第38話「そっちから押したら、こっちでは引いたことになりますか」
扉の向こう。
朝。
こちら。
夜。
四人の間に、開いた扉が一枚あった。
「これ、そっちに動かしていい?」
向こうの渾沌ちゃんが聞いた。
こちらの渾沌ちゃんが答える。
「いいよ」
「待ってください」
二人の秩序ちゃんが同時に言った。
「どっち?」
渾沌ちゃんも同時だった。
四人が黙る。
向こうのフライヤーが鳴った。
じゅう。
こちらの厨房は冷えている。
「まず」
こちらの秩序ちゃんが言う。
「扉から手を離してください」
向こうの秩序ちゃんも言う。
「まず、扉から手を離してください」
「同じこと言ってる」
「そっちもね」
二人の渾沌ちゃんが笑った。
「笑わないでください」
また重なった。
「やりづらい!」
今度は渾沌ちゃんまで重なった。
◇
扉は立っていた。
壁はない。
枠もない。
こちら側では、閉店後の客席。
向こう側では、開店前の客席。
同じ場所に見える。
ただし。
こちらから扉の右を見ると、壁際の三番テーブル。
向こうから右を見ると、レジカウンター。
「そっち、扉どこにあるの?」
こちらの渾沌ちゃんが聞いた。
「厨房の前」
「こっちは客席」
「じゃ動いてるじゃん」
「まだ誰も動かしていません」
こちらの秩序ちゃん。
「でも場所違うよ?」
「最初から異なる可能性があります」
向こうの秩序ちゃんが言った。
「こちらでは、開店時から厨房前にありました」
「昨日は?」
「ありません」
「こっちは昨日からあるよ」
「正確には、昨日発生しました」
「細かい」
「必要です」
こちらの秩序ちゃんが端末を出す。
向こうも同じことをした。
二台。
画面。
《境界移動 保留》
《移動主体 双方》
《移動方向 未確定》
「双方?」
渾沌ちゃんが扉を指す。
「まだ動かしてないよ」
「希望しただけです」
向こうの渾沌ちゃん。
《移動主体 双方》
変わらない。
こちらの秩序ちゃんが眉を寄せた。
「意思だけで主体になる?」
「昨日までは、実際の操作を記録していました」
向こうの秩序ちゃんも端末を見る。
「こちらでは違います」
「どう違うんですか」
「《移動要求 受理済》になっています」
「誰の要求を?」
「そちらです」
こちらの渾沌ちゃんが自分を指した。
「私?」
「たぶん」
「私、いいよって言っただけだよ」
「それです」
◇
「じゃ、やめる」
こちらの渾沌ちゃんが言った。
「何をですか」
「いいよって言ったの」
「撤回するという意味ですか」
「うん」
端末。
《移動要求 受理済》
「消えない」
「撤回します、と言ってください」
「撤回します」
《移動要求 受理済》
「だめじゃん」
「では私から」
こちらの秩序ちゃんが扉へ向く。
「先ほどの同意を撤回します」
《移動要求 受理済》
「私、同意してないよ?」
「あなたが先に答えたでしょう」
「いいよって」
「それが同意です」
「でも秩序ちゃん止めたじゃん」
「止めました」
「じゃ、いいよじゃなくなったじゃん」
「私が止めただけです」
「二人で決めるんじゃないの?」
秩序ちゃんが止まる。
向こう側。
もう一人の秩序ちゃんも、こちらを見ていた。
「こちらも」
向こうの秩序ちゃんが言った。
「同じ問題が起きています」
「そっちも?」
「渾沌ちゃんが『動かしていい?』と聞きました」
「うん」
「私は止めました」
「うん」
「でも、そちらの渾沌ちゃんが許可しました」
「うん」
「誰の許可が必要なのか、決まっていません」
「じゃ全員で決めよ」
向こうの渾沌ちゃんが言った。
「さんせーい」
こちらの渾沌ちゃん。
二人の秩序ちゃんは答えなかった。
「ほら、二対二」
「多数決の話ではありません」
また重なった。
◇
午前なのか。
午後なのか。
四人には分からなくなった。
こちらの時計は午後十一時十八分。
向こうは午前六時十八分。
秒針だけは同時に進む。
扉を閉めようとした。
閉まらなかった。
こちらから押す。
向こうへ動く。
向こうの渾沌ちゃんが受け止める。
「重っ」
「押さないで!」
「そっちが押したんじゃん!」
「閉めようとしたんです!」
「こっちでは開いたよ!」
こちらの秩序ちゃんが手を離す。
扉が止まる。
斜め。
こちらから見れば半分閉じている。
向こうから見れば半分開いている。
「……これ」
渾沌ちゃんが言った。
「閉めると開くんだ」
「方向が反転しています」
「じゃ、そっちから閉めて」
「待ってください」
「また?」
「閉じた結果、こちらで全開になる可能性があります」
「じゃ全開にしたら閉じる?」
「試さないでください」
向こうの渾沌ちゃんが、もうノブを握っていた。
「遅い」
「渾沌ちゃん!」
引く。
扉が大きく動く。
こちら側。
ばたん。
閉まった。
四人が消えた。
◇
「……」
夜。
二人。
客席。
扉は閉じている。
「閉まった」
渾沌ちゃんが言った。
「はい」
「開ける?」
「待ってください」
「向こう困ってない?」
「それを確認する方法がありません」
扉。
こん。
二人が見る。
こん。
こん。
「困ってる」
「推測です」
こんこんこんこん。
「絶対困ってる」
「……開けます」
こちらの秩序ちゃんがノブを握る。
「待って」
「何ですか」
「開けたら、向こうでは閉まるんじゃない?」
手が止まる。
こんこんこん。
「でも開けないと」
「うん」
「開けたら閉じる」
「たぶん」
「では、どうすれば」
こん。
一回。
少し間。
こん、こん。
「なんかやってる」
「合図?」
こん。
一回。
こん、こん。
二回。
こん、こん、こん。
三回。
「数えてる」
渾沌ちゃんが床へしゃがむ。
「一、二、三」
こん。
「一」
こん、こん。
「二」
こん、こん、こん。
「三」
こん、こん、こん、こん。
「四」
止まった。
「四人?」
「可能性はあります」
こちらの秩序ちゃんが扉を一度叩く。
こん。
向こうから。
こん。
「返ってきた!」
「聞こえています」
こちらから二回。
こん、こん。
向こうから二回。
こん、こん。
「会話できる」
「最低限ですが」
渾沌ちゃんが扉を三回叩く。
向こうも三回。
笑う。
「これ楽しい」
「遊ばないでください」
渾沌ちゃんは四回叩いた。
向こう。
四回。
そのあと。
一回。
二回。
三回。
四回。
こちらの秩序ちゃんが扉へ近づく。
「数ではないかもしれません」
「じゃ何?」
「順番です」
「何の?」
秩序ちゃんは考える。
一回。
二回。
三回。
四回。
四人。
順番。
「一人ずつ、何かを確認したい?」
扉の向こうから一回。
「当たり?」
「分かりません」
「一回返ってきたよ」
「それを肯定と決めないでください」
渾沌ちゃんは少し考えた。
扉を一回叩く。
自分を指す。
「私、一番」
「向こうには見えません」
「あ」
◇
紙を使った。
注文票。
こちらの渾沌ちゃんが書く。
《1 渾沌》
「名前でいいでしょう」
「順番つけたい」
扉の下。
隙間はない。
「入らないね」
「当然です」
「じゃ上?」
「やめてください」
渾沌ちゃんが注文票を扉の上へ載せようとする。
背伸び。
届かない。
秩序ちゃんが横から取った。
「貸してください」
「届く?」
「あなたよりは」
「ちょっとだけじゃん」
「黙ってください」
扉の上端。
紙を挟む。
押す。
半分。
消えた。
「いった」
向こうから。
紙が戻ってくる。
裏に文字。
《1 渾沌》
同じ。
「私だ」
「どちらの?」
「……あ」
向こうからもう一枚。
《2 秩序》
こちらの秩序ちゃんが見る。
「向こう側の二人ですね」
「じゃ私たちは三と四?」
「そう決めたようです」
こちらの渾沌ちゃんが書く。
《3 渾沌》
秩序ちゃん。
《4 秩序》
二枚を送る。
返ってこない。
代わりに。
こん。
一回。
こん、こん。
二回。
こん、こん、こん。
三回。
こん、こん、こん、こん。
四回。
「全員いる」
「はい」
「じゃ、開ける?」
秩序ちゃんはすぐには答えなかった。
「四人とも開けたいなら」
「うん」
「開けてもいい」
「うん」
「ただ、こちらが開ければ、向こうでは閉じます」
「うん」
「同じ操作が、同じ意味になりません」
「じゃ」
渾沌ちゃんが扉を見る。
「操作じゃなくて、やりたいこと合わせれば?」
秩序ちゃんが見る。
「開ける、じゃなくて」
渾沌ちゃんは指を二本立てた。
「会う」
◇
注文票。
《目的 四人が同じ場所にいる》
送る。
少しして戻る。
下に。
《同意》
その下。
《ただし「同じ場所」の定義は未確認》
「秩序ちゃんだ」
「でしょうね」
「細かい」
「必要です」
こちらの秩序ちゃんが追記する。
《互いに触れられる》
送る。
戻る。
《同意》
渾沌ちゃん。
《顔が見える》
戻る。
《同意》
秩序ちゃん。
《帰還可能》
戻る。
《同意》
「いっぱいあるね」
「開ける、の一語よりは安全です」
「でも最後は開けるんでしょ?」
「……そうですね」
四枚目。
《実行方法 未指定》
送る。
返ってきた。
《同意》
「方法決めないの?」
「目的が同じなら、同じ操作をする必要はありません」
「じゃこっちは?」
「こちらからは」
秩序ちゃんがノブへ手を置く。
「開けます」
向こうから。
こん、こん。
二回。
「向こうは?」
「分かりません」
「いいの?」
「向こうが決めます」
渾沌ちゃんが笑った。
「それ、けっこう怖くない?」
「はい」
「やる?」
「やります」
◇
「三」
渾沌ちゃん。
「二」
向こうから。
こん、こん。
「一」
こん。
秩序ちゃんがノブを回す。
引いた。
重い。
動かない。
「秩序ちゃん!」
「分かっています!」
両手。
扉が軋む。
向こう側からも音。
押しているのか。
引いているのか。
分からない。
床。
扉の下から細い光が伸びる。
朝の白。
こちらの夜へ。
「もうちょい!」
「押さないで!」
「押してない!」
「では何を!」
「手伝ってる!」
渾沌ちゃんが秩序ちゃんの腰を後ろから掴む。
「それを押していると言うんです!」
「引いてるよ!」
扉が一センチ動く。
向こう側。
朝。
二センチ。
フライヤーの音。
三センチ。
向こうの渾沌ちゃんの指。
隙間から見える。
「いた!」
「まだ!」
五センチ。
向こうの秩序ちゃんの青いリボン。
十センチ。
四人の顔。
「開いた!」
こちらの渾沌ちゃんが手を伸ばす。
向こうも。
指先。
触れた。
その瞬間。
扉が止まった。
◇
開口。
十センチ。
それ以上、動かない。
「狭い」
「目的は満たしています」
「同じ場所じゃないよ」
「互いに見えます」
「触れる」
向こうの渾沌ちゃんが隙間から指を出す。
こちらの渾沌ちゃんがつつく。
「痛い」
「同じだ」
「何が?」
「分かんない」
二人で笑う。
秩序ちゃんたちは笑わない。
端末。
《移動要求 完了》
《実行結果》
《接続 成立》
《位置統合 未実施》
《四者同意 維持》
「完了?」
渾沌ちゃんが聞く。
「目的を『扉を移動する』から変更したからでしょう」
「会えればいいって?」
「少なくとも今回は」
向こうの秩序ちゃんが、隙間の向こうから言った。
「こちらも同じ表示です」
「じゃ、これでいい?」
向こうの渾沌ちゃん。
こちらの秩序ちゃんは十センチの隙間を見る。
「不便です」
「閉める?」
「それでは会えません」
「広げる?」
「動きません」
「じゃ、これでいいじゃん」
「……今は」
◇
四人で朝食を食べた。
正確には。
向こうは朝食。
こちらは夜食。
十センチの隙間からポテトを渡す。
通る。
バーガー。
横にすると通る。
コーヒー。
「無理」
「傾けないでください!」
「まだ傾けてない!」
紙コップは通らない。
向こうの渾沌ちゃんがストローを差した。
「これなら?」
隙間。
ストローだけ通る。
こちらの渾沌ちゃんが吸う。
「ぬるい」
「そっち夜だからじゃない?」
「関係ある?」
「知らない」
秩序ちゃんが自分のコーヒーを差し出した。
「こちらを飲んでください」
「いいの?」
「こぼされるよりは」
渾沌ちゃんが受け取る。
一口。
「こっちもぬるい」
「……そうですか」
向こうの二人が笑った。
◇
午前六時五十二分。
午後十一時五十二分。
向こうは開店準備。
こちらは帰宅。
「そろそろ閉める?」
こちらの渾沌ちゃん。
「閉じられるか確認します」
「また開いちゃうかもよ」
「その場合は、また考えます」
向こうの秩序ちゃんが言った。
「こちらからは触りません」
「なんで?」
「そちらが閉じたいからです」
「そっちは?」
「開店します」
「会ってたい?」
向こうの渾沌ちゃんが横から言った。
「私は会ってたい」
「私も」
こちらの渾沌ちゃん。
二人の秩序ちゃんを見る。
「秩序ちゃんは?」
こちらの秩序ちゃんが少し黙った。
「帰る必要があります」
「それ答えじゃないよ」
「……また開けられるなら」
十センチの向こう。
もう一人の自分を見る。
「閉じても構いません」
向こうの秩序ちゃんが頷いた。
「私もです」
「じゃ閉めよ」
四人。
誰も扉へ触れない。
「誰が?」
渾沌ちゃん。
「こちらが」
秩序ちゃん。
「勝手に?」
「いいえ」
向こうを見る。
「閉じます」
「はい」
「また開けます」
「はい」
「必要なら」
「必要でなくても開けていい?」
向こうの渾沌ちゃんが聞いた。
こちらの秩序ちゃんが止まる。
「遊びに来たい時とか」
「……業務に支障がなければ」
「やった」
「今決めるんだ」
こちらの渾沌ちゃんが笑う。
「何ですか」
「なんでも」
◇
扉を閉める。
今度は軽かった。
十センチ。
五。
三。
一。
向こうの渾沌ちゃんが最後まで指を出している。
「挟みますよ」
「はいはい」
引っ込む。
閉まる。
かちり。
静かになった。
端末。
《接続 終了》
《四者同意 終了》
その下。
《次回接続》
《許可不要》
秩序ちゃんの指が止まった。
「え」
渾沌ちゃんが覗く。
《理由》
《相互訪問》
「登録した?」
「していません」
「向こう?」
「分かりません」
「でもさ」
渾沌ちゃんが扉を軽く叩く。
「いいんじゃない?」
「何がですか」
「遊びに来ても」
秩序ちゃんは画面を見る。
《許可不要》
消そうとして。
やめた。
「消さないの?」
「はい」
「なんで?」
「許可を不要にしたのが誰か、分かりません」
「じゃ危ないじゃん」
「そうですね」
「なら消す?」
「いいえ」
秩序ちゃんは《入口》をポケットへ戻した。
「次に開いた時、聞きます」
「誰に?」
「向こうの私たちに」
渾沌ちゃんは少し笑った。
「信用してる?」
「確認すると言っています」
「はいはい」
二人で店を出る。
扉は客席に残した。
壁のないところに。
◇
朝。
向こう側。
渾沌ちゃんが扉を叩いた。
こん。
返事はない。
「寝たかな」
「七時間差がありますから」
「開ける?」
「今日はやめてください」
「なんで?」
「向こうは午前零時です」
「じゃ明日?」
「業務に支障がなければ」
「約束ね」
「許可です」
「似たようなもんじゃん」
「違います」
渾沌ちゃんが離れる。
秩序ちゃんは扉の前に残った。
端末。
《次回接続》
《許可不要》
《理由》
《相互訪問》
その下に。
こちらにはなかった一行。
《登録者》
秩序ちゃんは画面を見る。
数秒。
渾沌ちゃんを呼ばなかった。
《四名》




