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ep12. 観測者

第12話、お楽しみください。

 雨粒が空中で止まっていた。

 砕けたガラスも。

 舞い上がった書類も。

 管理者の腕さえも。

 世界そのものが停止している。

 なのに。

 目の前の男だけが、当たり前のように立っていた。

 黒いコート。

 白い手袋。

 そして、どこか人間離れした静かな笑み。

「……誰だ」

 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。

 男は少しだけ首を傾げる。

「名前は色々ある」

 そう言って、止まった雨粒を指先で弾いた。

 雨粒は砕けず、そのまま空中を滑っていく。

「管理者は私を“観測者”と呼ぶ」

「観測者……」

「君たち人間は、そうだね」

 男は少し考えてから言った。

「記録係、とでも思ってくれればいい」

 意味が分からない。

 だが、管理者よりは話が通じそうだった。

「今、何が起きてる」

「神代湊が回収されようとしている」

「それは見れば分かる!」

「では君は何が知りたい?」

 男は楽しそうだった。

 まるで試験官みたいに。

 俺は歯を食いしばる。

「俺は何なんだ」

 それが一番聞きたかった。

「俺は本当に神代湊なのか」

 観測者は数秒黙った。

 そして。

「難しい質問だ」

 と言った。

 その答えに腹が立った。

「ふざけるな」

「ふざけていない」

 男は穏やかだった。

「例えば一本の木があるとする」

 そう言って指を鳴らす。

 俺たちの間に一本の大樹が現れた。

 幻覚か何かだろうか。

「その木を真ん中から切る」

 幹が二つに割れる。

「どちらが本物だと思う?」

 答えられない。

 どちらも元は同じ木だ。

「君も同じだよ」

 男は言った。

「神代湊は一度、二つに分かれた」

 その言葉と同時に。

 俺の脳裏に、あの資料が浮かぶ。

 人格分離。

 固定処理。

 死亡確認。

「じゃあ俺は……」

「神代湊だ」

 男は即答した。

「そして、神代湊ではない」

 訳が分からない。

 だが不思議と、その言葉は腑に落ちた。

 今まで感じていた違和感。

 記憶の欠落。

 自分の輪郭が曖昧な感覚。

 全部がそこへ繋がる。

「管理者は何をしてる」

「均衡を守っている」

「人を消してるじゃないか!」

「違う」

 男の声が初めて少しだけ冷たくなった。

「消えるのではない」

「戻されるだけだ」

 戻される。

 その言葉を聞いた瞬間。

 佐伯の顔が浮かんだ。

 資料室の前で消えた女子生徒。

 回収された人々。

「そんなの……同じだろ」

「人間から見ればね」

 観測者は静かに言った。

「だが世界から見れば違う」

 その時。

 止まっていた空間の向こうで、何かが軋んだ。

 管理者だ。

 完全には止まっていない。

 巨大な黒い影が、少しずつこちらを向いている。

 観測者がため息をついた。

「思ったより早いな」

「何がだ」

「君を見つけるのが」

 その言葉に、嫌な予感が走る。

「俺を?」

「そう」

 観測者は初めて真剣な表情になった。

「神代湊」

「君は“例外”なんだ」

 例外。

 その言葉と同時に。

 頭の奥で、誰かの声がした。

『見つけた』

 聞いたことがある声。

 六歳の夏。

 団地の階段。

 もう一人の俺。

 その声だ。

「……っ!」

 激痛が走る。

 視界が歪む。

 そして見えた。

 知らない記憶。

 白い施設。

 長い廊下。

 泣いている子供たち。

 その中で、一人の研究者が叫んでいる。

『ありえない!』

『人格が融合している!』

『固定が完了していない!』

『なぜ両方残っている!?』

 世界が揺れる。

 記憶が崩れる。

 そして最後に。

 研究者が、こちらを見た。

『K-17は失敗だ』

『この子は――』

 その瞬間。

 バキン、と音がした。

 止まっていた世界に、亀裂が入る。

 観測者が顔を上げた。

「時間切れか」

 管理者の腕が、ゆっくり動き始めていた。

 雨粒が落ちる。

 紙が舞う。

 世界が再び動き出す。

 観測者は後ろへ下がった。

「待て!」

 俺は叫ぶ。

「失敗って何だ!?」

「簡単だよ」

 観測者は微笑んだ。

 そして最後に、こう言った。

「君は一人じゃない」

 次の瞬間。

 時間が完全に再開した。

 轟音。

 管理者の腕が、俺へ向かって振り下ろされる。

 そして俺の中で。

 誰かが目を覚ました。

第13話、随時更新。


ブックマーク、星、お待ちしてます。

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