助からなかった命
第15話
助からなかった命
昼を過ぎても、大歩危駅の空気は重かった。
救護活動は続いている。
旅館のロビー。
駅の待合室。
ホーム。
あらゆる場所が、即席の避難所になっていた。
坂本医師と看護師たちは、休む間もなく負傷者を診て回る。
だが、現実は残酷だった。
*
「……脈が弱い」
坂本医師が、小さく呟く。
煙を大量に吸った高齢男性。
呼吸は浅く、唇は紫色になっている。
酸素設備があれば。
病院へ運べれば。
助かった可能性はある。
だが、ここには何もない。
山は閉ざされている。
救急車も来られない。
医師は唇を噛んだ。
*
石原車掌は、その様子を見つめていた。
「先生……」
坂本医師は、ゆっくり首を振った。
「今できることはやっています。でも……」
その先を、言葉にしなかった。
避難所の空気が静まる。
誰も、現実から目を逸らせなくなっていた。
*
南風11号。
あの炎の車内で助けられなかった乗客たち。
そして、殉職した真鍋悠真。
さらに、避難後に容体が悪化していく負傷者。
“助かった”だけでは終わらない。
生き延びても、そこから命をつなげるかどうかは別だった。
*
午後。
待合室の奥から、泣き声が聞こえた。
静かな泣き声だった。
煙を吸っていた高齢男性が、息を引き取ったのだ。
隣にいた妻が、夫の手を握っている。
「……よう頑張ったねぇ」
それだけだった。
叫びもない。
取り乱しもしない。
ただ、長年連れ添った人へ、静かに語りかけていた。
その姿に、避難者たちは顔を伏せた。
*
三谷車掌が、駅舎の外へ出る。
空は晴れていた。
昨日と同じ青空。
なのに、世界だけが変わってしまった。
その時。
遠くから、軽トラックの音が聞こえた。
ガタガタと揺れながら、一台の軽トラが駅前へ入ってくる。
「おーい!」
運転席から、日に焼けた男性が降りてきた。
農家だった。
「避難しちゅう人がおるって聞いてな!」
荷台には、大量の野菜が積まれていた。
大根。
白菜。
ネギ。
さつまいも。
かぼちゃ。
泥のついたままの野菜たち。
*
旅館スタッフが驚く。
「こんなに……!」
農家の男性は頭をかいた。
「業務用の冷蔵庫、停電で止まっちゅうき。このままやと全部傷む」
後ろから、別の女性も降りてくる。
「せっかく作った野菜やき、捨てるくらいなら食べてもらいたいがよ」
その言葉に、待合室の人々が顔を上げた。
*
さらに、軽トラの荷台には別のものも積まれていた。
小型の発電機。
「トラクターも今は使えんし」
農家の男性が言う。
「これも使うてください。電気、少しは取れるはずや」
駅員が目を見開く。
「発電機を……?」
「困っちゅう時はお互い様や」
男性は笑った。
疲れた顔だった。
きっと彼自身も被災している。
それでも、持ってきた。
山を越えて。
この孤立した駅へ。
*
川原恒一は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
農家の男性は首を振る。
「礼なんかいらん」
そして、避難者たちを見回した。
「生き延びてもらわんと困る」
*
その言葉に、石原の目から涙がこぼれた。
昨日から、何度も“助けられなかった命”を見てきた。
真鍋。
炎の車内に残された乗客。
避難後に亡くなった高齢男性。
無力感ばかりが胸に積もっていた。
けれど今、地元の人たちが、自分たちを支えようとしてくれている。
それが、どれほど救いになるか。
*
旅館の厨房では、すぐに動きが始まった。
「白菜切ります!」
「大鍋あります!」
「味噌、まだ残ってます!」
地元の女性たちが声を掛け合う。
駅員も、避難者も手伝い始める。
発電機が回り始める。
ブロロロロ……
小さなエンジン音。
その音だけで、人々の表情が少し変わった。
「電気や……」
「明かりつくかもしれん」
発電機は大きな電力は出せない。
それでも、スマートフォンを充電できる。
簡易照明を点けられる。
それは、孤立した避難所にとって大きかった。
*
夕方。
駅前には、大鍋の湯気が立ち上っていた。
白菜とネギの味噌汁。
さつまいも。
簡単なものだった。
けれど、人々は紙椀を両手で包み込むように持った。
「温かい……」
それだけで、泣き出す人もいた。
*
川原は、湯気の向こうにいる避難者たちを見つめる。
助からなかった命がある。
守れなかった人がいる。
その現実は消えない。
でも――
生きている人たちもいる。
支え合おうとする人たちもいる。
農家が野菜を持ってくる。
旅館が部屋を開ける。
駅員が名簿を書く。
医師が診察する。
避難者が子どもをあやす。
その一つひとつが、“命をつなぐ”ことだった。
*
石原が、味噌汁をすすりながら小さく言う。
「真鍋さんにも、飲ませたかったな……」
川原は、しばらく黙っていた。
そして答える。
「あいつなら、“白菜うまいなぁ”とか言いながら笑うやろな」
石原が、少しだけ笑った。
その笑顔は、涙で歪んでいた。
*
夜が近づく。
余震はまだ続いている。
道路も開かない。
救助隊も本格到着していない。
それでも、大歩危駅には昨日とは違う空気があった。
絶望だけではない。
人が、人を支えようとする空気。
川原は、駅舎の外へ出る。
夕暮れの山を見上げた。
列車は止まった。
多くの命が失われた。
でも、人まで止まってはいなかった。
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次回予告
第16話「帰れない線路」
孤立した大歩危駅で、避難生活が続く。
一方、土讃線では被害調査が始まり、南風11号の事故現場にもようやく救助隊が近づこうとしていた。
しかし、崩落した山肌と不安定な地盤が作業を阻む。
そして、真鍋運転士と犠牲者たちを、線路から帰してやりたい――。
鉄道員たちの想いが動き始める。
次回、
第16話「帰れない線路」
止まったままの線路に、まだ帰れない人たちがいる。




