第11話「明日の葬式は、まだキャンセルできます」
黒い扉を抜けると。
ぱんでむは、朝だった。
「…………」
秩序ちゃんは動かなかった。
厨房。
油の匂い。
冷蔵庫の低い唸り。
まだ開店前。
窓の外では、ゴミ収集車が走っている。
「戻った」
渾沌ちゃんが伸びをした。
「帰ったら寝よ」
「寝ません」
「寝ようよ」
「明日、葬式なんですよ」
「今日だけど」
「…………」
時計。
午前五時十二分。
日付は。
あの札に書かれていた日。
「今日です」
「うん」
「なぜ落ち着いているんですか」
「眠いから」
渾沌ちゃんは厨房へ向かった。
「朝ごはん作る」
「世界が今日死ぬ可能性があります」
「じゃ最後の朝ごはん」
「縁起でもないことを言わないでください!」
鉄板に火が入った。
じゅ。
卵。
「食べる?」
「……いただきます」
◇
午前八時。
世界は滅びていなかった。
九時。
滅びていない。
十時。
開店。
十一時。
普通に客が来た。
「チーズバーガーセット」
「かしこまりました」
秩序ちゃんは会計を処理した。
客の後ろ。
空。
青い。
太陽。
一個。
道路。
食われていない。
ビル。
生きている。
世界終端兆候。
なし。
存在純度。
正常。
昼。
渾沌ちゃんがポテトを摘む。
「死なないね」
「まだ一日の半分です」
「夕方かな」
「楽しみにしないでください」
「してないって」
その時。
自動ドア。
開く。
『いらっしゃいませ』
誰も入ってこなかった。
代わりに。
黒い封筒が一通。
床へ落ちた。
「…………」
秩序ちゃんが拾う。
表。
《葬送確認》
「来た」
渾沌ちゃんが覗く。
「開けます」
「うん」
封。
中。
一枚。
《世界葬送予約 最終確認》
世界番号。
あの棚で見たものと同じ。
店舗識別。
自分たちのぱんでむ。
予定時刻。
22:00
残り十時間。
その下。
選択欄。
『予定通り実施』
『延期』
『キャンセル』
渾沌ちゃんが言った。
「キャンセルすれば?」
「そんな簡単な」
「書いてあるじゃん」
「世界の葬式ですよ」
「予約でしょ?」
「…………」
確かに。
予約だった。
秩序ちゃんは。
『キャンセル』
に丸をつけた。
封筒へ戻す。
「これで」
黒い封筒が。
手の中で燃えた。
灰。
消える。
三秒後。
レジが鳴った。
紙。
『キャンセル不可』
「ほら」
「何が『ほら』ですか」
『理由』
一行。
《ご本人様からの申請ではないため》
◇
「本人?」
渾沌ちゃん。
「世界です」
「世界本人?」
「おそらく」
「世界に本人確認あるの?」
「私に聞かないでください」
紙。
続き。
『ご本人様による手続きは最寄りのPANDEMONIUM窓口をご利用ください』
秩序ちゃん。
店内を見る。
「最寄り」
「ここじゃない?」
「ここもPANDEMONIUMです」
「じゃ窓口どこ?」
その瞬間。
床。
番号札が出てきた。
ぺら。
184,003,912番
「…………」
店内奥。
昨日まで壁だった場所に。
表示板。
『現在お呼び出し中』
17番
「帰ろっか」
「帰りません」
「一億八千万待ち」
「待ちません!」
秩序ちゃんが番号札を握る。
「別の方法を探します」
番号表示。
十八。
十九。
二十。
思ったより速い。
二十一。
四十二。
八百。
六万。
表示が加速する。
「早いじゃん」
「……一件あたりの処理時間が存在していません」
数字が滝のように変わる。
百万。
一千万。
一億。
ぴんぽん。
『184,003,912番のお客様』
壁。
開いた。
「速っ」
「行きます」
◇
向こうには。
役所があった。
果てが見えない。
蛍光灯。
灰色の椅子。
窓口。
無数。
人間。
怪物。
星。
都市。
概念。
何かの昨日。
生まれなかった子供の名前。
全部。
番号札を持っている。
壁。
案内。
《PANDEMONIUM 世界籍・生滅手続センター》
「……ぱんでむ?」
渾沌ちゃん。
「そう書いてあります」
「バーガーないよ」
「食堂があるようです」
奥。
『職員食堂』
人気メニュー。
『戸籍カツバーガー』
「あとで行こ」
「行きません」
窓口。
職員。
中年女性。
眼鏡。
普通。
「184003912番」
「はい」
「本日は?」
「葬送予約の取消です」
「世界番号を」
提示。
職員が端末へ入力。
「……ああ」
その一言。
嫌だった。
「何ですか」
「これ」
職員。
画面を指す。
「葬式じゃないですね」
「…………」
秩序ちゃん。
「しかし」
「葬送予約になっています」
「なってますね」
「では」
「でも世界、死にませんよ」
渾沌ちゃん。
「ほら」
秩序ちゃん。
「静かに」
職員。
端末を操作。
「世界って、一種類じゃないんですよ」
秩序ちゃんの眉が動く。
「初出の分類なら説明を」
「世界そのものは生きたままです」
職員は短く言った。
「死ぬのは、この世界におけるPANDEMONIUMです」
沈黙。
「……店が?」
「はい」
「閉店ですか」
「近いです」
「営業終了?」
「それも近い」
「では何ですか」
職員。
画面を回す。
『実在形態終了届』
現在の店舗。
写真。
見慣れたぱんでむ。
『終了予定』
22:00。
次。
『後継実在形態』
空欄。
「今の姿が死ぬんです」
◇
「姿?」
秩序ちゃん。
「建物が壊れるわけではありません」
「では」
「この世界が」
職員。
言葉を選ぶ。
「今のPANDEMONIUMを必要としなくなりました」
渾沌ちゃんが。
珍しく。
笑わなかった。
「……必要なくなった?」
「はい」
「誰が決めたの」
「世界です」
「世界、喋るの?」
「普段は喋りません」
職員。
端末。
「だから申請はこちらに来ます」
「取消できますか」
「ご本人なら」
「だから世界本人とは」
「外に出てください」
「え?」
「世界に聞けばいいです」
◇
戻る。
午後三時。
街。
普通。
秩序ちゃんは歩道に立った。
「世界に聞くって」
渾沌ちゃん。
「わかりません」
「叫ぶ?」
「やめてください」
「世界さーん」
「やめてください!」
通行人が見る。
渾沌ちゃん。
手を振る。
「今日ぱんでむ要るー?」
「本当にやめて!」
返事。
ない。
当然。
風。
信号。
車。
子供。
日常。
秩序ちゃんは。
ふと。
気づいた。
以前なら。
世界には。
ぱんでむ由来の異常が。
いくらでもあった。
境界。
継ぎ目。
異常な客。
こちら側へ漏れる別の営業。
今。
ない。
朝から。
一つも。
「…………」
秩序ちゃん。
店を見る。
何の変哲もない。
ハンバーガーショップ。
客が入る。
食べる。
帰る。
それだけ。
「渾沌ちゃん」
「何」
「今日」
「うん」
「異常、起きましたか」
渾沌ちゃん。
考える。
「役所行った」
「それはこちらから入りました」
「黒い手紙」
「通知です」
「世界滅亡」
「していません」
「…………」
二人。
店を見る。
異常が。
ない。
「普通になったね」
渾沌ちゃんが言った。
その声。
少しだけ。
つまらなそうだった。
◇
21時58分。
店内。
最後の客。
「ごちそうさま」
「ありがとうございました」
退店。
21時59分。
渾沌ちゃん。
厨房。
鉄板を拭く。
秩序ちゃん。
レジ。
誰も。
口を開かない。
時計。
秒。
55。
56。
57。
58。
59。
22時。
照明。
消えた。
一秒。
点く。
「…………」
「…………」
何も変わらない。
秩序ちゃん。
壁。
触る。
正常。
床。
正常。
「終わった?」
渾沌ちゃん。
「わかりません」
その時。
自動ドア。
開く。
一人。
客。
普通の男性。
「まだやってます?」
秩序ちゃん。
時計を見る。
22時01分。
「営業時間は終了しました」
「あ、すみません」
男性。
帰ろうとする。
入口。
止まる。
「あれ?」
「どうしました」
「ここ」
店内を見渡す。
「昨日まで何でしたっけ」
秩序ちゃん。
動かない。
「……ハンバーガー店です」
「ですよね」
男性。
笑う。
「なんか急に、違う場所だった気がして」
帰る。
ドア。
閉じる。
そして。
厨房から。
音。
どくん。
秩序ちゃん。
振り返る。
壁が。
脈打った。
もう一度。
どくん。
白い壁が。
肉へ変わる。
床。
濡れる。
天井から。
巨大な歯が一本。
ゆっくり。
降りてきた。
渾沌ちゃん。
見上げる。
「…………」
店の外。
看板。
文字が消える。
PANDEMONIUM BURGER。
消える。
代わりに。
皮膚のような表面へ。
焼印。
《肉門》
自動ドアだった場所が。
口を開いた。
外で。
さっきの男性が。
叫んだ。
秩序ちゃんは。
役所の言葉を思い出した。
後継実在形態。
空欄。
空欄だっただけ。
ないとは。
書かれていなかった。
口の外。
街並みが。
骨になり始めた。
渾沌ちゃんが。
ぽつり。
「普通、終わったね」
肉門が。
開店した。




