第三十二話 執着 ー真面目な話は、だいたい途中でズレるー
窓から差し込む光の中、
二人が並んで廊下を歩いている。
「で?」
御影が、横目で春日を見る。
「考えた?」
軽い声。
春日は、少しだけ間を置いて――
「……まだです」
「遅いね」
即答だった。
御影はくすっと笑う。
「そんなに難しい?」
「……難しいです」
「へぇ」
興味ありげに覗き込む。
「そんなに悩むこと?」
春日は答えない。
視線は前を向いたまま。
頭の中で、同じ言葉が繰り返される。
――なんで、今も手裏剣なのか。
他にも武器はある。
効率も、選択肢も、いくらでも。
それでも――御影は手裏剣を選んでる。
歩く足が、ほんのわずかに重くなる。
御影は、その変化を横目で捉えていた。
少しだけ、楽しそうに。
「まぁ、いいけどね。」
口元も少し笑っている。
御影は、それを見て――
少しだけ楽しそうに笑いながら
「“答え出したいのに出ない人”の顔だね」
「ねぇ春日くん」
「じゃ、逆に聞くけど」
ほんの少しだけ、悪戯っぽく。
「春日くんも、なんで“やめてないの”?」
「……」
(やめる、という選択)
言葉が止まる。
考えようとして――
止まる。
御影は、横でくすっと笑った。
「ほら」
「そういうとこ」
軽く指を振る。
「選んでないね」
「流されてるだけかも」
御影がまた、いたずらっぽく春日の顔をのぞき込む
春日は、わずかに眉を寄せる。
否定したい。
でも――
言葉が出ない。
そのとき。
廊下の向こうから、一人の生徒が歩いてくる。
――静かな圧。
御影が、ちらりと視線を向ける。
「あ!」
春日も視線を上げる。
三年。 長身。
無駄のない立ち姿。
新開地先輩だった。
すれ違う、少し前。
御影が軽く手を上げた。
「どうも~~!」
気軽な調子。
新開地の視線が、こちらに向く。
「……御影か」
「久しぶりでもないですね」
「そうだな」
「相変わらず、不愛想ですね。」
沈黙。
ほんの一瞬だけ、周りの空気が張る。
なのに、御影はまったく気にしない。
むしろ少し楽しそうに――
「ちょうどいいです」
「一つ、聞いていいですか?」
「なんだ」
御影は、ためらいなく言った。
「いろんな武器がある中で」
「新開地先輩は、なんで、その剛刀を選んでるんですか?」
その問いは――
問そのものが、春日の中に落ちた。
「……何か問題でもあるのか?」
低い声。
新開地は、御影を見たまま言った。
その横で、御影が肩をすくめる。
「それ、私に聞く?」
軽い調子。
新開地は一瞬だけ視線を寄越し――
春日を見て、小さくため息をついた。
「……お前が振った話だろう」
「まぁね」
御影は否定しない。
むしろ、少し楽しそうに笑う。
新開地は、視線を戻す。
春日。
その目は――真っ直ぐだった。
「……なんだ」
短く、言葉を返す。
その瞬間。
春日が、一歩踏み出した。
「先輩は――」
言葉が、早い。
「初太刀に全霊を込めて、いつも相手に切り込んでいます」
間を置かない。
「それは、どうしてですか!」
「避けられることは考えないんですか!」
「二の太刀、三の太刀――選択はあると思います」
さらに。
「構えも、いつも開いている」
「なぜですか!」
矢継ぎ早だった。
新開地の眉が、わずかに寄る。
露骨に、嫌そうな顔。
「……」
御影が、その様子を横で見て――
くすっと笑った。
新開地は、ゆっくりと御影を見る。
――お前か。
完全にそういう目だった。
御影は、平然と視線を返し、
―にこり♪
(やってくれる)
新開地は、内心で舌打ちする。
もう一度、春日を見る。
「……はぁ」
諦めたように。
「質問が多い」
「……すみません」
だが、引かない。
新開地は、ほんの一瞬だけ考える。
そして――
小さく、首を振った。
「……いや」
「いい」
短く区切る。
御影が、
(あ、話すんだ)
少しだけ楽しそうに。 嬉しそうに微笑む。
新開地は、もう一度息を整える。
「初太刀の話からだな」
低く、静かな声。
「全霊を込めているように見えるのは――」
「そうしているからだ」
当然のように言う。
御影の口元が、わずかに緩む。
(それ、答えになってない)
新開地は続ける。
「二の太刀、三の太刀を考えないわけではない」
「だが」
「初太刀で決める」
「――それが、覚悟だ」
春日は、黙って聞いている。
「避けられることは――」
言葉が一瞬だけ止まり。
「当然、ある」
「……」
「だが」
新開地の目が、まっすぐ春日を捉える。
「だからといって、変える理由にはならん」
静かな断定。
御影が、少しだけ目を細めた。
(ああ、そういう言い方するんだ)
新開地は続ける。
「構えも同じだ」
「開いているのではない… 開けている」
「来るなら来い、それが我だ」
その言葉は――
挑発でもあり、覚悟でもあった。
春日の呼吸が、ほんの少しだけ変わる。
御影は、それを横で見ていた。
(刺さってる)
(でも、ズレてる)
新開地の言葉は正しい。
だが、それは“答え”ではない。
少なくとも――
春日の問いの、核心ではない。
御影は、少しだけ楽しそうに息を吐いた。
(さて、どうなるかな)
視線を、二人に戻す。
新開地はまだ語る気でいる。
春日は、まだ聞く気でいる。
新開地は、窓の外に視線を向けた。
そして、
「春日、お前はなぜ素手に拘っている 執着している」
「心が囚われるように見える」
静かな断定だった。
「……あ」
息が、止まる。
その言葉は、思っていたよりも深く入った。
(俺は――)
視線が、無意識に落ちる。
自分の手。
(何を、聞いてるんだ)
新開地の初太刀。
覚悟。
構え。
(違う)
(それじゃない)
頭の中で、何かがほどけかける。
(俺は――)
素手。
小太刀。
どちらも。
(執着してる)
言葉にされて、初めて気づく。
「……」
息が浅くなる。
(何を聞いてるんだ、俺は)
(分からない)
(分からないけど――)
視線を上げる。
そのとき。
「で?」
軽い声。
御影だった。
「それで終わり?」
あっさり。
新開地の視線が、ゆっくりと動く。
御影へ。
わずかに、目が細くなる。
「……お前」
低い声。
だが、怒気はない。
御影は肩をすくめる。
「いいじゃん、先輩なんだし」
軽い。
あまりにも軽い。
一瞬の沈黙。
新開地は、小さく息を吐いた。
「……では、ここまでだ」
区切るように言う。
「お前も借りを作るのは嫌だろう」
御影の眉が、わずかに動く。
(え? そっちに来るんだ)
新開地は、そのまま続けた。
「一つ、聞く 答えろ」
視線が、今度は御影へ。
「鷹宮が言っていた”パンが美味い店”を知っているか」
「……は?」
御影の声が、ほんの少しだけ素に戻る。
「カフェらしい」
真面目な顔。
「聞いているか?」
春日の思考が、一瞬止まる。
だが、反射的に、口が動く。
「鷹宮先輩が言っている店は、分かりませんが」
少しだけ考えて。
「澪先輩が、よく行っている店なら……」
新開地の視線が、わずかに鋭くなる。
「ほう」
「桜通りを北に行った先の店で――
そこのパンとカフェオレは美味しいって、言ってました」
「そうか」
短く、頷く。
(……そこだな)
御影が、横で小さく息を吐く。
(なんなの、この人)
新開地は、すでに春日への興味を失ったように視線を外す。
「ではな」
それだけ言って、歩き出す。
御影が、春日を見る。
「……なんだったの、今の」
率直だった。
春日は、少しだけ間を置いて。
「……分かりません」
正直に言う。
御影は、くすっと笑った。
「だよね」
軽く頷く。
でも。
春日は、まだ新開地の背を見ていた。
(……でも)
さっきの言葉。
「囚われる」
それだけが、残っている。
胸の奥に。
静かに。
重く。
「……あの」
小さく、呟く。
御影が、ちらりと見る。
春日は、視線を落としたまま。
「ありがとうございます…」
誰に向けたのか分からない言葉を、落とした。
御影は、それを聞いて――
少しだけ目を細める。
(へぇ)
口には出さない。
ただ。
「ま、いいんじゃない」
軽く言った。
でも。
さっきより、ほんの少しだけ――
立ち方が変わっていた。
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「御影さん 先ほどのお店なんですが…」
「行かない! 八回目!」




