「はい」
秩序ちゃんは金属板の横の床へ線を引く。
一本。
板の幅より、さらに三十センチ外側。
「何の線?」
「変更してよい範囲です」
「勝手に?」
「はい」
渾沌ちゃんが目を丸くした。
「秩序ちゃんが言った」
「聞こえています」
「勝手にって」
「毎回、私たちの許可を待つ必要はありません」
「壊されたら?」
「条件を付けます」
板の横へ、小さな札。
《この線の内側は、使う人が変更できます》
《危なくなったら戻してください》
《分からなければ呼んでください》
渾沌ちゃんが読む。
「耐荷重は?」
「裏に残します」
《確認済 二百二十キロ》
「名前は?」
「不要です」
「誰が変えたかも?」
「不要です」
「昨日より雑じゃない?」
「昨日より任せています」
◇
昼。
最初に変えたのは配送員だった。
車輪止めを五センチ右へ。
「こっちの方が台車置きやすいです」
次。
パン屋の店員。
滑り止めテープを一本追加。
「雨の日、靴も滑るので」
午後一時。
知らない老人。
杖で板を二回叩いた。
「ここ、前より楽になったね」
「使ってたの?」
「昨日から」
「また知らない人!」
老人は笑って通った。
午後二時。
誰かが板の横へ取っ手を付けた。
誰かは見ていない。
午後三時。
取っ手に黄色い布が巻かれていた。
「増えてく」
「はい」
「止める?」
秩序ちゃんは板を見る。
昨日、自分たちが作ったもの。
今日、もう自分たちだけでは作れない形。
「いいえ」
◇
午後四時二十分。
問題が起きた。
金属板が動かなかった。
パン屋の店員が困っている。
「取っ手、引っかかってます」
配送員の台車を置きやすくした車輪止め。
老人の杖用らしい取っ手。
黄色い布。
全部ある。
そのせいで、粉袋の大きな台車が曲がれない。
「ほら!」
渾沌ちゃんが秩序ちゃんを見る。
「勝手に変えたから!」
「はい」
「戻す?」
「待ってください」
秩序ちゃんはパン屋の店員へ聞く。
「どれが邪魔ですか」
「取っ手です」
「外してよいですか」
「私に聞くんですか?」
「あなたが困っています」
「でも、付けた人は?」
分からない。
老人ももういない。
見えない車輪も来ていない。
渾沌ちゃんが取っ手を握った。
「外せるよ」
「外します」
「いいの?」
「はい」
秩序ちゃんがボルトを緩めた。
取っ手を外す。
粉袋の台車が通った。
「助かります」
◇
「誰かが困るかも」
渾沌ちゃんが外した取っ手を持っている。
「はい」
「昨日なら残した?」
「昨日なら、付けた人を探したと思います」
「今日は?」
「今困っている人を、待たせません」
「取っ手の人は?」
「戻ってきたら話します」
「怒るかも」
「その時は謝ります」
「戻してって言うかも」
「その時は、また考えます」
渾沌ちゃんが笑う。
「終わんないね」
「終わらせる必要がありますか」
「ないかも」
◇
閉店前。
取っ手は金属板の横へ置いた。
捨てない。
戻さない。
黄色い布も付いたまま。
渾沌ちゃんがチョークの線を見る。
朝より薄い。
台車。
靴。
杖。
何度も踏まれたから。
「明日、消えてるかも」
「引き直します」
「毎日?」
「必要なら」
その時。
きい。
見えない車輪が来た。
金属板を渡る。
取っ手のあった場所で、一度止まる。
「外したよ」
渾沌ちゃんが言った。
沈黙。
「困る?」
こん。
一回。
「困るんだ」
秩序ちゃんが立つ。
「では、明日一緒に考えます」
こん。
車輪が進む。
板を渡り切る。
少しして。
向こうから。
からん。
黒い六角ナットが一つ転がってきた。
渾沌ちゃんが拾う。
「これ、昨日の?」
「分かりません」
「取っとく?」
秩序ちゃんはチョークの線の内側を指した。
「そこへ置いてください」
渾沌ちゃんが置く。
黒いナット。
外した取っ手。
薄くなった白い線。
どれも。
誰か一人の完成品ではなかった。




