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第12話「この世界では、骨が空から降る」


 最初に落ちてきたのは、肋骨だった。


 交差点の信号機をへし折り、アスファルトへ突き刺さった。


 白い。


 長さは二十メートルほど。


 断面から赤黒い髄が湯気を立てている。


 歩行者が悲鳴を上げる。


 二本目。


 三本目。


 空を見上げた男の顔から、血の気が引いた。


 雲ではない。


 巨大な歯茎が、空いっぱいに広がっていた。


 歯の隙間から覗く青空が、やけに綺麗だった。


「渾沌ちゃん!」


 秩序ちゃんが肉門を飛び出した。


 直後、背後で何かが噛み合った。


 ガチン。


 振り返る。


 さっきまで自動ドアだった上下の歯列が閉じている。


「…………」


 数秒後。


 開く。


 渾沌ちゃんが紙袋を抱えて出てきた。


「持ってきた」


「何をですか」


「ポテト」


「なぜ」


「晩ごはんまだだったから」


 紙袋から一本抜く。


 食べる。


 その頭上を、乗用車ほどの臼歯が回転しながら通過した。


 渾沌ちゃんは半歩ずれた。


 臼歯が背後のビルへめり込む。


 窓ガラスが雨のように落ちた。


「冷める前に食べたほうがいいよ」


「今それどころではありません!」


 秩序ちゃんはスマートフォンを取り出した。


 圏外。


 それだけならまだよかった。


 画面上部。


 時刻の横。


 見慣れない表示。


咀嚼率 3%


 4%。


 数字が増えた。


 ◇


 避難誘導の声。


 クラクション。


 泣く子供。


 その全部を押し潰すように、低い音が街を這っていた。


 ごり。


 ごり。


 巨大な奥歯が何かを擦る音。


 秩序ちゃんは道路脇にしゃがみ込んだ。


 アスファルトへ指を当てる。


 振動。


 一定間隔。


 地震ではない。


「渾沌ちゃん。店へ戻ります」


「外見ないの?」


「中から確認します」


「何を?」


「この店が今、何になったのかです」


 肉門へ向かう。


 その途中。


 秩序ちゃんの足が止まった。


 コンビニ。


 さっきまであった。


 今もある。


 ただし。


 壁が骨。


 窓が角膜。


 商品棚が歯。


 それでも店員はレジに立っている。


「いらっしゃいませ!」


 震えた声。


 客はいない。


 店員自身も腰が引けている。


 それでも接客を続けている。


 秩序ちゃんは視線を横へ滑らせた。


 道路標識。


 骨。


 ガードレール。


 骨。


 街路樹。


 一本の巨大な毛。


 街が壊されているのではない。


 街の機能を保ったまま、材質だけが置き換わっている。


 秩序ちゃんが肉門を見る。


「……実在形態」


 渾沌ちゃんがポテトを噛む。


「お店だけじゃなかったね」


 咀嚼率。


 11%。


 ◇


 厨房はもっと酷かった。


 鉄板が舌になっている。


 フライヤーは胃袋。


 排気ダクトは気管。


 冷蔵庫を開けると、白い冷気ではなく呼気が漏れた。


 生温かい。


「閉めてください!」


「冷蔵庫なのにあったかい」


「だから閉めてください!」


 渾沌ちゃんが閉める。


 肉壁が収縮した。


 店全体が、ひとつ呼吸する。


 秩序ちゃんはレジへ向かった。


 端末だけは変わっていない。


 画面。


《PANDEMONIUM/肉門》


営業状態:正常


「どこがですか」


 画面が切り替わる。


本日の提供可能商品


 一覧。


 チーズバーガー。


 フィッシュバーガー。


 照り焼き。


 ダブル。


 セット。


 見慣れたメニュー。


 価格も同じ。


 秩序ちゃんは一つ選んだ。


 厨房。


 胃袋が膨らむ。


 舌が震える。


 天井の食道から何かが落ちた。


 べちゃ。


 トレーの上。


 ハンバーガー。


 見た目は普通だった。


 湯気。


 焼けた肉。


 チーズ。


 ピクルス。


「食べる?」


「食べません」


「じゃ私」


「待ってください!」


 渾沌ちゃんの手首を掴む。


「調べてからです」


「冷めるよ」


「あなたは食べ物が絡むと判断基準が壊れるんですか」


「だいたい」


 秩序ちゃんが包装紙を開いた。


 バンズを持ち上げる。


 パティ。


 チーズ。


 玉ねぎ。


 ソース。


 異常なし。


 さらにパティを持ち上げた。


 その下に。


 小さな街があった。


「…………」


 直径十センチほど。


 道路。


 家。


 信号。


 車。


 人。


 小さな人々が走っている。


 上空から巨大な骨が降っていた。


 秩序ちゃんの指が止まる。


 窓の外。


 骨が降る。


 バーガーの中。


 骨が降る。


 渾沌ちゃんが顔を近づけた。


「ここだ」


「触らないでください」


 ミニチュアの街。


 肉門がある。


 その前。


 二つの人影。


 一人が何かを覗き込んでいる。


 もう一人。


 紙袋を持っている。


 秩序ちゃんはゆっくり顔を上げた。


「渾沌ちゃん」


「うん」


「その袋を置いてください」


「なんで?」


 バーガーの中。


 小さな渾沌ちゃんが。


 紙袋を置いた。


 現実の渾沌ちゃんは、まだ持っている。


「…………」


 秩序ちゃんが目を細めた。


 数秒後。


 渾沌ちゃんが。


「重い」


 紙袋をカウンターへ置いた。


 同じ位置。


 同じ角度。


 秩序ちゃんの指が包装紙を掴む。


「未来……?」


 レジ。


 電子音。


咀嚼率 24%


 バーガーの中。


 小さな秩序ちゃんが何かをした。


 速い。


「待って」


 渾沌ちゃんが言った。


「今、秩序ちゃん」


 小さな秩序ちゃんが。


 バーガーを閉じた。


 現実の秩序ちゃんの手が。


 無意識に。


 バンズへ伸びていた。


 止まる。


 指先とバンズ。


 二センチ。


 秩序ちゃんは手を引いた。


 小さな街。


 変化しない。


「…………」


 渾沌ちゃんが笑った。


「外れた」


「予測です」


「未来じゃない?」


「少なくとも確定ではありません」


 小さな秩序ちゃん。


 顔を上げる。


 こちらを見た。


 二人とも黙る。


 小さな秩序ちゃんが。


 口を動かした。


 声は聞こえない。


 だが。


 読めた。


 逃げて。


 床が。


 大きく沈んだ。


 ◇


 厨房が傾く。


 トレーが滑る。


「渾沌ちゃん!」


 渾沌ちゃんがバーガーを掴んだ。


 秩序ちゃんはレジ台へ腕を回す。


 壁が収縮する。


 照明が赤く染まった。


 外から悲鳴。


 その直後。


 ごりっ。


 街全体が横へ数メートル動いた。


 建物が倒れたのではない。


 地面ごと。


 奥歯の上を滑った。


 レジ画面。


咀嚼率 51%


「半分」


 渾沌ちゃんが呟く。


 バーガーの中では。


 街の半分が消えていた。


 噛み潰された断面の向こう。


 黒い空間。


 そこに。


 何かがいる。


 秩序ちゃんは目を凝らした。


 巨大な眼。


 こちらを見ている。


「……渾沌ちゃん」


「見えてる」


「この肉門は」


 言葉が続かなかった。


 胃袋が震える。


 ごぼ。


 店内のあちこちから声がした。


『ご注文をどうぞ』


『ご注文をどうぞ』


『ご注文をどうぞ』


 壁。


 床。


 天井。


 すべてから。


 渾沌ちゃんはバーガーを持ったまま、レジへ近づいた。


「注文したら?」


「何をですか」


「わかんない」


 画面。


 メニュー一覧が消える。


 代わりに。


 一品だけ。


《この世界》


 価格。


 ¥0


 ボタン。


注文する


 秩序ちゃんの手が止まる。


 外。


 ごり。


 ビルが一本、窓の向こうから消えた。


 咀嚼率。


 67%。


 70%。


 73%。


「押す?」


 渾沌ちゃん。


「押しません」


「じゃ、どうする?」


 秩序ちゃんは画面を見た。


 注文する。


 それしかない。


 戻る。


 ない。


 取消。


 ない。


 電源。


 ない。


 渾沌ちゃんが、ふとバーガーを傾けた。


「秩序ちゃん」


「何ですか」


「これ」


 小さな街。


 ほとんど潰れている。


 だが肉門だけが残っていた。


 その入口。


 小さな秩序ちゃん。


 レジの前。


 指を伸ばしている。


 注文ボタンへ。


「押さないで!」


 秩序ちゃんが叫ぶ。


 小さな指が。


 止まった。


 渾沌ちゃんと秩序ちゃん。


 同時に。


 バーガーを見る。


 小さな秩序ちゃんも。


 こちらを見ていた。


「……聞こえた?」


 小さな秩序ちゃんが頷く。


 レジ。


 咀嚼率 89%


 秩序ちゃんはバーガーへ顔を近づけた。


「そっちの私!」


 小さな秩序ちゃんが構える。


「そのバーガーを見せて!」


 小さな彼女が何かを持ち上げた。


 さらに小さい。


 バーガー。


 その中に。


 街。


 肉門。


 二人。


 そして。


 もっと小さなバーガー。


「…………」


 渾沌ちゃんが言った。


「いっぱいあるね」


 咀嚼率。


 93%。


 小さな秩序ちゃんが。


 さらに小さな自分へ叫ぶ。


 その先でも。


 その先でも。


 無数の秩序ちゃんが。


 下へ。


 下へ。


 何かを伝えていく。


 咀嚼率。


 97%。


 98%。


 99%。


 そして。


 止まった。


 肉門の全照明が消えた。


 暗闇。


 何層も下から。


 ひどく遠い声が届いた。


『注文、入りました』


 レジが点灯する。


 表示。


《この世界》


調理を開始します。

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