ep9. 死亡記録
第九話、お楽しみください。
暗闇の奥から、視線を感じていた。
天井を突き破った“管理者”の腕は消えたはずなのに。
まだいる。
巨大な何かが、校舎全体を覆うようにこちらを見下ろしている。
息が詰まる。
存在そのものを測られているみたいだった。
「……行こう」
雨音が俺の袖を引いた。
声が少し震えている。
「ここにいたら見つかる」
「もう見つかってるだろ……」
「まだ“識別”されただけ」
識別。
その単語に嫌な寒気が走る。
「完全に認識されたら終わりなの」
「終わりって……どうなるんだよ」
雨音は答えなかった。
答えられないのか、
言いたくないのか。
ただ、その顔を見れば十分だった。
ろくなものじゃない。
◇
俺たちは廊下を走った。
だが校舎の構造は完全に狂っていた。
三階へ上がったはずなのに地下へ出る。
曲がった廊下が元の場所へ戻る。
窓の外には、同じ校庭が延々と続いている。
現実感が壊れている。
まるで学校そのものが、“向こう側”へ沈み始めているみたいだった。
「……どこ向かってるんだ」
「資料室」
「資料室?」
「古い記録が残ってる」
雨音は迷いなく走っていく。
まるでこの異常空間を知っているみたいに。
その背中を見ながら、俺は小さな違和感を覚えていた。
こいつは何者なんだ。
本当に、ただの幼馴染なのか?
その時。
後ろから、ぐちゃり、と嫌な音がした。
振り返る。
廊下の奥。
壁から“人”が生えていた。
「っ……!」
制服姿の男子生徒。
だが下半身が壁に埋まっている。
まるで空間に溶け込んでいるみたいに。
そいつは苦しそうに口を開いた。
「たす……け……」
顔を見た瞬間、思い出す。
同じクラスの佐伯だった。
「佐伯!?」
駆け寄ろうとした瞬間、雨音が俺の腕を掴む。
「ダメ!!」
「でも――!」
「もう侵食されてる!」
佐伯の顔が、ゆっくりこちらを向く。
その目は、俺を認識していなかった。
いや。
もっと別のものを見ている。
「神代……?」
掠れた声。
「なあ……お前、どっちだ……?」
その瞬間。
佐伯の首が、ありえない方向へ回転した。
骨が砕ける音。
だが本人はまだ笑っている。
「思い出したんだよ……」
「俺、本当は――」
次の瞬間。
壁の中から大量の腕が伸びた。
白い腕。
黒い腕。
子供の腕。
無数の腕が佐伯を掴む。
「ぁ……」
一瞬で、壁の中へ引きずり込まれた。
最後に見えた佐伯の顔は、
泣いているみたいだった。
静寂。
廊下にはもう誰もいない。
ただ壁だけが脈打っていた。
「……なんなんだよ、これ」
吐き気がする。
雨音は唇を噛みしめていた。
「向こう側に近づくと、“境界”がなくなる」
「境界?」
「人格と人格の境界。
世界と世界の境界。
存在そのものの境界」
理解できない。
したくもない。
だが一つだけ分かった。
ここはもう、
普通の学校じゃない。
◇
資料室は旧校舎の最奥にあった。
重たい鉄扉。
だが妙だった。
そこだけ空間の歪みが少ない。
まるで異常から切り離されているみたいに。
雨音が扉を開ける。
中は暗かった。
古い紙の匂い。
埃。
棚いっぱいに並ぶファイル。
「ここなら少し安全」
「……なんでそんなこと分かるんだ」
俺が聞くと、雨音は少し黙った。
だが答える前に、彼女の視線がある棚で止まる。
「……あった」
彼女が取り出したのは、古びたファイルだった。
表紙にはこう書かれている。
『児童人格固定実験・対象記録』
背筋が凍る。
「なんだよ、それ……」
雨音はゆっくりページを開いた。
中には子供たちの写真が並んでいた。
知らない顔ばかり。
だが、その中に。
「……え?」
俺は息を止めた。
見覚えのある顔。
幼い頃の俺だった。
六歳くらい。
写真の中の俺は、泣いていた。
その隣には、もう一人。
同じ顔の子供。
二人の“神代湊”。
そして、その下には記録があった。
被験体番号:K-17
人格分離:成功
固定処理:実行済み
残存対象:神代湊
消去対象:神代湊
死亡確認:1999年7月18日
呼吸が止まる。
死亡確認。
その文字が頭から離れない。
「……なんだよ、これ」
掠れた声。
「俺、死んでるって……」
その瞬間。
資料室の奥から、誰かの声がした。
『そうだよ』
凍りつく。
ゆっくり振り向く。
棚の奥。
暗闇の中に、“俺”が立っていた。
幼い頃の姿のまま。
赤いミニカーを握りしめて。
そして、笑っていた。
『死んだのは、そっち』
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