第40話「十五分だけなら、毎日でも短いですか」
午前六時。
こん。
渾沌ちゃんが笑った。
「今ならいいよ」
返事はなかった。
「……あれ?」
もう一度。
こん。
静か。
秩序ちゃんが時計を見る。
六時一分。
「向こうから叩いたのでは?」
「叩いたよね?」
「一回だけです」
「じゃ、返したのに」
「返事とは限りません」
「でも昨日は返ってきた」
「昨日と今日が同じとは限りません」
「便利な言い方」
「確認です」
六時三分。
こん、こん。
渾沌ちゃんが二回返す。
扉が十センチ開いた。
向こうの渾沌ちゃんがいた。
息を切らしている。
「おはよ」
「どうしたの?」
「運んでた」
「何を?」
向こうの秩序ちゃんが、段ボール箱を抱えて通った。
箱の底が少し濡れている。
「おはようございます」
「何それ?」
「冷凍品です」
「なんで持ってるの?」
「運んでいるからです」
「それは見れば分かる」
こちらの秩序ちゃんが扉へ近づく。
「通常は、どこから搬入していますか」
向こうの秩序ちゃんが止まった。
「この扉です」
四人とも黙った。
◇
向こう側。
床に箱が七つ。
冷凍パティ。
バンズ。
紙カップ。
油。
洗剤。
ストロー。
紙袋。
「毎朝?」
「はい」
「何時?」
「五時五十分前後です」
こちらの秩序ちゃんが時計を見る。
「五時四十五分から六時」
「はい」
「昨日決めた時間と重なっています」
「はい」
「言ってください」
向こうの秩序ちゃんが箱を床へ置いた。
「昨日、同意しました」
「それと、困っていることは別です」
「困るとは言っていません」
向こうの渾沌ちゃんが横から言う。
「私は困った」
「渾沌ちゃん」
「だって重いし」
「手伝いました」
「手伝っても重いよ」
「……そうですね」
こちらの渾沌ちゃんが箱を一つ持つ。
「重っ」
「持たなくていいです」
「これ毎日?」
「昨日からです」
「昨日も?」
「はい」
「なんで言わなかったの?」
向こうの秩序ちゃんが答える。
「十五分ですから」
◇
「十五分だったよ」
こちらの渾沌ちゃんが言った。
「何がですか」
「昨日も、二十三分だった」
向こうの秩序ちゃんが見る。
「何の話ですか」
こちらの秩序ちゃんが説明した。
毎朝。
四十秒だった道。
二十三分の遠回り。
十二袋。
階段。
来ないエレベーター。
向こうの二人は黙って聞いた。
「だから十五分、こっちを閉じた」
渾沌ちゃんが言う。
「そしたら、そっちが運ぶことになった」
「正確には」
向こうの秩序ちゃん。
「搬入経路が使えないため、別の搬入口から運びました。所要時間は十八分です」
「十五分じゃないじゃん」
誰も答えなかった。
◇
箱を運んだ。
四人で。
冷凍品は冷凍庫へ。
バンズは棚。
油は厨房。
洗剤はバックヤード。
最後の一箱。
こちらの秩序ちゃんが持ち上げる。
「これは?」
「予備の包材です」
「どこへ」
「二階」
「二階あるの?」
こちらの渾沌ちゃん。
「こちらにはあります」
階段を上る。
箱の角が手のひらへ食い込む。
二階。
棚。
置く。
こちらの秩序ちゃんは手を見る。
赤い線が二本ついていた。
「痛い?」
「少し」
「十八分って、こういう十八分なんだね」
「……はい」
◇
「じゃ、時間ずらす?」
向こうの渾沌ちゃんが言った。
「搬入を六時にすればいいじゃん」
「開店に間に合いません」
「じゃ五時半」
「配送が来ていません」
「五時四十四分」
「一分で七箱は無理です」
「シーツの人をずらす?」
こちらの渾沌ちゃん。
「毎朝の業務です」
「だよね」
「配送側をずらす?」
「配送側にも業務があります」
「だよね」
「では」
こちらの秩序ちゃんが言う。
「誰かが運ぶ必要があります」
「誰?」
四人。
顔を見合わせる。
向こうの秩序ちゃんが言った。
「こちらで運びます」
「なんで?」
「こちらの搬入ですから」
「でも閉じてって頼んだの、こっちだよ」
「同意したのはこちらです」
「じゃ半分?」
「箱を?」
「日を」
渾沌ちゃんが指を折る。
「今日そっち。明日こっち」
「こちらから毎朝来るということですか」
「うん」
「五時半に?」
「……うん」
「起きられますか」
「そこ?」
「重要です」
こちらの秩序ちゃんが言った。
「私も来ます」
「秩序ちゃんも?」
「あなた一人では七箱を任せられません」
「信用ないなあ」
「実績です」
◇
翌朝。
午前五時三十二分。
「眠い」
「知っています」
「暗い」
「朝です」
「帰りたい」
「来たばかりです」
二人は灰色の扉の前にいた。
向こうから。
こん。
開く。
向こうの渾沌ちゃん。
「ほんとに来た」
「来ると言いました」
「渾沌ちゃんは?」
「いる」
壁にもたれて寝ていた。
「起きてください」
「起きてる」
「目を開けて」
「それ昨日も聞いた」
「昨日は私が言われた!」
◇
五時四十八分。
配送が来た。
七箱。
今日は、こちらの二人が運ぶ。
一箱目。
重い。
二箱目。
冷たい。
三箱目。
底が滑る。
四箱目。
渾沌ちゃんがくしゃみをした。
「落とさないで!」
「落としてない!」
五箱目。
五時五十三分。
「あと七分」
「急いでください」
「急いでる!」
六箱目。
五時五十六分。
七箱目。
二人で持つ。
「重い!」
「持ち上げて!」
「持ってる!」
五時五十九分。
床へ置く。
どん。
四人で時計を見る。
六時。
向こうの秩序ちゃんが扉へ手を掛けた。
「閉じます」
「うん」
「十五分後に」
「またね」
閉まる。
かちり。
◇
扉の向こう。
女が台車を押してきた。
ノブを回す。
白い棚。
蛍光灯。
リネン室。
四つの車輪。
がたん。
通る。
その十五分だけ。
誰もPANDEMONIUMへ来なかった。
◇
六時十五分。
扉が開いた。
こちらの渾沌ちゃんは床に座っていた。
「もう無理」
「一日目です」
「一日で分かった」
「何がですか」
「毎日は長い」
秩序ちゃんは手のひらを見る。
昨日の赤い線。
今日、もう一本増えた。
「はい」
向こうの秩序ちゃんが紙を持ってきた。
白い注文票。
《5:45-6:00 接続停止》
《搬入担当》
《月・水・金 こちら》
《火・木・土 そちら》
《日 相談》
「日曜だけ弱い」
「決めていませんから」
「休みにしよ」
「配送があります」
紙を扉へ貼る。
向こうの渾沌ちゃんがペンを取った。
《寝坊したら起こす》
「消してください」
「大事じゃん」
こちらの渾沌ちゃんも書く。
《重い箱は二人》
「それは残します」
「こっちはいいんだ」
こちらの秩序ちゃんが最後に書いた。
《十五分を使う人》
《通行者》
その下。
《十五分を支える人》
四人を見る。
名前を書く。
秩序。
渾沌。
秩序。
渾沌。
向こうの渾沌ちゃんが笑った。
「同じ名前ばっか」
「四名です」
向こうの秩序ちゃんが言う。
第38話の画面にあった文字。
《登録者 四名》
あの時は、遊びに来るための名前だった。
今は。
箱を運ぶための名前でもあった。
「これ、いつまで?」
渾沌ちゃんが聞く。
秩序ちゃんは答えようとして。
やめた。
空欄にはしなかった。
《次回見直し 七日後》
「一週間?」
「まずは」
「長いなあ」
「十五分だけですよ」
渾沌ちゃんが笑った。
「毎日ね」
扉の向こうで。
配送箱を置く音がした。
どん。
四人とも。
今度は、それが何分の音なのか知っていた。




