第五十二話 ”離”れて、なお ー巡り還るものー
応接間で
澪が、ぽつりと言った。
「……蓮、強くなるよ」
雪は、少し首を傾ける。
「ん?」
「ちょっと、悔しいけどね」
澪は苦笑する。
少しの沈黙。
「あいつ、一歩進んだよ」
視線は、前。
「もう、“渦が森”に拘っていない」
雪、わずかに止まる。
「でもね」
「忘れては…いない」
「あれは――強くなる」
雪は、じっと澪を見る。
一言
「……なんとなく、わかる」
「でも、その実感が……ない」
澪は、少しだけ笑った。
「だろうね」
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「守破離って、知ってるよね?」
「うん」
雪は頷く。
「守って、破って、離れる」
澪は肩をすくめる。
「そう言われてる」
少しだけ、悪戯っぽく笑う。
「でもさ」
「離れていったら “伝統” って言葉、消えない?」
「学ぶ人 み~~んな離れたら 流派なんて存続しないよ」
雪、瞬きをする。
澪は、小さく笑った。
「本当の守破離ってね」
ゆっくりとした声。
「その先があるの」
雪の目が、わずかに動く。
「……先?」
「“還”」
短く、はっきりと。
澪は続ける。
「流派を学ぶ」
「ちゃんと。しっかりと」
「本当にやるとね」
「自分と、流派の“ズレ”に気づくの」
雪は黙って聞く。
「そのズレを埋めようとすると」
「今までの“形”が、壊れる」
「それが“破”」
「で、埋まってくると――」
「もう、元の形じゃなくなる」
澪は、少しだけ笑う。
「まるで別物」
「だから、“離れた”って思う」
「ーーー 離れたくなる」
雪の視線が、わずかに揺れる。
「でもね」
澪は続ける。
「そこで終わりじゃない」
「一回、俯瞰するの」
「自分が守ってたものを ”守”を」
「……自分の低さも、含めてね」
静かな声。
「で――還る」
雪が、ゆっくりと息を吐く。
「……循環?」
「そう」
「守破離は、巡るの」
澪は肩をすくめる。
「でもこれ」
「めちゃくちゃ難しい」
「ほとんどの人は」
「“守る前に”壊す」
雪の眉が、わずかに動く。
「いわゆる自己顕示欲ね」
澪は淡々と言う。
「自分は違うって、自己流が学びの前にでる」
「それを“破”だと思い込んで」
「勝手に“離れる”」
「で、自己満足」
「自分は違ったんだって感じて」
「薄っぺらいのが出来る」
少しだけ、笑う。
「自分に厚みが無いから、俯瞰も低いのよね」
「まがい物になる」
雪は、何も言わない。
「それを、私は否定はしないよ」
澪は続ける。
「今の時代、武は趣味でも成立するし」
「それも一つの形」
一拍。
澪の声が、ほんの少しだけ変わる。
「本当の守破離は――巡る」
「巡り巡って、高く積って…練り上がる」
雪は、静かにその言葉を受け止める。
「その巡る早さは、人によって違う」
澪は、少し間を置き 続ける…
「たったの一瞬で回る人もいれば」
「何年もかかる人もいる」
「雪」
「あなたは――前者よ」
雪、止まる。
「……え?」
本気で分かっていない顔。
澪は、少しだけ笑う。
「わかってないでしょ」
「うん、全然」
即答。
「あなたさ」
澪は続ける。
「ずっと“守ってる”つもりでしょ」
雪、頷く。
「うん」
「父の教えを、ちゃんと」
澪は、首を横に振る。
「違うとおもうよ」
雪の目が、わずかに開く。
「違うの?」
「あなたはね」
一歩、近づく。
「ずっと“回してる”の」
雪、固まる。
「守破離を」
「細かく、細かく」
「でも確実に」
「守るために、破って」
「守るために、離れて」
「で、また還ってる」
静かな声。
「だから」
「ブレない」
雪は、言葉を失う。
「……そんなこと、ない」
小さく否定する。
「あるよ」
澪は即答する。
一拍。
「言われたことない?」
少しだけ笑う。
「“本宮流であって、本宮流じゃない”って」
雪の表情が、止まる。
思い出す。
父の言葉。
――同じであって、同じではない。
「その言葉……ある」
小さく。
澪は、満足そうに頷く。
「それ」
「もう回ってる証拠」
少しの静寂。
「……わかんない」
正直に言う。
「知ってる…」
「だから私………」
澪の沈黙に、雪は思わず顔を見る
眼と眼があった瞬間
「大嫌い!!」
言葉とは裏腹に澪の顔は嬉しそう
満面の笑みとは この事だろう
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澪は、少しだけ視線を逸らしたまま――
ぽつりと、続けた。
「でもね…」
「……私は、雪とは違うよ」
「雪みたいにさ」
少しだけ笑う。
「教えを“守る” その中で巡って、還る――」
「そんな器用なこと、できない」
「流派、そのものに守られる。なんてね。」
「だから――」
澪は、ゆっくりと雪を見る。
「誰よりも守る」
「直伝夢野流を」
「誰よりも多く、破る」
「誰よりも、大きく離れる」
言葉は静かだった。
「それでも――」
「誰よりも、巡って還る」
間。
「私は――」
「誰よりも、直伝夢野流が好きだから」
雪は、何も言わない。
ただ、見ていた。
(……知ってる)
誰よりも、練習を惜しまない。
誰よりも、剣に対して真摯で。
誰よりも――
この道場を、大事にしている。
(……知ってるよ)
胸の奥で、静かに思う。
(だから――)
少しだけ、笑った。
「知ってる」
澪が、わずかに眉を動かす。
「だから、そんな澪が好き」
間。
「は?」
即答。
「さっき 雪の事、“大嫌い”って言ったんだけど?」
雪は、頷く。
「うん、知ってる」
さらっと。
澪、呆れる。
「じゃあ何それ」
雪は、即座に
「百回“嫌い”って言われたら」
「千回、“好き”って言う!」
澪、間を置いて。
「……めんどくさい」
さらに一拍。
「それさえ超えて、うっとしいレベルだな、雪は」
雪、笑う。
「知ってる」
また即答。
澪は、小さく息を吐いた。




