第三十一話 余白 ー初紅葉ー
とある学園の外れにある、小さなカフェ。
落ち着いた照明と、静かな音楽。
そして――カフェオレが旨い。
蓮が三人分の飲み物を運んできた。
「……で?」
向かいには澪。
その隣に雪。
三人でテーブルを囲んでいる。
「何の話?」
「とぼけるな」
澪の視線が刺さる。
「春日の件だ」
「あー」
間延びした声。
「で?」
澪が一歩詰める。
「どうだった」
蓮は少しだけ考えるふりをして――
「面白かったよ」
即答。
「……」
澪の眉がぴくりと動く。
「そういう意味じゃない」
「いや、そういう意味」
軽い。
「ちゃんと悩んでたし」
「いいじゃん」
澪が小さく息を吐く。
「……まぁ、礼は言っとく」
ぽつりと。
「付き合ってくれて助かった」
蓮、固まる。
「え、怖」
「明日台風?」
「なんか気持ち悪い」
「黙れ」
「この時期に台風は来ない!」
「……まぁ、良いか」
ぽつりと、澪が呟く。
「私じゃなくて、鷹宮先輩に頼ったところもね」
その言葉に、蓮は肩をすくめて笑った。
「そう! なんで俺じゃないんだよって思ったよ」
「う~ん……ほら、前にあったでしょ。雪の一件」
「ああ、あれね……」
思い出したように、蓮は少し視線を落とす。
あの時の空気。
雪の表情。
そして――自分の言葉。
「あの時の蓮の言葉……」
澪は、少しだけ柔らかい声で続けた。
「彼、相当響いたみたいよ」
「え、澪先輩に投げられたからじゃなくて?」
間髪入れず、澪が眉をひそめる。
「ちゃうわ!」
即答だった。
二人の間に、短い笑いが落ちる。
けれど――すぐに、澪の表情はわずかに陰った。
「……実はね」
カップに触れたまま、視線を落とす。
「彼も、お父さんを……二年近く前に亡くしてたらしくて」
「え……そうなのか?」
蓮の声が、少し低くなる。
「……そうだったの。知らなかった」
澪も小さく頷いた。
「まぁ……雪へのあの態度を見たら、なんとなく分かるよね」
言葉が途切れる。
カフェの静けさが、少しだけ重くなる。
「……」
「……」
しばらくの沈黙のあと、澪がふっと顔を上げた。
「春日くん、言ってたよ」
「ん?」
「鷹宮先輩の一言――父と同じ言葉でした、って」
「なるほど……」
蓮は、ゆっくりと息を吐く。
「それで、態度が一気に変わったのか……」
どこか納得したような、けれど少し遠くを見るような目だった。
「で、春日の父親って、どんな人なんだ?」
「さあ……」
澪は首を傾げる。
「本人からは、一つしか聞いてない」
「なに?」
わずかに間を置いて、澪が答える。
「彼の技は――お父さんから学んだ、って」
「……なに?」
次の瞬間。
ガタン、と音を立てて、蓮が勢いよく立ち上がった。
「おい、待てよ! あれだけの術、単なる自宅練習で身につくレベルじゃないだろ!」
「そうなのよ。そこが不思議なのよね」
澪も腕を組み、考え込む。
「そうですよ! あの動き、絶対に何かあります!」
珍しく、雪も身を乗り出した。
「聞いても教えてくれないし……」
「異様に勝ちに拘るしな」
「それに――素手に拘る」
蓮が言葉を継ぐ。
「剣士の学園で素手に拘る。それだけでも普通じゃない」
「なのに対剣術に特化してるし、剣の動きもする……」
「……わからん」
三人の視線が、同時に宙を彷徨った。
やがて。
「でも、良かったですよね」
雪の柔らかい声が、空気を少しだけ和らげる。
「何が?」
「蓮先輩に……頼ったことです」
一瞬、蓮が言葉に詰まる。
「……たしかに」
澪が小さく笑った。
「蓮、さすがじゃない」
「やめろって」
照れ隠しのように、蓮は視線を逸らす。
「春日くん、ちゃんと迷ってましたよね」
「まぁ……迷ってるっていうか」
少しだけ間を置いて、蓮は言った。
「――成長途中、だな」
「はいはい」
澪が軽く流すように笑った。
「で、あれどうなると思う?」
「そのうち抜くでしょ、剣」
澪は少しだけ黙る。
「……だろうな」
短く。
雪はカップを持ったまま首を傾ける。
「でも」
「抜かない理由、本人も分かってなさそうでしたね」
「…拘ることに、拘ってる感じです」
その言葉に。
澪と蓮、同時に視線を向ける。
「よく見てるな、雪」
蓮が言う。
雪は少しだけ照れる。
「いえ、なんとなくです」
「なんとなくでそこまで見るか?」
「見ますよ?」
きょとん。
一拍。
蓮がにやっとする。
「あー」
「こっちも大概だな」
「何がですか?」
雪が首を傾ける。
澪が口を開く。
「雪はな」
「他人ばっか見てる」
「え?」
「自分は?」
雪、止まる。
「……普通ですけど」
少し間。
「多分」
蓮が逃さない。
「“普通”ねぇ」
にやにや。
「ランキング一位が言うセリフじゃないな」
「関係ないです」
雪はすぐ返す。
「ただの順番です」
澪が、ふっと笑う。
「じゃあ聞くが」
「楽しいか?」
雪の手が止まる。
「……楽しい、ですけど」
少し曖昧。
蓮が乗る。
「ほんとに?」
「ほんとです」
即答。
でも――
「最近、“面白かった試合”は?」
雪、詰まる。
「……」
カップを見る。
「……あります」
小さく。
澪、即座に。
「ほらな」
雪が顔を上げる。
「違います!」
少し強い。
「ちゃんと全部、意味はありますし――」
「意味の話じゃない」
澪が切る。
「面白いかどうかだ」
沈黙。
蓮が追撃する。
「ほら、春日と同じこと言ってる」
「えっ」
雪、固まる。
「いや、それは違います」
明らかに動揺。
澪が淡々と畳む。
「見てる側と、やってる側」
「どっちが面白い?」
「……」
完全に止まる。
数秒。
蓮が吹き出す。
「やば」
「詰んだな」
「ちょっと待ってください!」
雪が抗議する。
「なんで私が責められてるんですか!」
「責めてない」
澪、即答。
「確認だ」
「それが責めてるんです!」
蓮が笑う。
澪は少しだけ満足そうにする。
「まぁいい」
カップを持つ。
「お前もそのうち分かる」
さらっと。
「勝ってもつまらん時が来る」
雪、少し黙る。
「……分かる気がします」
小さく。
だが弱い。
蓮がにやっとする。
「来る来る」
「もう来てるかもな」
三人の間に、柔らかい空気。
やがて。
蓮が立ち上がる。
「さて、行くか」
「え、もう? せっかち」
澪。
蓮が笑う。
「はいはい」
三人、席を立つ。
店を出る。
外の空気。
少し冷たい。
澪と雪が少し後ろを歩く。
蓮がぽつり。
「ま、面白くなるといいな」
――
数歩。
沈黙。
「……なぁ」
蓮が振り返る。
「さっきの、割り勘だよな?」
「ごちそうさまです、蓮先輩♪」
雪 澪 そのあとは、何も言わない。
蓮、固まる。
「……は?」
二人、すでに歩き出している。
「ちょっと待てお前ら!!」
声だけが、冷たい空気に響いた




