第31話「同じ場所に、二度帰らないでください」
閉店後、渾沌ちゃんはゴミを捨てに行った。
三十秒で戻ってきた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
秩序ちゃんは売上表から目を上げなかった。
自動ドアが閉まる。
十秒後。
また開いた。
「ただいまー」
秩序ちゃんの指が止まった。
渾沌ちゃんが、外から入ってきた。
右手に空のゴミ袋。
「……渾沌ちゃん」
「なに?」
「今、どこから来ましたか」
「ゴミ捨て場」
「その前は」
「ここ」
「戻った記憶は?」
「今戻ったじゃん」
厨房を見る。
もう一人の渾沌ちゃんはいない。
ただ。
作業台の上に、さっき置いたはずのトングが二本あった。
◇
「もう一度、外へ出ないでください」
「出ないよ」
「確認です」
「出ないって」
秩序ちゃんは時刻を記録する。
《21:14:08 渾沌 帰店》
《21:14:48 渾沌 帰店》
監視映像。
一回目。
渾沌ちゃんが入る。
二回目。
渾沌ちゃんが入る。
その間。
一回目の渾沌ちゃんは、厨房へ歩いていく。
画面の端から消える。
戻ってこない。
「私、どこ行った?」
「映像上は厨房です」
二人で厨房へ行く。
誰もいない。
フライヤーは停止済み。
床は乾いている。
冷蔵庫の扉に、指で書いた跡があった。
《ただいま》
内側から。
「これ私?」
「筆跡では判定できません」
「冷蔵庫入った覚えないよ」
「それは安心しました」
「そこ安心するとこ?」
◇
忘れもの置き場。
保管物は四十九になっていた。
「増えてる」
「昨日は四十八でした」
「新しい箱?」
「見当たりません」
棚を一段ずつ確認する。
赤い砂。
青い靴。
骨片。
例の箱。
《秩序/渾沌》
全部ある。
渾沌ちゃんが部屋の中央で一周した。
「四十九個ないよね」
「数えます」
四十八。
端末は四十九。
「透明?」
「候補としては残します」
「お、採用された」
「採用ではありません」
その時。
背後で。
「ただいま」
二人とも振り返った。
誰もいない。
渾沌ちゃんの声。
すぐ近く。
今度は秩序ちゃんも聞いていた。
《保管物 49》
数字が一度だけ点滅した。
◇
「私が保管された?」
「一部、という可能性があります」
「一部ってどこ」
「分かりません」
秩序ちゃんは端末へ項目を追加する。
《帰還回数》
《渾沌 2》
「二回帰ったら一個余る?」
「仮説です」
「じゃ秩序ちゃんもやってみよ」
「やりません」
「一回だけ」
「一回なら通常の帰還です」
「じゃ二回」
「なおさらやりません」
渾沌ちゃんは笑った。
笑い終わる前に。
忘れもの置き場の扉が開いた。
向こうは店ではなかった。
夜のゴミ捨て場。
さっき渾沌ちゃんがいた場所。
街灯。
灰色の収集箱。
濡れたアスファルト。
そして。
渾沌ちゃんがいた。
後ろ姿。
ゴミ袋を箱へ入れている。
「私だ」
「触れないでください」
「まだ捨ててる」
向こうの渾沌ちゃんが振り返る。
こちらを見る。
笑う。
歩いてくる。
「閉めます」
秩序ちゃんが扉を掴む。
「待って」
「何ですか」
「閉めたら、あれ帰れないよ」
「あなたは帰っています」
「でも、あっちも帰ろうとしてる」
足音が近づく。
ぱしゃ。
水たまり。
ぱしゃ。
「同じ私なら?」
「判断できません」
「違う私なら?」
秩序ちゃんの手が止まった。
これまでなら。
本人扱いを保留する。
差分を残す。
それで済んだ。
でも。
これは歩いてくる。
ここへ帰ろうとしている。
◇
「渾沌ちゃん」
「うん」
「あなたは今、帰りたいですか」
「もう帰ってる」
「そうではなく」
渾沌ちゃんは扉の向こうの自分を見た。
あと十歩。
「……あっちだったら、帰りたい」
「はい」
秩序ちゃんは扉を閉めなかった。
代わりに床へテープを貼る。
扉のこちら側。
《帰還先A》
「ダサい」
「今は必要です」
扉の向こう。
ゴミ捨て場側へ、もう一枚。
《帰還元A》
向こうの渾沌ちゃんが扉まで来る。
境目で止まった。
こちらの渾沌ちゃんと向かい合う。
同じ顔。
同じ服。
片方の手だけが違う。
向こうの右手には。
まだゴミ袋があった。
「それ、捨てたよ」
こちらの渾沌ちゃんが言う。
向こうが袋を見る。
「まだだよ」
声も同じ。
でも。
答えは違った。
◇
秩序ちゃんが二人の間へ立った。
「確認します」
「どっちに?」
二人同時。
「両方です」
秩序ちゃんは向こうの渾沌ちゃんへ。
「あなたは、どこへ帰るつもりでしたか」
「店」
「どの店ですか」
「ここ」
こちらの渾沌ちゃんにも。
「あなたは?」
「ここに帰った」
「同じですね」
「じゃ入れていい?」
「まだです」
「細かい」
二人同時。
秩序ちゃんが眉間を押さえた。
「増えると面倒ですね」
「ひど」
「ひど」
◇
端末が鳴った。
《帰還先A 占有済》
《追加帰還を実行した場合》
《差分処理が必要です》
《統合》
《上書き》
《保管》
渾沌ちゃん二人が画面を見る。
「全部やだ」
「全部やだ」
秩序ちゃんは選択肢を閉じた。
「では、帰還先を増やします」
「できるの?」
「昨日、入口が増えました」
「なるほど」
「理屈としては雑ですが」
二本の鍵。
《入口》
《出口》
秩序ちゃんが《入口》を床へ置く。
こちらの渾沌ちゃんが《出口》を取る。
「私がやる?」
「お願いします」
向こうの渾沌ちゃんが目を丸くした。
「それ私の鍵」
こちらの渾沌ちゃんが笑う。
「こっちではね」
二人で回す。
◇
店が、一瞬だけ二つになった。
壁ではない。
床でもない。
匂いが二つ。
揚げ油の残り香が、左右から同時に鼻へ届く。
換気扇の低音が半拍ずれる。
レジの待機灯が二箇所で点く。
同じPANDEMONIUM。
どちらも空いている。
《帰還先A》
《帰還先B》
「どうぞ」
向こうの渾沌ちゃんがBへ足を踏み出した。
一歩。
二歩。
振り返る。
「秩序ちゃん」
「はい」
「そっちの私、よろしく」
「あなたも、そちらの私にそう伝えてください」
「いるの?」
秩序ちゃんは答えなかった。
向こうの渾沌ちゃんも。
少し考えて。
「いるかも」
笑った。
店が閉じる。
匂いが一つになる。
◇
《帰還完了》
《差分処理:未実施》
《帰還先:2》
保管物。
《48》
「減った」
「はい」
「私、物じゃなくなった?」
「最初から物とは判定していません」
「四十九って数えてたじゃん」
「端末がです」
渾沌ちゃんは床の《帰還先A》を剥がす。
「これ捨てていい?」
「記録してから」
「はいはい」
秩序ちゃんは暫定手順へ一行足した。
《同一地点への帰還は、一回とは限らない》
渾沌ちゃんが読む。
「それ、注意になってる?」
「では」
少し考える。
《帰った者がいる時、次の帰還者を余りとしない》
「そっちがいい」
「採用します」
◇
帰る準備をする。
今度は二人一緒に自動ドアの前へ立った。
「一緒なら二回にならない?」
「人数と回数は別です」
「ほんと?」
「今日は確認したくありません」
「珍しい」
自動ドアが開く。
夜道。
二人で一歩、外へ出る。
ドアが閉まる。
店内は暗くなる。
誰もいない。
十秒後。
バックヤードの奥で。
ちりん。
忘れもの置き場の扉が開いた。
秩序ちゃんが一人、入ってきた。
「ただいま」




