第15話「観測席は、店の外にある」
祭りの世界を包んだバーガーは、朝になっても温かかった。
「食べないの?」
「食べません」
「昨日からずっと持ってるじゃん」
「預かっているだけです」
「誰から?」
秩序ちゃんの手が止まる。
透明なパティの奥。提灯。屋台。人々はまだ祭りを続けている。
「……世界から」
「じゃ、賞味期限あるかな」
「世界に賞味期限を設定しないでください」
秩序ちゃんはバーガーを透明な容器へ入れた。
「冷蔵庫?」
「駄目です」
「冷凍?」
「もっと駄目です」
「常温」
「食品保存の三択から離れてください」
「バーガーなのに」
「バーガーですけど」
カシャ。
二人とも止まった。
「今の」
「聞こえました」
カシャ。
天井。照明。換気口。防犯カメラ。いつものものしかない。
「カメラ?」
「音は出ません」
カシャ。
背後。テーブルの上に、写真が一枚落ちた。
◇
写っていたのは、二人だった。今。この瞬間。写真を持つ秩序ちゃん。横から覗く渾沌ちゃん。
「……早くない?」
「問題はそこではありません」
窓の外。道路の向こうに、椅子がある。折り畳み式。長いコートの誰かが座っている。膝にノート。顔だけが、黒く潰れていた。
渾沌ちゃんが窓を見る。現実の道路には誰もいない。
カシャ。
二枚目。今度は十数脚。全員が店を見ている。
三枚目。道路。屋上。歩道。写真の奥まで椅子が続いていた。
「人気店」
「喜ばないでください」
秩序ちゃんは最初の写真を持って外へ出た。普通の朝だった。車が走る。自転車が通る。犬が電柱の匂いを嗅いでいる。写真の中では、その犬のすぐ横に観測者が座っていた。
秩序ちゃんは写真と位置を合わせる。手を伸ばした。何もない。もう少し。指先が硬いものに触れた。
「…………」
「いた?」
「椅子です」
見えない。だが背もたれがある。金属。その上。布。膝らしきもの。秩序ちゃんは手を離した。
渾沌ちゃんが、その何もない場所へ手を振る。
「こんにちは」
返事はない。
「ぱんでむです」
「それは見れば分かるでしょう」
「見えてるか聞いてるの」
カシャ。
足元へ写真が落ちた。二人。椅子。そしてノート。今度は文字が読めた。
《接触確認》
《対象側からの干渉:あり》
《観測継続》
「対象って」
「私たちでしょう」
「失礼ね」
「そこですか」
その下。
《PANDEMONIUM実在形態 1842》
さらに。
《同一対象の異形態確認数:算定不能》
《依然として同一対象と判断》
秩序ちゃんは黙った。
「一八四二って、多い?」
「少なくとも」
写真を裏返す。
「私たちより前から見ています」
◇
次の写真には、別のぱんでむが写っていた。海の底。砂漠。棺桶を客席にした店。何もない白い場所にレジだけが置かれた店。
そして。一枚だけ。店がなかった。街。人。空。それだけ。
「ぱんでむは?」
渾沌ちゃんが聞いた。裏を見る。
《未出現》
次の写真。同じ街。百年後。ない。千年後。ない。最後の写真では、空が裂けていた。街が崩れている。それでも、店はない。
渾沌ちゃんはしばらく眺めた。
「最後まで来ないんだ」
秩序ちゃんは写真を取り上げた。
「まだ分かりません」
「待ってるのかな」
「誰がですか」
「この世界」
秩序ちゃんは答えなかった。
カシャ。
新しい写真。赤い枠で囲まれているのは、保管容器の中のバーガーだった。
《新規接続媒体》
二人は店へ戻った。祭りの世界。まだ提灯が揺れている。だが。空に一脚。椅子があった。
「……いる」
渾沌ちゃんが覗く。祭りの住民は誰も気づかない。椅子は二脚になった。三脚。四脚。
「入った?」
「違います」
「じゃあ?」
秩序ちゃんは容器を持ち上げる。
「繋がりました」
「閉じる?」
秩序ちゃんは蓋を閉めた。何も変わらない。
「意味あった?」
「ありませんね」
「開ける?」
「開けません」
カシャ。
写真が容器の横へ落ちた。店。バーガーの中の世界。観測席。そして、そのすべてを囲む、さらに大きな観測席。
写真の裏。
《観測対象ではありません》
二人とも止まる。
その下。
《観測装置です》
「……誰が?」
文字が増えた。
《PANDEMONIUM》
渾沌ちゃんが写真と店を見比べる。
「ぱんでむが、見てる?」
秩序ちゃんは答えない。
カシャ。
次の写真には二人がいなかった。普通の店。レジ。厨房。客席。カウンターの上に、小さな札。
《観測中》
その向こう。窓いっぱいに、違う世界が並んでいた。
秩序ちゃんが顔を上げる。店内の窓に。細い線。壁にも。床にも。レジ画面にも。渾沌ちゃんの紙袋にも。制服の袖にも。無数の継ぎ目が走っていた。
向こう側に、それぞれ違うぱんでむがある。花柄。肉門。空中祭。葬送店。普通の店。知らない店。知らない街。知らない空。
渾沌ちゃんが、一つへ手を振った。向こうの渾沌ちゃんが振り返す。別の継ぎ目でも。また別でも。手が上がった。
渾沌ちゃんは少し笑った。秩序ちゃんは動かなかった。
「振らないの?」
「振りません」
「一人くらい」
「何人いるか分からないでしょう」
「じゃ全部」
「もっと駄目です」
そのとき。
カシャ。
最後の写真が落ちた。
《観測開始を確認》
《対象:外部》
二人が窓を見る。そこにはいつもの街がある。車。歩行者。信号。何も変わらない。
ただ。秩序ちゃんには初めて。その普通の景色が。こちらを見ているように感じられた。
隣で。渾沌ちゃんが手を下ろした。
今度は。どの継ぎ目からも。手は返ってこなかった。




