第16話「外側には、店がなかった」
最初に消えた継ぎ目は。
窓だった。
花柄のぱんでむ。
肉門。
海。
恒星。
葬送店。
無数にひび割れていた景色が、一枚ずつ暗くなる。
ぱち。
一つ。
ぱち。
また一つ。
秩序ちゃんは動かなかった。
「閉じてる」
渾沌ちゃんが言った。
「はい」
「全部?」
「いいえ」
まだ残っている。
店内中央。
何もない空間に。
一本だけ。
縦の線。
髪の毛ほど細い。
その向こうには。
何も見えなかった。
黒くもない。
白くもない。
暗闇ですらない。
視線を合わせようとすると、焦点だけが逃げる。
「これが外?」
「断定できません」
「でもさっき」
写真。
最後に落ちてきた一枚。
《観測開始を確認》
《対象:外部》
秩序ちゃんはそれを折らずにカウンターへ置いた。
「少なくとも、ぱんでむ側がそう呼んでいる何かです」
「見に行く?」
「行きません」
「即答」
「今までと違います」
「何が?」
秩序ちゃんは線を見る。
「向こうに、ぱんでむがありません」
◇
それだけで。
異様だった。
これまで開いた継ぎ目の先には、どれほど狂っていても必ず何かがあった。
店。
厨房。
客。
営業。
あるいは、それらに相当する何か。
海そのものがぱんでむでも。
世界を焼く祭りでも。
死者を食べる葬送店でも。
そこには必ず。
営業している何かがあった。
今は。
ない。
「秩序ちゃん」
「はい」
「音する」
渾沌ちゃんの声が小さくなった。
秩序ちゃんも聞いた。
かす。
かす。
紙を擦るような音。
継ぎ目の向こう。
「何かいます」
「うん」
「近づかないでください」
「まだ何もしてない」
渾沌ちゃんはそう言いながら、半歩前へ出た。
「渾沌ちゃん」
「見るだけ」
「あなたの『見るだけ』は信用していません」
「ひどい」
かす。
かす。
音が止まる。
次。
とん。
継ぎ目の向こうから。
何かが。
こちら側へ押しつけられた。
一枚の紙。
ではない。
紙に見えるほど薄い。
透明。
そこに。
文字。
PANDEMONIUM
秩序ちゃんの指が止まる。
「店名?」
「違います」
「じゃ?」
「観測結果です」
その下。
対象識別:失敗
既知実在との一致:なし
営業形態:検出不能
店舗構造:検出不能
クルー:検出不能
顧客:検出不能
最後。
PANDEMONIUM:未検出
「…………」
渾沌ちゃんが紙を覗く。
「いないじゃん」
「はい」
「外にはぱんでむ、ないんだ」
「まだ断定できません」
「でも」
「この表示が何を意味するか」
その瞬間。
紙の文字が変わった。
訂正
二人。
止まる。
PANDEMONIUM:未検出
消える。
代わり。
PANDEMONIUM:観測不能
「…………」
渾沌ちゃん。
「いるかもしれない?」
「あるいは」
秩序ちゃんは線を見る。
「見るという行為自体が成立していない」
◇
カシャ。
また写真。
今度は。
何も写っていなかった。
真っ白。
裏。
《外部観測 失敗》
次。
カシャ。
真っ黒。
《外部観測 失敗》
次。
ノイズ。
《外部観測 失敗》
次。
店内が写っていた。
秩序ちゃん。
渾沌ちゃん。
カウンター。
ただし。
写真の中央。
二人の間に。
知らない椅子。
「……増えた」
現実。
ない。
写真。
ある。
次の写真。
椅子に。
誰か座っている。
輪郭だけ。
顔はない。
服もない。
人間なのかすら不明。
次。
その人物が。
こちらを見ている。
次。
立っている。
次。
椅子が空。
「秩序ちゃん」
「はい」
「今」
渾沌ちゃんが。
自分の背後を指した。
「いた?」
秩序ちゃんは振り返らなかった。
「見ないでください」
「いる?」
「見ないで」
空気。
変化なし。
音。
なし。
匂い。
なし。
なのに。
秩序ちゃんの右肩。
ごく軽く。
何かに。
触れられた。
「…………」
渾沌ちゃんの顔から。
笑いが消える。
「触られた?」
「はい」
「誰に?」
「わかりません」
「見る?」
「見ません」
また。
肩。
今度は。
指。
一本。
滑る。
制服の布が。
数ミリ沈む。
秩序ちゃんは動かない。
「何をしています」
返事。
ない。
「こちらを観測しているなら」
沈黙。
「目的を」
その瞬間。
店内の照明が全部消えた。
◇
真っ暗。
渾沌ちゃんが近い。
気配。
それだけ。
「秩序ちゃん」
「います」
「手」
「はい」
二人。
手を繋ぐ。
かつて。
観測者分離を止めた時と同じ。
ただ。
今回は。
少し違った。
手を繋いだ瞬間。
店が。
消えた。
床。
ない。
壁。
ない。
天井。
ない。
渾沌ちゃんの手だけ。
ある。
そして。
遠く。
何か。
光。
一つ。
近づく。
「店?」
渾沌ちゃん。
「違います」
秩序ちゃんには。
そう見えた。
星。
ではない。
光の中。
文字。
数字。
図形。
言葉。
映像。
音。
記憶。
無数のものが。
重なっている。
一歩。
近づく。
いや。
向こうが。
こちらへ。
そして。
秩序ちゃんは。
初めて。
ぱんでむではないものを。
見た。
◇
それは。
世界だった。
ただし。
店がない。
どこにも。
PANDEMONIUMの看板。
ない。
バーガー。
ない。
クルー。
ない。
異常。
ない。
普通の都市。
普通の空。
普通の人。
普通の生活。
その中。
一人の女性。
朝。
起きる。
歯を磨く。
電車。
仕事。
昼食。
帰宅。
眠る。
翌日。
同じ。
次。
別の人。
子供。
学校。
遊ぶ。
泣く。
笑う。
成長。
老いる。
死ぬ。
ぱんでむ。
ない。
どこにも。
「……普通」
渾沌ちゃんが言った。
その声に。
妙な寂しさがあった。
「はい」
映像。
次。
百年。
千年。
一万年。
文明が変わる。
星へ行く。
星を捨てる。
身体を変える。
意識だけになる。
それでも。
ぱんでむ。
ない。
百万年。
恒星が消える。
文明も。
生命も。
最後。
何もなくなる。
そこで。
映像が止まった。
渾沌ちゃん。
「最後まで来なかった」
「はい」
秩序ちゃんは。
息を吐く。
胸の奥。
なぜか。
痛い。
理由。
わからない。
そして。
次の瞬間。
映像が。
巻き戻った。
◇
最後。
百万年。
十万。
一万。
千。
百。
現在。
そして。
さらに。
戻る。
文明以前。
生命以前。
海。
岩。
炎。
何もない。
そこで。
一点。
赤。
海岸。
小さな看板。
誰もいない。
店もない。
ただ。
看板だけ。
PANDEMONIUM BURGER
「…………」
渾沌ちゃん。
「いた」
「店はありません」
「でも名前」
「はい」
映像。
さらに戻る。
惑星形成。
赤い看板。
消えない。
星が生まれる前。
宇宙。
赤い看板。
浮いている。
さらに。
時間。
成立する前。
光も。
物質も。
空間も。
ない。
それでも。
文字だけ。
PANDEMONIUM
秩序ちゃんの手。
強くなる。
「……逆です」
「何が?」
「ぱんでむが」
言葉。
喉で止まる。
「世界に現れるのではなく」
映像。
何もない場所。
その文字の周囲に。
空間ができる。
時間。
光。
物質。
星。
生命。
文明。
店。
「世界の方が」
秩序ちゃん。
「ぱんでむの周囲に成立している?」
直後。
映像が。
砕けた。
◇
店内。
戻る。
照明。
点く。
床。
壁。
厨房。
全部。
ある。
渾沌ちゃんの手。
まだ握っている。
二人とも。
喋らない。
カウンター。
写真。
一枚。
いつの間にか。
置かれている。
表。
何もない。
裏。
《解釈エラー》
秩序ちゃん。
目を細める。
次の行。
《因果方向を固定しないでください》
「……訂正された」
渾沌ちゃん。
「はい」
「じゃ今の違うの?」
「わかりません」
「でも見た」
「見ました」
「じゃ本当?」
「それも」
秩序ちゃん。
写真を伏せる。
「わかりません」
継ぎ目。
まだ一本。
残っている。
向こう。
何もない。
そこで。
初めて。
声がした。
『ありがとうございます』
二人。
固まる。
声。
誰でもない。
男でも。
女でも。
機械でもない。
聞いた瞬間。
それぞれが。
自分に一番理解しやすい声として認識した。
『外部を確認できました』
秩序ちゃん。
「あなたは誰ですか」
沈黙。
そして。
『質問が不正確です』
「では」
秩序ちゃん。
一歩。
「何ですか」
長い。
間。
『こちらからは』
継ぎ目。
少し。
開く。
『あなたたちも』
向こう。
無数の光。
『PANDEMONIUMに見えます』
渾沌ちゃんの指が。
秩序ちゃんの手を握り直した。
「私たちが?」
返事。
『はい』
秩序ちゃん。
言葉が出ない。
『店』
『クルー』
『商品』
『世界』
『観測者』
『外部』
一つずつ。
『区別できません』
継ぎ目の向こう。
光が。
こちらへ。
手を伸ばしたように見えた。
『すべて』
一拍。
『同じ形です』
そして。
継ぎ目。
閉じた。
ぱちん。
店内。
静か。
「…………」
渾沌ちゃん。
しばらくして。
「秩序ちゃん」
「はい」
「私」
自分を指す。
「店?」
秩序ちゃんは。
長いこと。
答えなかった。
「……少なくとも」
レジ。
その瞬間。
注文音。
ピンポーン。
二人。
見る。
画面。
《新規来店》
客数。
2
現在店内にいるのは。
秩序ちゃん。
渾沌ちゃん。
それだけ。
その下。
ご注文をどうぞ。




