ep10. 残った側
第十話、お楽しみください。
資料室の空気が凍った。
棚の奥に立つ“子供の俺”は、六歳のままだった。
擦り傷のある膝。
青い半袖。
右手には赤いミニカー。
――あの日の俺。
『死んだのは、そっち』
その言葉が、頭の中で何度も反響する。
「……違う」
無意識に声が漏れた。
だが、自分でも分かっていた。
否定しきれない。
ファイルに書かれていた“死亡確認”。
同じ名前が二つ並んだ記録。
そして、目の前にいるもう一人の俺。
全部が繋がり始めている。
「神代くん……」
雨音が不安そうに俺を見る。
だが俺は、子供の俺から目を離せなかった。
「お前……誰だ」
掠れた声で問う。
子供の俺は、小さく笑った。
『神代湊』
『最初にいた方』
その瞬間。
頭の奥で、何かが切れた。
◇
暗い部屋。
白い照明。
金属の臭い。
幼い俺が、ベッドの上で泣いている。
『やだ……』
『消えたくない……』
その横には、もう一人の俺。
同じ顔。
同じ声。
白衣の男たちが話している。
『人格固定を開始する』
『不安定側を廃棄』
『残存人格を“神代湊”として登録』
幼い俺が叫ぶ。
『やだ!!』
『なんでぼくが消えるの!!』
誰かが言う。
『お前は不要だからだ』
◇
「ぁ……っ!!」
現実に戻った瞬間、膝から崩れ落ちた。
吐き気が込み上げる。
呼吸ができない。
「神代くん!!」
雨音が駆け寄る。
だが俺の耳には、もう別の声が入り込んでいた。
『思い出した?』
子供の俺が、ゆっくり近づいてくる。
『お前は“残った側”なんだよ』
「……残った、側」
『本当は俺が選ばれるはずだった』
その声には怒りが滲んでいた。
いや。
怒りだけじゃない。
寂しさ。
悲しみ。
孤独。
何年も置き去りにされた子供の感情。
『なのに、お前が残った』
「違……」
『違わない!!』
突然、子供の俺が叫んだ。
資料室の窓ガラスが一斉に割れる。
バリンッ!! という轟音。
吹き込む雨。
『お前は俺を忘れて、生きてた!!』
その瞬間。
部屋中の棚から、大量の紙が舞い上がった。
記録資料。
写真。
実験報告書。
無数の紙が空中を漂う。
そこに映っていたのは、全部“子供たち”だった。
泣いている子供。
笑っている子供。
怯えている子供。
そして、そのほとんどに、
「人格固定失敗」
「存在不安定」
「回収済」
と書かれていた。
「……なんなんだよ、これ」
震える声。
雨音が静かに言った。
「“向こう側”に落ちた子たち」
「落ちた……?」
「選ばれなかった人格」
俺は呆然と資料を見る。
つまり。
世界には最初から、
“消されるための人格”が存在していた?
『違う』
子供の俺が低く言った。
『消されたんじゃない』
『捨てられたんだ』
その言葉に、胸の奥が痛んだ。
『いらないって決められた』
『お前たち“残る側”に』
次の瞬間。
資料室の奥で、ゴゴ……と重い音が響いた。
棚が揺れる。
床が軋む。
雨音の顔色が変わる。
「……来た」
「え?」
彼女は震える声で呟いた。
「管理者が、“ここ”を見つけた」
その瞬間。
資料室の扉が、外側からゆっくり凹んだ。
メキ……。
鉄が軋む。
ありえない力。
そして。
扉の向こうから、無数の声が響いた。
『識別完了』
『不安定人格を確認』
『神代湊を回収します』
子供の俺が笑う。
悲しそうに。
『ほら』
『迎えに来たよ』
次回第11話、随時更新




