第25話「三十一人とも、ここで働いています」
三十一人分の足音が近づいてきた。
暗い。
自動ドアの外に街はない。
床だけが、白く伸びている。
天井も壁もない場所を、足音だけが歩いてくる。
渾沌ちゃんが目を凝らした。
「見えないね」
「音だけです」
「三十一ある?」
「数えられません」
「さっき三十一って」
「端末の表示です。足音を数えたとは言っていません」
秩序ちゃんは自動ドアの前に椅子を置いた。
最後まで残っていた一脚。
鍵には。
《一店確保》
注文端末は暗いまま。
「閉める?」
「閉まりません」
「逃げる?」
秩序ちゃんが振り返る。
厨房。
バックヤード。
非常口。
全部ある。
「逃げる必要があるか、まだ分かりません」
「じゃ待つ?」
「はい」
渾沌ちゃんは椅子の隣にしゃがんだ。
「座らないでください」
「座ってない」
「座る姿勢です」
「それ今日も言う?」
足音が止まった。
自動ドアのすぐ外で。
◇
最初に入ってきたのは。
秩序ちゃんだった。
二人とも動かなかった。
外から来た秩序ちゃんも、動かなかった。
制服。
髪。
名札。
同じ。
ただし。
袖が濡れている。
「……誰ですか」
店内の秩序ちゃんが聞いた。
濡れた秩序ちゃんは答えない。
自動ドアの横へ立つ。
次。
渾沌ちゃん。
髪に赤い砂がついている。
その次。
秩序ちゃん。
白い霜が肩を覆っている。
渾沌ちゃん。
服の裾から黒い水が滴る。
秩序ちゃん。
体が九十度傾いているのに、普通に歩いている。
渾沌ちゃん。
くしゃみをする。
紫色の塊が床へ落ちた。
「それ私」
店内の渾沌ちゃんが指差した。
「触らないでください」
「私だよ」
「だから何ですか」
一人。
また一人。
入ってくる。
さっき二人が訪れた世界の痕跡を、それぞれ一つずつ身につけて。
けれど。
全員が二人ではなかった。
十五人目。
見覚えのない制服の少女。
名札には。
《秩序》
十六人目。
背の高い男。
《渾沌》
十七人目。
金属の骨格だけで歩くもの。
《秩序》
十八人目。
輪郭が絶えず入れ替わる影。
《渾沌》
渾沌ちゃんが小声で言う。
「私たちじゃない」
「名前は同じです」
「でも違うよ」
「はい」
秩序ちゃんは即答した。
二十一。
二十四。
二十九。
三十。
最後。
三十一人目だけ。
名札がなかった。
顔もない。
白い制服だけが、人の形で立っている。
三十一人が店内へ揃う。
狭くない。
さっきまで四十八席しかなかった店なのに。
誰も誰かと重ならない。
立っている場所だけが、必要な分だけ遠い。
秩序ちゃんが床を見る。
「店舗面積が変わっています」
端末が点いた。
《予約 1》
《人数 31》
《来店 31》
《客数 0》
渾沌ちゃんが笑わなかった。
「客じゃない」
◇
濡れた秩序ちゃんがカウンターへ入った。
赤い砂の渾沌ちゃんが厨房へ。
霜の秩序ちゃんが冷蔵庫を開ける。
黒い水の渾沌ちゃんがモップを取る。
誰も指示していない。
働き始めた。
「ちょっと」
渾沌ちゃんが追う。
赤い砂の渾沌ちゃんは、グリルの温度を上げた。
「それ私のとこ」
返事なし。
「聞いてる?」
手を伸ばす。
秩序ちゃんが掴んだ。
「待ってください」
「取られるよ」
「何をですか」
「仕事」
その言葉で。
秩序ちゃんも止まった。
店内。
三十一人。
レジ。
厨房。
客席。
清掃。
補充。
全員が、それぞれの仕事をしている。
異様なほど手際がいい。
注文はない。
客もいない。
それでも。
バーガーが完成していく。
一個。
二個。
三個。
形が全部違う。
赤い砂の世界用。
雪原用。
水中用。
さっき二人が提供したもの。
「再現してる」
「いいえ」
秩序ちゃんが端末を見る。
《提供予定》
日付。
明日。
一年後。
三千年前。
未成立。
「これからです」
◇
顔のない三十一人目が、最後まで何もしなかった。
客席中央。
一脚だけ残った椅子の前に立っている。
渾沌ちゃんが近づく。
「あなた何係?」
「渾沌ちゃん」
「聞くだけ」
顔のない制服。
胸元。
名札がゆっくり浮かぶ。
文字はない。
「空いてる」
「触らないでください」
「書く?」
「書きません」
渾沌ちゃんが名札を覗く。
白い面に、文字が滲んだ。
《不足》
「何が?」
端末が鳴る。
《営業人員 31》
《必要人員 32》
二人が同時に見る。
「一人足りない」
「そう表示されています」
渾沌ちゃんは周囲を数え始める。
「私たち入れたら三十三じゃない?」
秩序ちゃんも数える。
三十一。
自分。
渾沌ちゃん。
三十三。
端末。
《営業人員 31》
「私たちが数えられていません」
その瞬間。
三十一人が全員、動きを止めた。
同じ角度で。
二人を見る。
顔のない制服だけが、椅子を引いた。
ぎ。
座らない。
二人へ差し出す。
一席。
「どっち?」
渾沌ちゃんが聞いた。
端末に文字。
《不足役割を選択してください》
《入口》
《出口》
秩序ちゃんは鍵を出した。
二本。
これまで一緒に持っていた。
「選ばないでください」
「でも一人分だよ」
「だからです」
「一人が入口で、一人が出口なら?」
秩序ちゃんは答えかけて、やめた。
あの時は、二人の距離に店ができた。
今は。
店そのものが、すでに確保されている。
鍵の文字。
《一店確保》
渾沌ちゃんが椅子を掴んだ。
「二人で座ろ」
「狭いです」
「詰めればいける」
「そういう問題では」
言い切る前に、渾沌ちゃんが座った。
半分だけ。
「ほら」
残り半分を叩く。
秩序ちゃんは三十一人を見る。
全員、待っている。
端末。
《必要人員 32》
秩序ちゃんはため息をついた。
座る。
肩がぶつかった。
「狭いです」
「入った」
「物理的には」
鍵が二本。
二人の膝の上で触れた。
かち。
◇
店が割れた。
音はなかった。
カウンターが二つになる。
厨房が二つ。
床が左右へ離れる。
しかし二人の椅子だけは割れない。
左側。
《入口》
右側。
《出口》
三十一人が一斉に動く。
入口側で作られたバーガーが。
出口側から消えていく。
世界へ。
時間へ。
まだ存在しない予約へ。
赤い砂。
雪。
水。
光。
店内を何百もの景色が走り抜ける。
「うわ」
渾沌ちゃんが椅子を掴む。
「立たないでください!」
「立ってない!」
「立ちそうです!」
店舗面積。
0㎡。
127.4m。
街ひとつ。
世界ひとつ。
表示が追いつかない。
最後に。
《算定不能》
三十一人の姿が薄くなる。
一人ずつ。
仕事を終えた順に。
赤い砂の渾沌ちゃんが消える。
霜の秩序ちゃん。
金属の骨格。
影。
最後は、顔のない制服。
名札の《不足》が消える。
代わりに。
《店員》
そして消えた。
照明が戻る。
いつものぱんでむ。
十二卓。
四十八脚。
二人は一脚の椅子に並んで座っていた。
「終わった?」
「確認します」
「まだ座ってていい?」
「……確認が終わるまで」
「やった」
端末。
《営業人員 32》
《客数 0》
《提供数 31》
《店舗数 31》
その下。
《勤務者》
三十一件の名前。
すべて。
《PANDEMONIUM》
最後の一件だけ。
《秩序/渾沌》
渾沌ちゃんが首を傾げる。
「私たち、二人で一人?」
「違います」
「でも書いてある」
「役割が一件、という意味かもしれません」
「何役?」
秩序ちゃんは画面を送った。
最下段。
《担当》
《継ぎ目》
二人とも黙った。
厨房から。
いつものフライヤーが鳴った。
ぴ。
渾沌ちゃんが立つ。
「ポテト上がった」
「行きますよ」
「うん」
二人が椅子を離れる。
その瞬間。
端末の《継ぎ目》が一度だけ点滅した。
そして。
《勤務中》
に変わった。




