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入口の話、あるいは雨の理由

岩礁が見えてきたころ、空気が変わった。


匂いが変わった、というより——音が減った。街道沿いには風の音も獣の気配もあったのに、岩礁に近づくにつれ、それらがひとつひとつ抜けていくような感じがした。霜は積もっているのに、踏む音がやわらかすぎた。足の下に、綿でも敷いてあるみたいだった。


「静かですね」英理は言った。


「うん」カエルが答えた。


少し間があって、「気持ち悪い」と付け加えた。悪口ではなく、ただの観測だった。


部瑠太師は何も言わなかった。少し後ろを歩いていた。


干潟の外れ、岩が露出した場所に、それはいた。


最初、英理は見間違えたと思った。岩の上に、何か小さいものがある。鳥か、と思ったが、鳥ではなかった。猫か、と思ったが、猫でもなかった。


座っていた。


岩の上に、脚を組んで、両手を膝に置いて。


小さかった。子供くらい、いや、それより少し小さいか。外套を着ていたが、外套が大きすぎて、肩から全部ずり落ちそうだった。顔は帽子の陰になっていて、最初はよく見えなかった。帽子もやはり大きすぎた。


英理が近づくと、それは顔を上げた。


目が、大きかった。ひとみが金色だった。形は人間だが、目だけが鳥か獣のような輝き方をしていた。ただし怖くなかった。どちらかというと、向こうが面白そうにこちらを見ていた。


食堂で見たものとは違った。あれは丸くて目だけが大きかった。これは別のものだった。


「来たね」とそれは言った。声は軽かった。高くも低くもない、年齢の判断がつかない声だった。


「……だれですか」英理は言った。


「だれとも言えるし、だれでもないとも言える」


「どっちですか」


「今日のところはどっちでもいい」


英理はその答えをしばらく頭の中に置いた。納得はしなかったが、これ以上追っても同じ答えが返ってくる気がした。それより、目が気になった。金色の目が、こちらを見ているようで、こちら以外の何かも見ているような気がした。


カエルが手を剣の柄に当てた。「何者だ」


「怖い人だね」そのものは言った。「大丈夫、食べない」


「食べる食べないの話をしてない」


「してるよ。全部そういう話だよ、こういうとき」


カエルは答えなかったが、手は柄から離れなかった。


「ちょっと待って」


そのものが岩から降りた。音がなかった。大きすぎる外套が後ろに流れた。


「入口、こっちだよ」


英理たちが来た方向とは別の、岩と岩の間を指さした。


英理は岩の間を見た。隙間があった。人が一人、やっと通れるくらいの隙間が。奥は暗かった。ただの岩の割れ目にしか見えなかった。


「あそこですか」


「そう」


「狭くないですか」


「狭い」


「荷物が引っかかりませんか」


「引っかかるかも」


英理は自分の荷物を見た。確かに引っかかりそうだった。


「正面には大きな入口があるように見えますが」英理は岩礁の方を指した。道がまっすぐ続いている先に、確かに門のような岩の形がある。


「見えるね」


「あちらではないんですか」


「見えるだけ」そのものは言った。「見えるものが入口とは限らない。知ってるでしょ」


英理はその言葉を頭の中で転がした。それから荷物を前に抱え直した。


「わかりました」


「えっ」カエルが言った。


「行きましょう」


「ちょっと待て。本当に入口なのか、あそこが」


「なんか、こっちな気がするけん」


「なんか、て」


「他に理由はないですが」


カエルはそのものを見た。そのものはにこりともせず、ただ目だけが金色に光っていた。


「……」カエルは一つ息を吐いた。「わかった」


部瑠太師は最初から何も言っていなかった。岩の隙間をちらりと見て、それから外套の前を合わせた。寒いわけではないのに、なぜか身支度をするような仕草だった。


岩の隙間は、やはり狭かった。


英理は荷物を体の前に抱えて、横向きになって入った。石が背中を擦った。少し進むと暗くなった。あとは感覚だけが頼りで、足の裏で地面を確かめながら進んだ。


後ろでカエルが何かに引っかかって低く言った。悪口ではなかったが、悪口に近いものだった。


もう少し進むと、光があった。そのものが先に出ていた。岩の向こう側で、手招きしていた。大きすぎる外套の袖が、手招きのたびに揺れた。


出ると——


扉があった。


巨大な扉だった。石でできていて、海門の大社の正門に似た形だが、もっと古く、もっと重たそうだった。彫刻がある。波の形。島の形。鳥の形。全部、上を向いていた。


英理は無言で上を見た。


扉の上に、天井がなかった。あるはずの場所に、空があった。雲があった。


「ここ、外ですか、中ですか」


「さあ」そのものは言った。「開けてみれば」


英理は扉の取っ手に手をかけた。重かった。両手で引いた。少しずつ、扉が開いた。


中は、海門の大社のようだった。


正確には、海門の大社に似た空間だった。高い天井。壁に沿って蝋燭が並んでいて、ゆらゆらと燃えている。正面には何もなかった。祭壇があるはずの場所に、ただ光があった。白い、まっすぐな光が、床から天井へ柱のように立っていた。


「さっきの海門の大社より広い」英理は言った。


「広い」とそのものが同意した。


「どうやって岩の向こうにこれが」


「どうやってだと思う?」


「わかりません」


「正直でいい」


カエルが中を一通り見渡した。「罠じゃないのか」


「罠にしては豪勢すぎる」そのものは言った。「もてなしだよ」


「もてなしにしても過剰だ」


「そういうとこが人間は面白い」


雨が、降り始めた。


天井から。


室内なのに、確かに雨が降っていた。蝋燭の炎は消えなかった。石床が少しずつ濡れていった。英理は手を出してみた。冷たかった。本物の雨だった。


「なにこれ」英理は言った。


そのものは少し黙った。


「……僕の涙だ」


静かな声で言った。さっきまでの軽さとは少し違う声だった。


英理はそのものを見た。目が濡れているようには見えなかった。でも、言い方が、冗談には聞こえなかった。


「……そうですか」と英理は言った。それ以上何も言わなかった。


しばらく間があった。


「嘘」とそのものが言った。さっきの声に戻っていた。「僕らの恵みさ」


「どっちですか」


「どっちだと思う?」


「どっちも本当じゃないかと思います」


そのものは何も言わなかった。ただ、目が少し細くなった。笑ったのかもしれなかった。


カエルは雨が自分の外套に当たるのを手で払いながら、「どっちでもいいから屋根をくれ」と言った。


「屋根はない」そのものは言った。「でももうすぐ止む」


「止むのか」


「止まない。変わる」


変わった。


雨が、風になった。静かに吹いていた風が、少しずつ強くなった。蝋燭が一斉に揺れて、消えた。暗くなった。光の柱だけが残った。風はさらに強くなった。外套が後ろへ引っ張られた。荷物が体ごと持っていかれそうになった。英理は踏ん張った。


嵐、と呼んでいいやつだった。


視界が閉じた。白くなったのか黒くなったのかわからなかった。ただ、何も見えなくなった。


「目を閉じて」とそのものの声がした。風の中で、不思議に、はっきり聞こえた。


英理は目を閉じた。


風が、ある。冷たい。でも痛くない。


金属の音が、した。


今まで聞いてきたどの音より近く、はっきりと。硬い金属が一枚、何かに当たる音ではなく——何か大きなものが、鳴っている音。鐘ではない。もっと古いもの。


ああ。


と英理は思った。


ずっとこれが聞こえていたのか。


風が、止んだ。


英理はゆっくり目を開けた。


花が、あった。


一面に。


地面が見えないくらい、白と黄色と薄紅の花が咲いていた。草が伸びていた。遠くに木がある。空が青い。雲がない。光が、まっすぐ降りてきていた。


「え」英理は言った。


蝋燭も、なかった。どこから来たのかもわからなかった。ただ、花野原の中に一行と、そのものが立っていた。


カエルは足元の花を見ていた。剣の柄から手が離れていた。


部瑠太師は目を細めて、遠くを見ていた。何かを思い出しているような顔だった。老人がああいう顔をするのを、英理は初めて見た。


そのものが、英理の隣に立っていた。


「変わった場所でしょ」と言った。


「変わっています」英理は正直に答えた。それから少し考えて、「きれいですね」とも言った。


「うん」


「雨は」


「降ってた」


「今は」


「降ってない」


「どっちが本当でしたか」


そのものは少しの間、黙った。花野原を見渡した。


「どちらも」


と言った。それだけだった。


英理も花野原を見た。風がなくても、花が少し揺れていた。揺れる理由が、見当たらなかった。でも揺れていた。


腹が鳴った。


「……すみません」


「お腹が空いてるの?」そのものが少し驚いた様子で言った。


「歩いてきたので」


「ここに来てもお腹が空くんだ」


「空きます」


「面白い」とそのものは言った。本当に面白そうだった。


カエルがため息をついた。「先があるんだろう。案内しろ」


「先はあるよ」そのものは言った。「急ぐ理由があるの?」


「ある」


「そうか」そのものはカエルを見た。「お前のはわかりやすい」


「なんの話だ」


「においの話」


カエルは黙った。


そのものは英理を見た。


「お前のはわからない」


「そうですか」


「読めない。だから来てみた」


「向こうから来てくれるんですね」


「来るよ。面白い人には」


「一つ聞いていいですか」


「どうぞ」


「面白いって……何がですか」


そのものはしばらく英理を見た。


それから、ゆっくりと言った。


「お前が使ったお札。あれを見てた」


「……あの板を」


「集落で使ったやつ。常世境のためのものを、最初に会った子供のために使った」


「はい」


「なぜそうした」


「子供が寒そうだったので」英理は答えた。「他に理由はないです」


そのものは静かだった。


花が、また揺れた。


「そうか」とそのものは言った。


答えには聞こえなかった。でも、それで何かが決まったような言い方だった。


「行こうか」


そのものが歩き始めた。花野原の中を、細い道があった。最初から見えていたはずなのに、気づかなかった道だった。


英理は部瑠太師の隣を歩いた。


「師」


「うん」


「知っていましたか。こういう場所があることを」


老人はしばらく花野原を見ていた。


「花の色が、少し変わった」と老人は言った。


「え?」


「前に来たときは、もっと白かった」


英理はその言葉を聞いて、黙った。


前に来たとき。


それだけで十分だった。


「師の来たときと、色が違うんですね」


「うん」


「なぜですか」


「さあ」部瑠太師は言った。「花に聞け」


「花に聞き方がわかりません」


「だから花を見るんじゃ」


英理は足元の花を見た。白と黄色と薄紅。揺れている。理由のない揺れ方で。


金属の音が、またした。


今度は足元からだった。


土の下で、静かに、一定のリズムで。まるで最初からここにあったように。まるで英理が来るのを、ずっと待っていたように。



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