表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海の声が聞こえなくても・土讃線が止まった秋  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
72/79

助からなかった命

第15話


助からなかった命


 昼を過ぎても、大歩危駅の空気は重かった。


 救護活動は続いている。


 旅館のロビー。


 駅の待合室。


 ホーム。


 あらゆる場所が、即席の避難所になっていた。


 坂本医師と看護師たちは、休む間もなく負傷者を診て回る。


 だが、現実は残酷だった。


     *


「……脈が弱い」


 坂本医師が、小さく呟く。


 煙を大量に吸った高齢男性。


 呼吸は浅く、唇は紫色になっている。


 酸素設備があれば。


 病院へ運べれば。


 助かった可能性はある。


 だが、ここには何もない。


 山は閉ざされている。


 救急車も来られない。


 医師は唇を噛んだ。


     *


 石原車掌は、その様子を見つめていた。


「先生……」


 坂本医師は、ゆっくり首を振った。


「今できることはやっています。でも……」


 その先を、言葉にしなかった。


 避難所の空気が静まる。


 誰も、現実から目を逸らせなくなっていた。


     *


 南風11号。


 あの炎の車内で助けられなかった乗客たち。


 そして、殉職した真鍋悠真。


 さらに、避難後に容体が悪化していく負傷者。


 “助かった”だけでは終わらない。


 生き延びても、そこから命をつなげるかどうかは別だった。


     *


 午後。


 待合室の奥から、泣き声が聞こえた。


 静かな泣き声だった。


 煙を吸っていた高齢男性が、息を引き取ったのだ。


 隣にいた妻が、夫の手を握っている。


「……よう頑張ったねぇ」


 それだけだった。


 叫びもない。


 取り乱しもしない。


 ただ、長年連れ添った人へ、静かに語りかけていた。


 その姿に、避難者たちは顔を伏せた。


     *


 三谷車掌が、駅舎の外へ出る。


 空は晴れていた。


 昨日と同じ青空。


 なのに、世界だけが変わってしまった。


 その時。


 遠くから、軽トラックの音が聞こえた。


 ガタガタと揺れながら、一台の軽トラが駅前へ入ってくる。


「おーい!」


 運転席から、日に焼けた男性が降りてきた。


 農家だった。


「避難しちゅう人がおるって聞いてな!」


 荷台には、大量の野菜が積まれていた。


 大根。


 白菜。


 ネギ。


 さつまいも。


 かぼちゃ。


 泥のついたままの野菜たち。


     *


 旅館スタッフが驚く。


「こんなに……!」


 農家の男性は頭をかいた。


「業務用の冷蔵庫、停電で止まっちゅうき。このままやと全部傷む」


 後ろから、別の女性も降りてくる。


「せっかく作った野菜やき、捨てるくらいなら食べてもらいたいがよ」


 その言葉に、待合室の人々が顔を上げた。


     *


 さらに、軽トラの荷台には別のものも積まれていた。


 小型の発電機。


「トラクターも今は使えんし」


 農家の男性が言う。


「これも使うてください。電気、少しは取れるはずや」


 駅員が目を見開く。


「発電機を……?」


「困っちゅう時はお互い様や」


 男性は笑った。


 疲れた顔だった。


 きっと彼自身も被災している。


 それでも、持ってきた。


 山を越えて。


 この孤立した駅へ。


     *


 川原恒一は、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 農家の男性は首を振る。


「礼なんかいらん」


 そして、避難者たちを見回した。


「生き延びてもらわんと困る」


     *


 その言葉に、石原の目から涙がこぼれた。


 昨日から、何度も“助けられなかった命”を見てきた。


 真鍋。


 炎の車内に残された乗客。


 避難後に亡くなった高齢男性。


 無力感ばかりが胸に積もっていた。


 けれど今、地元の人たちが、自分たちを支えようとしてくれている。


 それが、どれほど救いになるか。


     *


 旅館の厨房では、すぐに動きが始まった。


「白菜切ります!」


「大鍋あります!」


「味噌、まだ残ってます!」


 地元の女性たちが声を掛け合う。


 駅員も、避難者も手伝い始める。


 発電機が回り始める。


 ブロロロロ……


 小さなエンジン音。


 その音だけで、人々の表情が少し変わった。


「電気や……」


「明かりつくかもしれん」


 発電機は大きな電力は出せない。


 それでも、スマートフォンを充電できる。


 簡易照明を点けられる。


 それは、孤立した避難所にとって大きかった。


     *


 夕方。


 駅前には、大鍋の湯気が立ち上っていた。


 白菜とネギの味噌汁。


 さつまいも。


 簡単なものだった。


 けれど、人々は紙椀を両手で包み込むように持った。


「温かい……」


 それだけで、泣き出す人もいた。


     *


 川原は、湯気の向こうにいる避難者たちを見つめる。


 助からなかった命がある。


 守れなかった人がいる。


 その現実は消えない。


 でも――


 生きている人たちもいる。


 支え合おうとする人たちもいる。


 農家が野菜を持ってくる。


 旅館が部屋を開ける。


 駅員が名簿を書く。


 医師が診察する。


 避難者が子どもをあやす。


 その一つひとつが、“命をつなぐ”ことだった。


     *


 石原が、味噌汁をすすりながら小さく言う。


「真鍋さんにも、飲ませたかったな……」


 川原は、しばらく黙っていた。


 そして答える。


「あいつなら、“白菜うまいなぁ”とか言いながら笑うやろな」


 石原が、少しだけ笑った。


 その笑顔は、涙で歪んでいた。


     *


 夜が近づく。


 余震はまだ続いている。


 道路も開かない。


 救助隊も本格到着していない。


 それでも、大歩危駅には昨日とは違う空気があった。


 絶望だけではない。


 人が、人を支えようとする空気。


 川原は、駅舎の外へ出る。


 夕暮れの山を見上げた。


 列車は止まった。


 多くの命が失われた。


 でも、人まで止まってはいなかった。



次回予告


第16話「帰れない線路」


 孤立した大歩危駅で、避難生活が続く。


 一方、土讃線では被害調査が始まり、南風11号の事故現場にもようやく救助隊が近づこうとしていた。


 しかし、崩落した山肌と不安定な地盤が作業を阻む。


 そして、真鍋運転士と犠牲者たちを、線路から帰してやりたい――。


 鉄道員たちの想いが動き始める。


 次回、

 第16話「帰れない線路」


 止まったままの線路に、まだ帰れない人たちがいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ