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第35話「分けておく理由を、私たちが決めないでください」


 昼すぎ。


 三番テーブルに、女の子が二人座っていた。


 同じ顔だった。


 同じ服。


 同じ髪留め。


 違うのは、注文だけ。


「チーズバーガー」


「てりやき」


 渾沌ちゃんがレジから顔を上げた。


「別々でいい?」


 二人は同時に首を振った。


「一つにしてください」


 秩序ちゃんのペンが止まった。


 ◇


「セットを一つ、という意味ですか」


 秩序ちゃんが確認する。


「違います」


 右の女の子。


「私たちを」


 左の女の子。


「一人に戻してください」


 店内は昼の音で満ちていた。


 トレーが擦れる音。


 氷。


 揚げ油。


 窓際の笑い声。


 三番テーブルだけ、少し静かだった。


 渾沌ちゃんが二人の間へしゃがむ。


「もともと一人?」


「はい」


「たぶん」


 答えが分かれた。


 二人が互いを見る。


 右が言う。


「ほら」


 左が唇を噛む。


「だから嫌なんです」


 秩序ちゃんは端末を開いた。


《来店者 2》


《識別差分 維持中》


《境界状態 安定》


《要補正 0》


「安定しています」


「知っています」


 右の子が言った。


「昨日からずっとです」


「昨日?」


 渾沌ちゃんが聞く。


「家に帰っても二人でした」


 左の子が膝の上で手を握る。


「お母さんが、二人分のお皿を出しました」


「受け入れてくれたんだ」


「違います」


 右の子が早く言った。


「泣きながらです」


 ◇


 二人は、昨日までは一人だった。


 少なくとも二人とも、そう覚えていた。


 朝、目を覚ます。


 ベッドの左右に一人ずつ。


 どちらも同じ家を知っている。


 同じ母親を知っている。


 同じ学校。


 同じ友達。


 同じ昨日。


 でも。


「私はチーズが好きです」


 右。


「私は、昨日まで嫌いだったと思います」


 左。


「私は犬が怖い」


「私は平気です」


「数学は」


「好き」


「嫌い」


 渾沌ちゃんが指を折る。


「けっこう違うね」


「増えてるんです」


 左の子が言った。


「朝は、好きな食べ物だけでした」


「昼には、友達の好き嫌いが違いました」


 右。


「さっき、ここへ来る途中で」


 左。


「帰りたい道まで違いました」


 二人とも黙った。


 秩序ちゃんが端末を見る。


《識別差分 増加中》


《境界状態 安定》


《現状 成立》


 昨日、自分たちが登録した言葉だった。


 渾沌ちゃんも見た。


「成立してるね」


「はい」


「でも困ってる」


「はい」


 秩序ちゃんは画面を閉じた。


 ◇


「一人になったあと、何をしたいですか」


 右の子はすぐ答えた。


「家に帰りたい」


 左は少し遅れた。


「お母さんに、一人でただいまって言いたい」


 秩序ちゃんは何も書かなかった。


 ◇


 午後一時四十分。


 二人の間に、細い線が見えた。


 テーブルの木目が、その線だけ避けている。


 右のトレーは右へ。


 左のトレーは左へ。


 塩の粒さえ越えない。


 紙片を線の上へ置く。


 真ん中で裂けた。


 音もなく。


《境界保護 有効》


《差異保全 有効》


《統合要求 検出》


 二人の女の子が顔を上げた。


「それです」


「押してください」


《差異保全を解除しますか》


《解除後の状態は保証されません》


 渾沌ちゃんが秩序ちゃんを見る。


「どうする?」


「確認します」


「何を?」


「本人の意思を」


「戻りたいです」


「私も」


「消える可能性があります」


「はい」


「記憶が失われる可能性があります」


「はい」


 秩序ちゃんの指が《解除》へ近づく。


 止まる。


「押さないの?」


「……確認が足りません」


「何が?」


「戻したいという意思が、境界の影響を受けていない保証がありません」


 右の子の顔が強張った。


「じゃあ、どうしたら信じてもらえるんですか」


「一人の時の私を連れてくればいいですか」


 秩序ちゃんが黙る。


「いませんよ」


 左の子が言った。


「だから来たんです」


 ◇


 渾沌ちゃんが秩序ちゃんを厨房の入口まで引っ張った。


「止めるの?」


「安全を確認できません」


「じゃ、分けたまま?」


「それが最も可逆性があります」


「二人、嫌だって」


「分かっています」


 渾沌ちゃんが一センチずれた壁紙を指す。


「昨日、困ってないなら残したじゃん」


「はい」


「今日は困ってるよ」


「だからこそ慎重に」


「慎重って、誰のため?」


 秩序ちゃんが止まる。


「消えたら困るから?」


「はい」


「誰が?」


「……本人が」


「本人は戻してって言ってる」


 秩序ちゃんは三番テーブルを見た。


 二人の女の子。


 もう違う。


 だから残す。


 それは昨日までなら、正しい判断だった。


「私、残すことを安全だと思っていました」


「うん」


「違いますね」


「残すことにも、結果があります」


「うん」


 ◇


 秩序ちゃんは三番テーブルへ戻った。


「一つ、訂正します」


「統合後の安全は確認できません」


 右の子が俯く。


「ただし、分離を維持した場合の安全も確認できません」


 二人が顔を上げる。


「なので、私が安全な方を決めるのはやめます」


「今、どちらを選びますか」


「戻ります」


「戻りたいです」


「分かりました」


 《解除》。


 押した。


 ◇


 何も起きなかった。


《差異保全 解除》


《境界保護 解除》


 線はある。


 二人もいる。


「解除しただけです。統合する機能ではありません」


「では、どうすれば」


 秩序ちゃんも分からなかった。


 渾沌ちゃんが二人へ言う。


「触ってみる?」


 右の子が手を出す。


 左も。


 線の上。


 指先が触れた。


 裂けない。


 手のひら。


 指を絡める。


「……あったかい」


「私も」


 線が少し薄くなった。


 二人の女の子が立つ。


 手を繋いだまま。


 一歩。


 線を越える。


 肩が触れる。


 重ならない。


「一人にならない」


 右が言った。


 左の目に涙が溜まる。


「なんで」


「分かりません」


「失敗?」


 渾沌ちゃんが聞く。


 女の子たちは手を離していなかった。


「もう一回、やります」


「どうやって?」


「分かりません」


「でも、さっきまで触れなかったから」


「帰るまでに考えます」


 ◇


 注文は二つになった。


 チーズバーガー。


 てりやき。


 二人がそう頼んだから。


 食べながら、少しずつ交換した。


「そっち、おいしい?」


「一口いる?」


「いる」


「どう?」


「好きかも」


「私はチーズ、やっぱり嫌い」


「えー」


 さっきより違っていた。


 さっきより近かった。


 ◇


 帰る時。


「また来てもいいですか」


「もちろん」


 渾沌ちゃんが答える。


「一人になってても?」


「もちろん」


「二人のままでも?」


「もちろん」


「私が答える前に全部答えないでください」


「違う?」


「……違いません」


 二人が笑った。


「じゃあ、帰ります」


「二人で?」


 二人は顔を見合わせた。


「今は」


「二人で」


 手を繋ぐ。


 外へ出た。


 ◇


 閉店後。


《継ぎ目 4》


《要補正 0》


《統合要求 1》


《判断根拠:現状で成立している》


 秩序ちゃんは最後の一行を消した。


「消すの?」


「不足しています」


「じゃ何にする?」


 入力。


《判断根拠》


《当事者が境界を必要としているか》


 保存。


《境界の目的を指定してください》


《差異保全》

《安全確保》

《識別維持》

《観測継続》


 秩序ちゃんは選ばなかった。


「ない?」


「ありません」


「追加する?」


「いいえ」


「なんで?」


 秩序ちゃんは一センチずれた壁紙を見る。


 三番テーブル。


 二センチ出た椅子。


 それから、自動ドアの向こう。


 もう見えない二人。


「目的まで、こちらで決める必要はありません」


 画面を閉じた。


 渾沌ちゃんが鍵を鳴らす。


 ちん。


「帰ろっか」


「はい」


 二人で外へ出る。


 端末は消えなかった。


《境界の目的》


 空欄。


 その下だけが埋まっていた。


《必要とする者》


《未指定》

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