閑話 家元代理 ー正門に受け継がれるものー
正月。
冷えた空気。
澪の家の道場には、静かな緊張が漂っていた。
大きく開かれた正門
限られた日、格式高き人しか通ることが出来ない
車が止まる。
降りてきたのは――雪。
だが。
様子が、いつもと違う。
「……よし」
深呼吸。
着物。
帯。
それなりに整っている――が、
どこか“借りてきた形”のようでもあった。
正装に身を包み、静かに門をくぐった。
控えていた門下生が、ぴしっと背を伸ばす。
「本住吉家、家元代理――本山雪様、ご来訪です」
その一声で、空気が変わる。
“代理”
その言葉だけが、わずかに場に残った。
道場の奥から、澪が現れる。
静かに。
無駄なく。
そして――
一瞬、止まった。
門下生の緊張が一段、上がる
(……そういうこと)
わずかな理解。
「雪、いらっしゃい」
「本年もよろしくお願い申し上げます……かな?」
「で?……何してるの?」
第一声が、それだった。
雪は、びしっと姿勢を正す。
「本日は、新年のご挨拶に参りました」
完璧な所作。
……の、つもり。
「ほー。ところで」
澪が一歩近づく。
「なんで“代理”なの?」
雪、固まる。
「え?」
正門をくぐる意味…
代理…
門下生たちの空気も、固まる。
「だって」
澪は腕を組む。
「普通、“継ぐ側”が挨拶として来る」
「その代理として来るのなら ――もっとしっかりした理由があるでしょ」
踏み込む。
雪の付き添い――
本住吉流の門下生たちも、息を詰める。
「いや、ほら、うち、いろいろあって……」
「知ってる。…雑」
即答。
だが、その目は笑っていない。
雪は一瞬だけ視線を泳がせてから、
「えーと……本日は、私が“家元代理”として――」
「それ、誰が決めたの?」
「母に言われて……私です」
間。
澪、ため息。
「……やっぱ、雑」
「えー!」
その軽さに、
張り詰めていた空気が、わずかに緩む。
「澪。お前も雑だぞ」
後ろから、澪の父が声をかける。
「本山さん。あらためて――」
「新年のご挨拶、ありがとうございます」
その言葉も、そして顔も、柔らかい。
だが同時に――
“受け取った”という、はっきりした重みがあった。
門下生たちが、静かに視線を落とす。
「とりあえず、どうぞ。入れば?」
澪が手で促す。
「……はい」
急にしおらしくなる雪。
正門に暖かい空気が戻った…
――――
道場での挨拶も済み、
二人は応接間へ。
「で?」
澪が湯のみを置く。
「……正月だから、顔見に来ただけなの?」
雪、笑う。
「いや、せっかくだし、ちゃんとした感じにって… ね。」
「これでもいろいろ考えたのよ。私…」
「それ、雪には無理でしょ!」
即答。
雪は、少しだけ肩をすくめる。
「やっぱり?」
澪も、わずかに口元を緩める。
「で?」
「今年の抱負は?」
雪は、少しだけ間を置いて――
「んー……」
「今まで以上に、“向き合う”かな」
今度は、逃げなかった。
澪の視線が、わずかに変わる。
「……誰と?」
雪は少しだけいたずらっぽく笑う。
「いろいろ」
曖昧。
だが――
さっきまでより、ずっと正直だった。
「……そ」
それだけ。
雪は、湯のみを口に運ぶ。
「……やっぱ、ここ――落ち着くね」
「そりゃ、道場だからね」
「うん。でも……」
少しだけ言葉を探して、
「ちゃんと、立てる感じがする」
澪は、ほんのわずかに目を細める。
嬉しそうに
「それは、いいことだね」
「うん」
短い返事。
だが、それで十分だった。
正月の空気は、静かに流れていく。
この挨拶は、何度も、何年もーー何十年もーー
繋がれてきたもの。
形だけではなく、
人が、人として受け渡してきたもの。
だからこそ――
今年の家元の来訪は――
未完成でも、揺れていても。
――“代理”であっても、それは確かに、継がれていく一歩だった。




