第2話「同じ注文を、二つの店が受けた」
最初に増えたのは、バーガーではなかった。
レシートだった。
午前十一時十二分。
ランチ営業開始から十二分。
レジ担当の秩序ちゃんは、注文票を一枚切り取った。
「ダブルチーズ一つ、ポテトM、アイスティーです」
「はいよー」
厨房から渾沌ちゃんの声が返る。
客はスーツ姿の男性だった。
ごく普通だった。
注文も普通。
支払いも正常。
レジ端末にも異常はない。
秩序ちゃんはレシートを客へ渡した。
そして。
プリンターが、もう一度鳴った。
じじじ。
「?」
一枚。
レシートが出た。
同じ内容。
同じ時刻。
同じ注文番号。
ただし。
価格が違った。
こちらは、
1,180円。
もう一枚は、
六枚の銀貨。
「…………」
秩序ちゃんは黙った。
紙を並べる。
商品名は同じだった。
『ダブルチーズバーガー』
『ポテトM』
『アイスティー』
しかし、その下。
店舗情報。
一枚目。
『PANDEMONIUM BURGER』
二枚目。
『万魔殿食堂 南門支店』
住所欄には。
『第七码城壁内側 処刑広場向かい』
電話番号の代わりに、
『呼鈴石 第八系統』
と書いてあった。
「渾沌ちゃん」
「忙しい!」
「来てください」
「忙しいって!」
「継ぎ目です」
三秒。
厨房から渾沌ちゃんが出てきた。
「どこ」
「まだ見えていません」
「じゃあなんで呼んだのよ」
「これを」
二枚のレシートを見せる。
「…………」
「どう思います?」
「物価が安い」
「そこではありません」
渾沌ちゃんは二枚目を手に取った。
「六枚の銀貨ってどれくらい?」
「知りません」
「高いのかな」
「知りません」
「ぼったくり?」
「そこから離れてください」
秩序ちゃんはレジ端末を確認した。
注文履歴。
注文番号417。
ダブルチーズセット。
一件。
正常。
別注文は存在しない。
「プリンターだけ?」
「現時点では」
「じゃあ紙が迷い込んだだけじゃない?」
「先ほどのことを忘れたんですか」
「忘れてないわよ」
「では『だけ』で済ませないでください」
前日の施設異常。
存在しないはずの従業員通路。
花柄の壁。
もう一つのぱんでむ。
もう一人の秩序ちゃん。
もう一人の渾沌ちゃん。
そして。
壁の奥に一瞬だけ見えた、無数の店舗。
秩序ちゃんは昨夜から。
ぱんでむ内部の「境界」を徹底的に調べていた。
しかし。
何も見つからなかった。
壁は壁。
床は床。
扉は扉。
すべて正常。
あの継ぎ目は。
最初から存在しなかったことになっている。
それでも。
秩序ちゃんの手元には。
昨日作成した異常報告書が残っていた。
そして今。
新しい紙が二枚ある。
「保管します」
「注文は?」
「通常通り処理してください」
「了解」
渾沌ちゃんが厨房へ戻る。
秩序ちゃんは二枚目のレシートを封筒へ入れた。
その時。
「お待たせしましたー」
厨房側から声。
いつもの渾沌ちゃん。
ダブルチーズバーガー。
ポテト。
アイスティー。
「417番のお客様!」
男性が立ち上がる。
商品を受け取る。
「ありがとうございます」
普通。
何も起きない。
客は席へ向かった。
秩序ちゃんは少しだけ安心した。
その直後。
店内奥。
壁の向こうから。
「四百十七番のお客様!」
別の声がした。
店全体が止まった。
男性も止まった。
「…………?」
声は。
女性だった。
聞いたことがない。
明るい声。
「ダブルチーズバーガー、ポテトM、冷茶です!」
客が辺りを見回す。
壁しかない。
しかし。
壁の向こうで。
誰かが続けた。
「四百十七番のお客様ー!」
秩序ちゃんが立ち上がる。
「誰も触らないでください」
「壁に?」
渾沌ちゃんが厨房から顔を出した。
「はい」
「でも声してる」
「だからです」
客の男性が笑った。
「あの、私ですけど」
「動かないでください」
「え?」
「四百十七番ですね」
「はい」
「こちらの商品をすでに受け取りましたね」
「受け取りましたけど」
壁の向こう。
「四百十七番のお客様ー?」
困ったような声。
男性は壁を指差した。
「あっちにもあるんですかね」
「ありません」
「でも呼ばれてますけど」
「ありません」
「じゃあ」
「ありません」
強めに言った。
渾沌ちゃんが小声で、
「圧が強い」
「黙ってください」
男性は苦笑した。
「じゃ、こっち食べますね」
「お願いします」
席へ戻った。
壁の向こうから。
もう一度。
「四百十七番のお客様」
今度は。
少し寂しそうだった。
◇
十二分後。
異常は終わらなかった。
注文番号418。
てりやきバーガー。
こちらでは680円。
向こうでは、
『乾燥麦二升』
419。
フィッシュバーガー。
こちら。
940円。
向こう。
『労働奉仕 三日』
420。
チキンセット。
こちら。
1,020円。
向こう。
『子羊一頭』
「経済圏まで違う……」
秩序ちゃんはレシートを並べた。
渾沌ちゃんが覗く。
「子羊はちょっと高そう」
「価格比較をやめてください」
しかし。
問題は価格ではなかった。
すべての注文が。
向こうでも処理されている。
こちらで注文が入る。
数秒後。
別のレシートが出る。
そして。
別の店でも商品が完成する。
客を呼ぶ声がする。
「同じ注文が共有されています」
「でも店は別なんでしょ?」
「おそらく」
「だったら向こうは向こうの客に出せばいいじゃない」
「注文番号まで同じです」
「偶然」
「十四件連続です」
「すごい偶然」
「真面目に」
「はい」
秩序ちゃんは店内を見る。
客は二十七人。
全員、こちら側。
少なくとも。
こちらから見える範囲では。
向こうの店には、こちらの客が見えていないはず。
なのに。
注文は共有されている。
「昨日の継ぎ目は、空間でした」
「うん」
「今日は」
秩序ちゃんはレジを叩く。
「業務です」
「業務?」
「場所が繋がったのではありません」
「じゃあ?」
「注文処理そのものが繋がっています」
渾沌ちゃんが少し考える。
「つまり」
「はい」
「店が二つあるんじゃなくて」
「…………」
「一個の店が二ヶ所で営業してる?」
秩序ちゃんは答えなかった。
否定できなかった。
その時。
注文番号421。
プリンターが鳴る。
一枚目。
『ベーコンチーズバーガー』
二枚目。
同じ。
しかし。
三枚目が出た。
「…………」
「増えた」
三枚目。
店舗名。
『PANDEMONIUM ORBITAL CANTEEN 03』
通貨。
『0.0000037恒星質量単位』
「何これ」
「知りません」
四枚目。
『ぱんでむ屋台』
『支払:貝殻二十三個』
五枚目。
『肉門』
『支払:左手の記憶』
六枚目。
『PDM-AFTERLIFE FOOD SERVICE』
『支払:生前善行値 12』
「…………」
「…………」
プリンターは止まらない。
七枚。
八枚。
九枚。
十枚。
同じ注文。
同じ番号。
違う店。
違う通貨。
違う世界。
違う言語。
それでも。
商品名だけは。
全部。
ベーコンチーズバーガー。
「止めます」
秩序ちゃんが端末へ手を伸ばす。
電源。
切る。
画面が消える。
プリンター。
止まる。
「よし」
渾沌ちゃんが言った。
じじ。
「…………」
紙が出た。
「電源切ったわよね」
「切りました」
じじじ。
さらに一枚。
レジ端末は真っ黒。
プリンターのランプも消えている。
なのに。
紙だけが出てくる。
秩序ちゃんが引き抜く。
そこには。
『注文停止を確認』
次。
『停止要求を共有します』
次。
『全店舗へ反映中』
「……全店舗?」
渾沌ちゃんが読む。
次の紙。
『営業停止処理』
『対象店舗数:』
数字。
途中で。
桁が紙幅を越えていた。
「…………」
秩序ちゃんの顔色が変わった。
「渾沌ちゃん」
「何」
「レジを戻してください」
「でも止めたの秩序ちゃんじゃん」
「今すぐ!」
「はい!」
電源を入れる。
端末起動。
数秒。
『営業中』
「……間に合った?」
「わかりません」
店内。
静か。
客たちは何事かと見ている。
そして。
壁の向こう。
遠く。
いくつもの声。
無数の声。
「営業再開します」
「営業再開」
「営業再開を確認」
「門を開けろ」
「配給再開」
「供給ライン復旧」
「献体受付再開」
「神殿食堂、再開します」
「第六胃袋、開門」
声が重なる。
壁の全部から。
床下から。
天井から。
厨房の奥から。
冷蔵庫の中から。
ドリンクサーバーから。
排水口から。
何百。
何千。
いや。
数えられない。
すべて。
営業再開を告げている。
客の一人が。
ぽつりと。
「系列店、多いんですね」
秩序ちゃんは答えなかった。
◇
午後二時。
客足が落ち着く。
それでも注文共有は続いていた。
ただし。
ある変化が起きていた。
「注文番号512」
秩序ちゃんが呼ぶ。
客が来る。
商品を渡す。
「ありがとうございました」
壁の向こう。
声がしない。
「……止まった?」
渾沌ちゃんが言う。
「違います」
秩序ちゃんはレシートを見る。
こちら。
一枚。
向こうの分。
ゼロ。
「戻った?」
「そう見えます」
しかし。
秩序ちゃんは。
客のバーガーを見ていた。
「お客様」
「はい?」
「少し待ってください」
「え?」
「そのバーガーを」
包み紙。
いつものロゴ。
中身。
バンズ。
パティ。
チーズ。
ソース。
見た目は正常。
「……何ですか?」
「失礼します」
秩序ちゃんが近づく。
存在純度。
測定。
100%。
普通のバーガー。
正常。
なのに。
「…………」
「どうしたの」
渾沌ちゃんが聞く。
「これ」
秩序ちゃんは。
バーガーの側面を指した。
パティとチーズの間。
ごく薄い。
紙のような何かが挟まっていた。
引き抜く。
小さな紙。
そこに。
何十もの店舗印が押されていた。
『万魔殿食堂 検品済』
『ORBITAL CANTEEN 03 検品済』
『肉門 検品済』
『死後配給局 検品済』
『第七码城壁店 検品済』
さらに。
読めない印。
虫の脚のような文字。
光だけで構成された印。
見るたび形が変わる印。
紙の裏。
一文。
『共同調理完了』
渾沌ちゃんが言った。
「共同?」
「……はい」
「でもこれ、私が作ったわよ?」
「見ていました」
「他の店、触ってない」
「見えている範囲では」
「じゃあ何を共同したのよ」
秩序ちゃんは。
バーガーを見た。
存在純度100%。
こちらの食材。
こちらの厨房。
こちらの渾沌ちゃんが調理した。
それは確かだった。
だが。
同時に。
無数の店が。
この一個を。
「自分の店で作った」と認識している。
「……調理工程ではないのかもしれません」
「何が?」
「共有されているものです」
秩序ちゃんは。
レシートを。
壁を。
バーガーを。
順番に見る。
「注文」
「うん」
「店舗」
「うん」
「客」
「うん」
「商品」
「うん」
「昨日は空間」
「うん」
「今日、それら全部に継ぎ目が出ました」
「だから?」
秩序ちゃんの目が細くなる。
「継ぎ目という言葉自体が」
少し。
遅れて。
「間違っている可能性があります」
「え?」
「私たちは」
秩序ちゃんは壁に触れた。
「別々のものが接続されたから、境界ができたと思っていました」
「違うの?」
「逆かもしれません」
渾沌ちゃんが黙る。
「本来、一つだったものを」
指先。
白い壁。
「普段は、世界の側が分けて見ている」
その瞬間。
壁に。
文字が浮かんだ。
ペンでも。
投影でもない。
壁紙の繊維が。
文字の形に並び替わる。
『訂正』
二人。
固まる。
『本来一つ』
次の文字。
『という表現も』
少し間。
『不正確』
秩序ちゃんが息を止めた。
文字は続く。
『一つ』
『複数』
『内部』
『外部』
『こちら』
『向こう』
それぞれ。
横線で消される。
そして。
最後。
一文だけ残った。
『世界ごとに、ぱんでむを数えないこと。』
「…………」
「…………」
渾沌ちゃんが。
ぽつり。
「じゃあ何個なの」
壁。
沈黙。
「ぱんでむって何店舗あるの?」
しばらく。
何も起きない。
「答えてくれないじゃん」
「質問が成立していないのかもしれません」
「店舗数が?」
「はい」
「チェーン店なのに?」
「チェーン店であるという前提から疑う必要があります」
その時。
店内から。
電子音。
注文。
秩序ちゃんはレジへ戻る。
「いらっしゃいませ」
客は。
小さな女の子だった。
母親に手を引かれている。
「チーズバーガーください」
「はい」
注文入力。
プリンター。
一枚。
普通のレシート。
異常なし。
秩序ちゃんは。
少しだけ安堵した。
「お会計、480円です」
母親が支払う。
女の子が。
秩序ちゃんを見上げる。
「お姉ちゃん」
「はい」
「さっきね」
「はい?」
「あっちのお店にもいたよね」
秩序ちゃんの手が止まった。
「……あっち?」
女の子は。
店の壁を指差した。
「うん」
「何が見えましたか」
「同じお店」
「…………」
「でもお空が緑でね」
母親が苦笑する。
「すみません。この子、想像ばっかりしてて」
「いえ」
秩序ちゃんは女の子を見る。
「そこで、私は何をしていましたか」
「注文とってた」
「他には?」
「同じだったよ」
「……私の服は?」
「違った」
「どんな服でしたか」
女の子は少し考えた。
「透明」
「透明?」
「うん」
「私が?」
「服が」
嫌な沈黙。
渾沌ちゃんが遠くから、
「ちょっと見たい」
「黙ってください」
「はい」
女の子は続ける。
「あとね」
「はい」
「お姉ちゃんが」
秩序ちゃんを見る。
「こっちのお姉ちゃんを見てた」
「…………」
「それで」
笑う。
「『まだ気づいてない』って言ってた」
秩序ちゃんの背筋が冷えた。
「何に?」
女の子は。
不思議そうな顔をした。
「え?」
「何に気づいていないと?」
「知らない」
「他に何か言ってませんでしたか」
「言ってたよ」
「何と?」
女の子は。
壁の向こうを思い出すように目を細めた。
「『継ぎ目があるのは店じゃない』って」
秩序ちゃん。
動かない。
母親は困った顔で、
「本当にすみません」
「……いえ」
女の子は商品を待つため。
母親と席へ向かった。
渾沌ちゃんが近づく。
「ねえ」
「はい」
「今の」
「聞いていました」
「どういう意味?」
「…………」
秩序ちゃんは答えなかった。
かわりに。
昨日から集めた紙を並べる。
接続確認票。
別店舗レシート。
共同調理票。
壁に現れた文字。
全部。
ずっと。
店舗について書かれているようで。
違う。
文章の主語を見直す。
『接続元世界』
『接続先世界』
『翻訳形式』
『観測整合』
秩序ちゃんは。
紙を一枚ずつ。
ゆっくり重ねた。
「渾沌ちゃん」
「なに」
「昨日」
「うん」
「私は、継ぎ目の向こうに別のぱんでむがあると思いました」
「うん」
「今日」
「うん」
「一つのぱんでむが複数の世界で営業している可能性を考えました」
「うん」
「ですが」
秩序ちゃんは。
店内の客たちを見る。
同じテーブル。
同じ椅子。
同じ床。
同じ壁。
それぞれ。
同じ店を見ている。
そのはずだった。
「確認したことがありません」
「何を?」
「私たち全員が」
ゆっくり。
「同じぱんでむを見ているのか」
渾沌ちゃんの顔から。
表情が消えた。
秩序ちゃんは。
店内へ向かう。
「お客様」
一番近い男性。
「はい?」
「申し訳ありません。確認があります」
「何ですか?」
秩序ちゃんは。
自分たちの背後を指した。
「厨房の壁は」
全員。
同じ方向を見る。
「何色に見えますか?」
男性。
「白ですけど」
別の客。
「黒じゃない?」
別の女性。
「え?」
高校生。
「レンガですよね?」
老人。
「壁なんてないぞ」
母親。
「クリーム色ですけど……」
女の子。
「お空」
店内が。
静まり返った。
一人。
また一人。
互いの顔を見る。
「え?」
「いや、白でしょ」
「黒ですよ」
「何言ってんの」
「レンガだって」
「厨房、見えてるじゃん」
「厨房?」
「厨房どこ?」
「…………」
秩序ちゃんだけが。
ゆっくり。
壁を見る。
白い。
いつもの。
何の変哲もない壁。
その中央に。
昨日と同じ。
髪の毛ほど細い線が。
床から天井まで。
現れた。
ただし。
今度は。
壁の上ではなかった。
秩序ちゃんの視界。
そのものに。
線が入っていた。
右目には。
白い壁。
左目には。
花柄の壁。
瞬きをする。
消えない。
右目を閉じる。
花柄。
左目を閉じる。
白。
「…………」
「秩序ちゃん?」
渾沌ちゃんの声。
秩序ちゃんは。
彼女を見る。
右目。
いつもの渾沌ちゃん。
左目。
ピンクと黒の制服の渾沌ちゃん。
二人ではない。
同じ位置。
同じ身体。
同じ動き。
違う姿。
「秩序ちゃん」
「…………」
「どうしたの」
両方の渾沌ちゃんが。
まったく同時に。
同じ言葉を発した。
秩序ちゃんは。
ようやく理解した。
昨日。
壁にあったと思っていた継ぎ目。
今日。
注文にあったと思っていた継ぎ目。
違った。
ずっと。
継ぎ目があったのは。
観測している側だった。
その瞬間。
レジプリンターが。
一枚だけ紙を吐いた。
誰も注文していない。
秩序ちゃんが取る。
紙には。
一行。
『観測者分離工程』
次。
『進行率』
数字。
1%。
秩序ちゃんは。
紙を握りしめた。
そして。
初めて。
継ぎ目が開くことより。
閉じることの方が。
危険なのではないかと考えた。




