第四十九話 まだ知らないもの ―届かない距離―
終業式のあと
冬の気配が、校舎の隅々に入り込んでいた。
終業式が終わり、生徒たちはそれぞれの帰路へ散っていく。
だが、訓練場だけは――静かに、熱を残していた。
木の床。
冷えた空気。
その中央に、二人。
「さあ、……やろ!」
澪が軽く首を傾ける。
向かいに立つ蓮は、肩の力を抜いたまま、わずかに笑った。
「軽く、ね」
言葉は軽い。
だが――間合いは、軽くない。
張り詰めている。
互いに一歩も踏み込まないまま、空気だけが削れていく。
最初に動いたのは、澪だった。
踏み込みは鋭い。
だが――“深くない”。
(……浅い)
受ける。流す。
返さない。
本来なら、そこから崩せる。
――なのに、やらない。
澪も同じだった。
打ち込む。
崩しに行く“形”はある。
だが、決定打に繋がる“芯”が、ない。
(……来ない)
澪の内心に、わずかな違和感。
互いに、踏み込めば届く。
届く距離で――止めている。
再び中央。
踏み込み。交錯。
鎬の音が、二度、三度。
速い。
正確。
そして――決まらない。
澪が一歩引いた。
呼吸を整える。
少しだけ笑う。
蓮も、同じように息を整えながら返す。
体力的に余裕はあるのだろうが、
目は笑っていない。
一瞬。
沈黙。
そのわずかな間に――
互いに、“見ているもの”が違う。
澪は、蓮の“奥”を見ていた。
(……出さないんだ)
蓮は出していない。
――意図的に。
蓮もまた、澪の“芯”を見ていた。
(……そこで、止めるのか…)
踏み込めば届く。
だが澪は――止めている。
“行かない”のではない。
“行けるのに、行かない”。
「……」
「……」
再び構える。
だが、その距離は――さっきよりも、ほんの少し遠い。
壁際。
雪が、ぽつりと呟く。
「……なんか」
でも、言葉にはしない
(お互い、近づかないようにしてる、みたい)
御影が訓練場に入ってきた。
何気ない足取り。
だが――
「え……」
思わず声が漏れる。
すぐに口を押さえる。
(うそ……この二人が、やってる……?)
中央。
最後の一合。
同時に踏み込む。
――速い。
交差した瞬間、二人とも、わずかに“引いた”。
決まらない。
止まる。
距離が、残る。
静寂。
先に構えを解いたのは、蓮だった。
「……今日は、ここまでにしとく?」
澪は、少しだけ考えてから、肩の力を抜いた。
「そうだね… うん」
あっさりとした終わり。
勝敗なし。
蓮が一言
「今日は俺の勝ちにしといてやるよ」
澪、即、突っ込む
「は? 逆でしょ!」
軽口を言い合う二人
互いが、お互いをわかっている。
(やれば、決まる)
それを、やらなかった。
雪が小さく息を吐く。
(めんどくさ~~~い)
その理由を、なんとなく分かってしまった自分に
少しだけ苦笑する。
「え、めっちゃレベル高くないですか?」
御影が雪に声をかける
「でも、“本気”じゃないけどね」
御影が目を丸くする。
「えっ、あれで!?」
「たぶん…“出さないようにしている” かな」
雪が小さく御影に返す
御影は改めて知った。
目の前の二人。
そして、その隣に立つ雪先輩。
(……さっきの、あれで……本気じゃない?)
軽口を言い合う二人。
笑っているのに――どこか遠い。
強さじゃない。
技術でもない。
ましてや、勝敗なんかじゃない。
もっと別の“何か”。
それが、決定的に違う。
(私じゃ……届かない)
ふと、そんな言葉が浮かぶ。
――いや、違う。
小さく、心の中で否定する。
目は、逸らさなかった。
終業式のこの瞬間。
勝敗のつかない試合は、
御影の心に――
「まだ知らないもの」があることだけを、
静かに残した。
御影は、小さくつぶやいた。
「私は……知りたい」




