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第24話「三十一名様、同時には入れません」


 椅子が三十一脚、壁を向いていた。


 誰も座っていない。


 なのに。


 店内は、満席より狭かった。


 秩序ちゃんは客席中央に立ち、椅子の向きを一脚ずつ確認した。


「動かさないでください」


「まだ何もしてないよ」


 渾沌ちゃんは三十一脚目の背もたれに手を置く寸前で止まっていた。


「その手を下ろしてください」


「触ってない」


「触る姿勢です」


「姿勢もだめ?」


「今はだめです」


 壁。


 東側、八脚。

 厨房側、七脚。

 窓と窓の間、五脚。

 トイレへ続く廊下、六脚。

 残り五脚は、それぞれ別の場所。


 向いている先が違う。


「一個の入口じゃないね」


「そう見えます」


 秩序ちゃんは床へテープを貼った。


 椅子の脚の位置。

 向き。

 壁までの距離。


「現状を基準にします」


「三十一個ぜんぶ?」


「全部です」


 貼り終わる前に。


 最初の壁が鳴った。


 どん。


 ◇


 八脚が同時に一センチ動いた。


 床のテープからずれる。


「来る」


 渾沌ちゃんが言った。


「まだです」


 どん。


 二センチ。


 壁の向こうから声がした。


 ひとつではない。


 笑い声。

 泣き声。

 機械音。

 風。

 何か巨大なものが水を掻く音。


 別々の場所が、薄い壁一枚の向こうへ押し寄せている。


 注文端末が点灯した。


《予約 31》


《到着 31》


《入店待ち 31》


 渾沌ちゃんが覗く。


「全員来てる」


「入ってはいません」


《待機可能時間》


 数字が並ぶ。


 十九秒。

 三分。

 四時間。

 七年。

 マイナス十二秒。


「一番上から?」


「違います」


「じゃ短い順?」


「それも危険です」


 十九秒が十八になる。


 マイナス十二秒は、マイナス十三になった。


「秩序ちゃん」


「分かっています」


 秩序ちゃんは三十一件を流す。


 人数。

 到着先。

 気圧。

 温度。

 重力。

 大気。


 そこで指が止まる。


「同時には入れられません」


「狭いから?」


「それ以前です」


 一件。


《適正大気:メタン82%》


 別の一件。


《適正温度:-113℃》


 さらに。


《標準重力:18.4G》


 渾沌ちゃんの顔から笑みが少し消えた。


「混ぜたらだめなやつだ」


「はい」


 十九秒。


 十三。


「でも待てないのもいる」


「はい」


「どうする?」


 秩序ちゃんは鍵を出した。


《入口》

《出口》

《一席》

《予約》

《一席確保》


 増えた文字はない。


「一件ずつ通します」


「三十一件?」


「同時に入れないなら、それしかありません」


「間に合わないよ」


「では」


 秩序ちゃんが顔を上げる。


「間に合わない一件からです」


 ◇


 待機時間、七秒。


 椅子は厨房脇。


「これ!」


 渾沌ちゃんが引く。


 壁が開いた。


 熱風。


 赤い砂が店内へ吹き込む。


 向こうに、四本腕の小さな生き物がいた。


 胸に紙袋を抱えている。


「入って!」


 渾沌ちゃんが手を伸ばす。


「触らないで!」


 秩序ちゃんが叫ぶ。


 遅い。


 生き物の皮膚が、こちらの空気に触れた部分から白くなる。


 渾沌ちゃんは手を引いた。


「無理!」


「入口を閉じてください!」


「でも予約!」


 残り二秒。


 渾沌ちゃんが壁際の椅子を掴む。


 店内へ引くのではなく。


 自分ごと壁へ押し込んだ。


「渾沌ちゃん!」


 肩。

 頭。

 片足。


 赤い砂の世界へ消える。


 ゼロ。


 壁が閉じた。


 椅子も消えた。


「……っ」


 秩序ちゃんが鍵を握る。


 一本。


《入口》だけが残っている。


《出口》がない。


「渾沌ちゃん!」


 返事なし。


 注文端末。


《予約 30》


《入店 1》


「入店……?」


 壁の向こうから。


 渾沌ちゃんの声。


「秩序ちゃん!」


「聞こえます!」


「こっち、店ある!」


 ◇


 赤い砂の世界。


 渾沌ちゃんの声だけが壁越しに届く。


「椅子とテーブルと、なんか焼くやつ!」


「触らないでください!」


「もう座ってる!」


「あなたがですか?」


「お客さん!」


 秩序ちゃんは端末を見る。


《入店 1》


《店舗環境:予約者準拠》


 理解する。


「店内へ呼ぶ必要がない……」


「なにー?」


「そちらで提供してください!」


「何を!」


 注文欄。


 読めない。


 文字が形を保てず、画面の上で砂のように崩れている。


「注文が読めません!」


「こっちも!」


 一拍。


 渾沌ちゃんが言う。


「聞く!」


「通じるんですか?」


「やってみる!」


 壁の向こう。


 知らない音が続く。


 渾沌ちゃんの声。


「うん」


 また知らない音。


「それはない」


 音。


「たぶんできる!」


「何がですか!」


「分かんない!」


「分からないのに返事しないでください!」


 店内側の保温庫が開いた。


 一つだけ。


 見たことのないバーガーが入っている。


 黒いバンズ。

 赤い粒。

 包み紙から熱が揺れる。


 秩序ちゃんは触れない。


「渾沌ちゃん。そちらに保温庫は?」


「ある!」


「中身は?」


「バーガー!」


「特徴は?」


「白い! 冷たい! 動いてる!」


 違う。


 こちらに出たものではない。


「それを提供してください」


「いいの?」


「予約者側に出た商品です。少なくとも、こちらのものより条件が一致しています」


「はーい」


 数秒。


 端末。


《提供完了》


《退店》


 壁が鳴る。


 どん。


 渾沌ちゃんが椅子ごと飛び出した。


「わっ」


 秩序ちゃんが受け止める。


 二人で床へ倒れた。


 赤い砂が一粒だけ、渾沌ちゃんの髪に残る。


「……無事ですか」


「うん」


「勝手に入らないでください」


「間に合ったよ」


「それとこれは別です」


 秩序ちゃんは起き上がる。


 手はまだ渾沌ちゃんの袖を掴んでいた。


 離す。


「次からは、先に言ってください」


「次あるよ」


 端末。


《予約 30》


 二人で見る。


 次の待機可能時間。


 三秒。


「……行きます」


「今度は一緒?」


「入口と出口を離さないためです」


「うん!」


 ◇


 そこからは、店ではなかった。


 少なくとも一つの店では。


 椅子を引く。


 雪原。


 二人で入る。


 白い毛に覆われた客へ、湯気ではなく光を包んだバーガーを渡す。


 戻る。


 次。


 水中。


 鍵を回した瞬間、二人の周囲だけ透明な膜ができる。


 巨大な影が口を開く。


「食べられる?」


「私たちが、ですか。商品が、ですか」


「両方」


「確認してから近づいてください!」


 次。


 重力が横向きの街。


 床だった壁を二人で走る。


 次。


 音が物質になって積もる世界。


 渾沌ちゃんがくしゃみをして、紫色の塊が一つ増える。


「持ち帰らないでください」


「私のくしゃみだよ」


「だからです」


 次。


 誰もいない部屋。


 予約者名だけがある。


 二人は三十秒待った。


 来ない。


 秩序ちゃんは予約を消さなかった。


《不在》ではなく。


《待機継続》


 次。


 次。


 次。


 戻るたび、ぱんでむの客席は同じだった。


 四十八脚。

 十二卓。

 明るいBGM。


 けれど二人の靴には、雪と砂と黒い水が増えていった。


 最後の椅子を戻した時。


 夕方だった。


 ◇


《予約 1》


「一個残ってる」


「先ほどの不在です」


「まだ待つ?」


「予約は残っています」


 その席だけ。


 昨日、《空席一》と記録した席だった。


 二人は黙った。


 端末。


《予約者》


 空欄。


《到着予定》


 空欄。


《接続先》


 空欄。


 ただ一項目。


《人数》


 表示は。


《31》


 渾沌ちゃんが客席を振り返る。


「三十一人?」


 秩序ちゃんは答えなかった。


 椅子は一脚しかない。


 鍵が鳴る。


《一席確保》


 その文字だけが消えた。


 代わりに。


《一店確保》


 店内の照明が。


 一斉に落ちた。


 暗闇の中。


 入口の自動ドアだけが開く。


 外には。


 いつもの街がなかった。


 三十一人分の足音が。


 まだ誰もいない店の外から、近づいてきた。

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