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第33話「終わっていない仕事を、終わったことにしないでください」


「ポテト、もう一個揚げよっか」


「帰宅中です」


「いるじゃん」


「表示上は、です」


 午前三時四十三分。


 閉店したPANDEMONIUM。


 客席の照明は半分だけ点いている。


 渾沌ちゃんはカウンターへ頬杖をつき、秩序ちゃんは隣で端末を睨んでいた。


《現在していること》


《秩序 帰宅中》

《渾沌 帰宅中》


 二人とも店内にいる。


「じゃ帰ろ」


「待ってください」


「帰宅中なんでしょ?」


「だから確認します」


「帰りながら?」


「……その言い方はやめてください」


 渾沌ちゃんが笑った。


 その時。


 厨房で音がした。


 ぴぴっ。


 フライヤーのタイマー。


 二人とも顔を上げる。


「揚がった?」


「揚げていません」


「じゃ、帰宅中の私?」


「候補を増やさないでください」


 厨房へ入る。


 フライヤーは冷えていた。


 油面は黒く静かで、熱気もない。


 なのにタイマーだけが点滅している。


《00:00》


 渾沌ちゃんがボタンを押した。


「渾沌ちゃん」


「止めただけ」


 表示が消える。


 直後。


 背後で、紙の擦れる音。


 作業台。


 何も置いていなかった場所に、ポテトの紙容器があった。


 空。


 底に塩が数粒。


「食べたあとだ」


「誰がですか」


「帰宅中の私?」


「それを便利な分類にしないでください」


 秩序ちゃんは容器へ触れず、端末を向けた。


《商品提供 完了》


《フライドポテト 1》


《担当 渾沌》


「私、作ってないよ」


「はい」


「食べてもない」


「商品提供です。食べた人物については記録がありません」


「お客さんいた?」


 端末。


《来店 0》


《注文 0》


《会計 0》


《商品提供 1》


 渾沌ちゃんが空の容器を覗いた。


「注文されてないのに、作って渡した?」


「記録上は」


「誰に?」


 答えはなかった。


◇


 異常は、厨房だけではなかった。


 客席の三番テーブル。


 椅子が一脚引かれている。


《清掃 完了》


 テーブルにはコーヒーの輪染みが残っていた。


「終わってないじゃん」


「はい」


 秩序ちゃんが布巾で拭く。


 一往復。


 輪染みが消える。


《清掃 未完了》


「逆になった」


「……そうですね」


 もう一度拭く。


《清掃 完了》


 布巾を離す。


《清掃 未完了》


 渾沌ちゃんが指で輪を描く。


「触ってみていい?」


「何にですか」


「完了」


「触れるものではありません」


「最近そういうの多いじゃん」


 指先をテーブルへ置く。


 何も起きない。


「ほら」


「何が、ほら、ですか」


 渾沌ちゃんが椅子を押し込んだ。


 がたん。


《清掃 完了》


「できた」


「椅子ですか?」


「たぶん」


 秩序ちゃんは椅子を三センチ引く。


《清掃 未完了》


 戻す。


《清掃 完了》


 二人で椅子を見る。


「清掃じゃないね」


「はい」


「椅子しまう仕事?」


「それも違います」


 秩序ちゃんは隣の四番テーブルの椅子を引いた。


 表示は変わらない。


 三番だけ。


「この席について、何かが終わったかどうかを判定しています」


「何かって?」


「分かりません」


「じゃ、終わったって誰が決めてるの?」


 秩序ちゃんは答えず、確認項目を増やした。


《完了条件:不明》


《判定主体:不明》


 保存。


 二行とも消えた。


 代わりに。


《確認 完了》


「……それも終わった」


「便利じゃん」


「非常に困ります」


◇


 午前四時十一分。


 二人は店中の「完了」を集めた。


《売上集計 完了》


 金額が合っていない。


《廃棄処理 完了》


 ゴミ袋が厨房に残っている。


《施錠 完了》


 裏口は開く。


《在庫確認 完了》


 冷蔵庫の牛乳が一本、記録にない。


《勤務 完了》


 二人とも働いている。


「終わったことだけ増えてく」


 渾沌ちゃんが牛乳を冷蔵庫へ戻す。


「正確には、完了という状態が先行しています」


「やる前に終わる?」


「そう見えます」


「便利じゃん」


「二回目ですね」


「だって、仕事しなくていいよ」


 秩序ちゃんが渾沌ちゃんを見る。


「本気ですか」


「ちょっとだけ」


「では試します」


「え」


 秩序ちゃんは床に置いてあったゴミ袋を指した。


「廃棄処理は完了しています」


「うん」


「捨てなくてよいと?」


「……臭くなるね」


「はい」


「捨てよっか」


「そうしてください」


「完了って役に立たないじゃん」


「その可能性が高いです」


 渾沌ちゃんが袋を持ち上げる。


 底が床を離れた瞬間。


《廃棄処理 未完了》


「あ」


「今は正しいですね」


「持ったら戻った」


「では置いてください」


「やだよ。捨てる」


 渾沌ちゃんが歩き出す。


 五歩。


《廃棄処理 進行中》


「増えた!」


「止まってください」


 渾沌ちゃんが止まる。


《廃棄処理 進行中》


「歩いてください」


 一歩。


《廃棄処理 進行中》


「戻って」


「忙しいなあ」


 一歩戻る。


《廃棄処理 進行中》


「方向は関係ない?」


「少なくとも一歩では」


 渾沌ちゃんが袋をその場に置いた。


《廃棄処理 未完了》


「分かった」


「何がですか」


「私がやってる間だけ、途中になる」


 秩序ちゃんの指が止まった。


 端末を見る。


 渾沌ちゃんを見る。


「もう一度持ってください」


「捨てていい?」


「持つだけ」


「捨てたい」


「あとで」


 渾沌ちゃんが袋を持つ。


《廃棄処理 進行中》


「置いて」


《廃棄処理 未完了》


「持って」


《廃棄処理 進行中》


「秩序ちゃん、これ楽しい?」


「いいえ」


「ちょっと楽しそう」


「いいえ」


◇


 秩序ちゃんはレジへ戻った。


 売上。


《売上集計 完了》


 数字は二百円ずれている。


 秩序ちゃんがレシートを一枚取る。


《売上集計 進行中》


 置く。


《売上集計 完了》


 取る。


《売上集計 進行中》


 渾沌ちゃんが横から覗いた。


「同じだ」


「はい」


「やってると途中になる」


「やめると完了します」


「さぼると終わる?」


「言い方はともかく」


 秩序ちゃんはレシートを持ったままにした。


《売上集計 進行中》


「つまり」


 数字を照合する。


「完了しているから、私たちがやめるのではありません」


 一枚違う。


 抜く。


「私たちがやめると」


 二百円。


 合った。


《売上集計 進行中》


「完了したことになる」


 渾沌ちゃんが眉を寄せた。


「逆じゃない?」


「はい」


 秩序ちゃんがレシートを置く。


《売上集計 完了》


「……気に入らないですね」


「私も」


「珍しいですね」


「だって」


 渾沌ちゃんはゴミ袋を見る。


「捨ててないのに、捨てたことになるの、やじゃん」


◇


 午前四時二十六分。


 忘れもの置き場。


 保管物は四十八。


 増えていない。


 ただ、棚の一角に見覚えのない紙が貼られていた。


《終了済》


「何が?」


 渾沌ちゃんが剥がそうとする。


「待ってください」


「はいはい」


 秩序ちゃんが端末を向ける。


《忘れもの置き場》


《運用状態 終了》


 部屋の奥では、赤い砂が瓶の底に残っている。


 青い靴。


 骨片。


 濡れたレシート。


《秩序/渾沌》の箱。


 何一つ消えていない。


「終わってないよ」


「はい」


「まだいっぱいある」


「はい」


「じゃ続ける?」


 秩序ちゃんはすぐに答えた。


「続けます」


《運用状態 再開》


 表示が変わった。


 二人とも黙る。


「今のは簡単だったね」


「ええ」


「続けるって言っただけ」


「……そうですね」


 秩序ちゃんは部屋の奥へ目を向けた。


 例の箱。


《本人扱い禁止》


《対象:店外の二名》


 その横に。


 新しいラベルがある。


《確認済》


「これも?」


 渾沌ちゃんがしゃがむ。


「触らないでください」


「触んない」


 箱の中から声はしない。


 秩序ちゃんがラベルを見る。


《確認済》


「何を確認したんでしょう」


「開ける?」


「いいえ」


「じゃ確認できないよ」


「……はい」


「開けよ」


 渾沌ちゃんが蓋へ手を伸ばす。


 秩序ちゃんは止めなかった。


 二人で箱を開ける。


 制服。


 髪留め。


 青いリボン。


 二本の鍵。


 写真。


 全部ある。


 ただ。


 以前入っていた紙片。


《標準修繕手順 暫定版》


 それがない。


「なくなった」


 渾沌ちゃんが箱の底へ手を入れる。


「触らないでください」


「もう触った」


「……戻してください」


「ないものは戻せないよ」


 秩序ちゃんは端末を確認する。


《確認済》


《処理済》


《終了済》


 三つ並んでいる。


「何を処理したの?」


「分かりません」


「終わったから消えた?」


「逆かもしれません」


 秩序ちゃんは箱を見た。


「終わったことにしたから」


 空いた場所。


「なくなったのかもしれません」


◇


「じゃ、やばくない?」


 渾沌ちゃんが立った。


 今度は笑っていなかった。


「店が全部終わったことになったら?」


 秩序ちゃんが端末を見る。


《営業 終了》


「もうなってる」


「本日は閉店しています」


「違う」


 渾沌ちゃんが画面を指す。


「今日じゃなくて」


 表示。


《PANDEMONIUM》


《営業 終了》


 日付がない。


 二人とも動かなかった。


 換気扇の低音。


 冷蔵庫。


 遠くで、製氷機から氷が一つ落ちた。


 からん。


 照明が消えた。


 一列。


 もう一列。


「秩序ちゃん」


「動いてください」


「なにする?」


「何でもいいです」


「何でも?」


「仕事をしてください」


「今から?」


「今です」


 渾沌ちゃんが走った。


 厨房。


 バンズを一つ掴む。


《調理 進行中》


 照明が一列、戻る。


「秩序ちゃん!」


「続けて!」


 秩序ちゃんは端末を開く。


 記録。


《記録 進行中》


 もう一列。


 フライヤー。


 冷えていた油の下で、ヒーターが鳴る。


 渾沌ちゃんがパティを出す。


「誰の注文!?」


「ありません!」


「作っていいの!?」


「今は作ってください!」


「それ秩序ちゃんが言う!?」


「早く!」


 鉄板。


 肉が触れる。


 じゅっ。


 匂いが立った。


《営業 進行中》


「戻った!」


 渾沌ちゃんが笑う。


「まだです!」


《PANDEMONIUM》


《営業 進行中》


 自動ドアが開いた。


 外はまだ夜。


 誰もいない。


 でも店内へ、冷たい空気が流れ込む。


 紙ナプキンが一枚浮いた。


 客席へ落ちる。


 秩序ちゃんが椅子を引く。


「何してるの?」


「席を作ります」


「誰の?」


「決めていません!」


「それいい!」


 渾沌ちゃんがパティを返す。


 油が跳ねる。


 熱い。


 指を引く。


 それでも笑っている。


 バンズ。


 ソース。


 レタス。


 肉。


 包む。


「できた!」


《調理 完了》


 照明が一列消えた。


「あ」


「止めないで!」


「でもできた!」


「次を!」


「注文ないよ!」


「作らなくていいです!」


「じゃ何!?」


 秩序ちゃんが一瞬詰まった。


 渾沌ちゃんを見る。


「食べてください!」


「仕事じゃないじゃん!」


「いいから!」


 渾沌ちゃんが包みを開く。


 一口。


《食事 進行中》


 照明が戻った。


 二人とも画面を見る。


「それでもいいんだ」


「仕事である必要がない?」


 秩序ちゃんが端末から手を離した。


 表示が消えかける。


 慌ててもう一度触る。


「何かを、していれば」


 渾沌ちゃんがバーガーを噛む。


「終わらない?」


「少なくとも今は」


◇


 午前五時。


 二人は客席にいた。


 渾沌ちゃんはバーガー。


 秩序ちゃんは記録。


 食べ終わる前に、渾沌ちゃんがコーヒーを淹れた。


 秩序ちゃんが記録を書き終える前に、次の項目を作った。


 終わらせないために。


 何かを続ける。


「これ、ずっとやるの?」


「できません」


「眠い」


「私もです」


「終わったらだめ?」


 秩序ちゃんはペンを止めない。


「終わることが問題なのではありません」


「じゃ何?」


「終わっていないのに」


 一文字。


 一文字。


「終わったことにされるのが問題です」


「うん」


 渾沌ちゃんが残りのバーガーを見る。


 一口ぶん。


「じゃこれは終わらせる」


「どうぞ」


 食べる。


《食事 完了》


 何も消えない。


「大丈夫」


「はい」


 秩序ちゃんも記録の最後へ句点を打った。


《記録 完了》


 何も消えない。


 二人で待つ。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 店はある。


「終わった」


「はい」


「終わっていいんだ」


「自分で終えたものは」


 秩序ちゃんが端末を見る。


「残るようです」


 渾沌ちゃんは椅子へ背中を預けた。


「めんどくさい店」


「今さらです」


「帰る?」


 秩序ちゃんは時刻を見る。


 午前五時七分。


「帰りましょう」


 二人で立つ。


《勤務 完了》


 何も消えない。


 照明を落とす。


《閉店作業 完了》


 店は残る。


 自動ドアの前。


 渾沌ちゃんが立ち止まった。


「ねえ」


「何ですか」


「帰宅中、まだついてる?」


 秩序ちゃんが確認する。


《現在していること》


《秩序 帰宅中》

《渾沌 帰宅中》


「ついています」


「ずっと帰ってたね」


「表示上は」


「じゃ、やっと追いつく?」


 秩序ちゃんは少し考えた。


「そうかもしれません」


 二人で外へ出た。


 朝になる直前の空。


 自動ドアが閉まる。


 端末。


《現在していること》


《秩序 帰宅完了》

《渾沌 帰宅完了》


 その下に。


《継ぎ目担当 勤務完了》


 さらに。


《境界対応 完了》


 一秒。


 表示が消えた。


 代わりに。


《訂正》


《継ぎ目担当 継続中》


 誰もいない厨房で。


 フライヤーのタイマーが鳴った。


 ぴぴっ。

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