第42話「いない人のために、扉を開けておけますか」
こん。
こん。
こん。
午前十時二分。
灰色の扉の向こうにいたのは、女の子だった。
黄色い帽子。
赤いランドセル。
片方だけ、靴下が下がっている。
「こんにちは」
渾沌ちゃんが言った。
「こんにちは」
女の子は四人を見た。
「ここ、パン屋さん?」
「バーガーショップです」
「違った」
「何を探していますか」
秩序ちゃんが聞く。
「道」
女の子は扉の奥を指した。
そこにはPANDEMONIUMの客席がある。
「ここ通ると、早いの」
◇
「どこまで行きますか」
「おばあちゃんち」
「住所は?」
「知らない」
「道順は?」
「ここ通って、階段おりて、パン屋さんの横」
渾沌ちゃんが首を傾げた。
「パン屋さん、そっち?」
「うん」
「でもここ、朝はリネン室だよ」
「りねん?」
「シーツいっぱいあるとこ」
「知らない」
女の子は扉を振り返った。
向こう側。
細い路地。
白い塀。
自転車が一台。
リネン室ではなかった。
秩序ちゃんが時計を見る。
十時五分。
「この接続は初めてです」
「私は前から使ってるよ」
四人が女の子を見る。
「いつからですか」
「一年生のときから」
「今は?」
「三年生」
渾沌ちゃんが扉を見る。
「二年負けた」
「勝負ではありません」
◇
女の子は週に二回、この道を使っていた。
火曜日と金曜日。
学校が早く終わった日。
白い塀の路地から灰色の扉を開ける。
知らない店を横切る。
厨房脇の通路を抜ける。
階段を一つ降りる。
そこから出ると、パン屋の横だった。
「店の人には会いましたか」
「会うよ」
「誰ですか」
「いろいろ」
「私たちは?」
「今日初めて」
渾沌ちゃんが笑った。
「知らない店員いっぱいいるもんね」
「笑うところではありません」
「でも今日、違った」
女の子が言った。
「何が?」
「いつものドア、開かなかった」
◇
十時九分。
女の子に案内されて、四人は路地へ出た。
灰色の扉。
外から見ると、白い塀にはまっている。
三メートル先。
もう一枚。
同じ灰色の扉があった。
「増えてる」
「違います」
秩序ちゃんが近づく。
二枚目には、小さな札。
《5:45-6:00》
渾沌ちゃんが黙った。
「……こっち?」
「おそらく」
取っ手を引く。
開かない。
「接続停止中ではありません」
「でも札あるよ」
「時間外です」
「じゃ、なんで開かないの?」
秩序ちゃんは答えなかった。
女の子が一枚目を指す。
「今日、こっちにドアができてたから、叩いた」
「いつものは?」
「開かなかった」
◇
PANDEMONIUMへ戻る。
新しい紙。
《5:45-6:00 接続停止》
《理由:リネン搬送経路の確保》
《現在の利用者:未確認期間中》
《変更希望:扉を三回叩く》
渾沌ちゃんが紙を見る。
「これ貼ったから?」
「断定できません」
「でも、貼る前は女の子の道があった」
「はい」
「貼ったあと、なくなった」
「はい」
「じゃ、かなり怪しい」
「かなり、は記録できません」
「怪しいは?」
「それもです」
女の子が椅子に座っている。
足が床に届かない。
「帰れない?」
「帰れます」
「どうやって?」
「普通の道」
「何分?」
「四十分くらい」
「ここだと?」
「五分」
四人が黙った。
◇
「十五分をやめる?」
渾沌ちゃんが聞く。
「それでは朝の搬送が困ります」
「じゃ、女の子の道を戻す?」
「方法が分かりません」
「紙剥がす?」
「それは試せます」
秩序ちゃんが紙を剥がした。
十秒。
二十秒。
灰色の扉を開ける。
白い塀の路地。
変わらない。
「だめ」
「戻します」
紙を貼り直す。
女の子がランドセルを背負った。
「もう行く」
「待ってください」
「遅くなるから」
渾沌ちゃんが時計を見る。
十時十八分。
「送る」
「一人で行けるよ」
「四十分でしょ」
「うん」
「じゃ一緒に行こ」
「渾沌ちゃん」
「なに?」
「私も行きます」
「四人で?」
「二人です。向こうの私たちは、扉を確認してください」
女の子が笑った。
「店、いいの?」
「戻ります」
◇
三十七分だった。
信号が三つ。
長い坂が一つ。
踏切が一つ。
女の子は途中で二回走った。
「走らないでください」
「赤になる」
「次を待ちます」
「長いよ」
「転ぶより短いです」
渾沌ちゃんが後ろから走る。
「秩序ちゃん、赤になるよ!」
「走らないでください!」
三人とも赤で止まった。
女の子が笑う。
「店の中なら信号ないのに」
秩序ちゃんは何も言わなかった。
◇
古いアパート。
二階。
女の子が呼び鈴を押した。
しばらくして、年配の女性が出た。
「遅かったね」
「道なくなった」
「道?」
「お店の」
女性は少し考えた。
「ああ」
それだけだった。
「ご存じですか」
秩序ちゃんが聞く。
「ええ。あの子が一年生の頃から」
「止めたことは?」
「ありませんよ」
「危険だと思いませんでしたか」
「最初はね」
女性は女の子の帽子を取った。
「でも、あの道があるから、この子は一人で来られたんです」
「誰かに許可を取りましたか」
「誰に?」
秩序ちゃんは答えられなかった。
◇
帰り道。
渾沌ちゃんが言った。
「知らなかったね」
「はい」
「二年間」
「はい」
「女の子も、私たちのこと知らなかった」
「はい」
「でも使ってた」
秩序ちゃんは踏切の向こうを見る。
「使っている人が、いつも話し合いの席にいるとは限りません」
「じゃ、どうやって聞くの?」
遮断機が上がる。
「聞けない人がいる前提にします」
「それ、ずるくない?」
「何がですか」
「いない人なら、何でも言えるじゃん。『きっと困る』とか」
秩序ちゃんが止まった。
「……そうですね」
「だからさ」
渾沌ちゃんは歩きながら言った。
「勝手に代わりに決めるんじゃなくて、戻ってこられるようにしとけば?」
◇
午後一時。
灰色の扉の横。
紙が一枚増えた。
《この扉の使い方を変更するとき》
《現在ここにいない利用者がいる可能性があります》
《変更前の状態を、戻せる形で残してください》
渾沌ちゃんが読む。
「戻せなかったら?」
「変更しません」
「絶対?」
「緊急時を除きます」
「じゃ、緊急って誰が決める?」
秩序ちゃんがペンを止める。
「増やさないでください」
「出てきたんだもん」
その下。
《5:45-6:00 接続停止》
これは残った。
ただし。
《三日後を目安に再確認》
赤い文字が加わった。
さらに、その横。
黄色い小さな札。
《火・金 10:00ごろ》
《通学路の利用者あり》
《復旧方法 未確認》
「名前書かないの?」
「書きません」
「なんで?」
「利用者が変わっても、必要が消えるとは限らないからです」
渾沌ちゃんは少し考えた。
「じゃ、女の子が六年生になって使わなくなったら?」
「確認します」
「中学生になったら?」
「確認します」
「おばあちゃんが引っ越したら?」
「確認します」
「ずっと?」
秩序ちゃんは黄色い札を見る。
「必要がなくなったことも、確認するまでは分かりません」
◇
午後二時四十七分。
こん。
こん。
こん。
また三回。
「変更希望?」
渾沌ちゃんが走る。
扉を開けた。
誰もいない。
白い塀。
自転車。
足元に。
黄色い帽子が置いてあった。
「あ」
渾沌ちゃんが拾う。
内側に、油性ペン。
《あしたもつかいます》
秩序ちゃんが隣に立つ。
「明日、土曜日だけど」
「学校じゃないね」
「はい」
「予定、変わったね」
「はい」
渾沌ちゃんが帽子を被ろうとする。
「返してください」
「ちょっとだけ」
「返してください」
取り上げる。
黄色い札の《火・金》を、秩序ちゃんは消した。
代わりに。
《使う日 未固定》
そして少し迷ってから。
《次に来る人へ》
と書いた。
帽子を扉の取っ手へ掛ける。
今ここにいない人のための場所が。
初めて。
扉のこちら側にできた。




