全国で列車が止まった日
第14話
全国で列車が止まった日
大歩危駅に朝が来た。
けれど、その朝は、いつもの朝ではなかった。
駅の待合室は救護所になり、旅館のロビーには負傷者が横たわっている。
ホームには毛布に包まった乗客たちが座り込み、駅員は名簿を作り続けていた。
町の診療所から駆けつけた坂本医師と二人の看護師は、休む間もなくトリアージを進めていた。
「この方は旅館の大広間へ。体温が下がっています」
「こちらは骨折疑い。動かさないでください」
「煙を吸った方は、できるだけ上体を起こして」
医療が届いた。
それだけで、人々の表情は少しだけ変わっていた。
しかし、救われたわけではない。
大歩危駅は、まだ山に閉じ込められていた。
*
川原恒一は、駅事務室の片隅で無線を握っていた。
「こちら大歩危駅。負傷者多数。医師一名、看護師二名到着。応急処置中。道路復旧見込みは」
雑音の向こうから、かすれた声が返る。
『……道路班……到達困難……国道複数箇所で崩落……』
「救助隊は」
『……調整中……ただし他地域でも被害多数……』
川原は拳を握った。
“調整中”。
それは、すぐには来られないという意味だった。
*
その時、駅員が小さなテレビを持ってきた。
非常用電源につながれた画面に、ノイズ混じりのニュース映像が映る。
避難者たちは、自然とその前へ集まった。
アナウンサーの声は、昨日よりもさらに重かった。
『昨日午後一時四十二分ごろ発生した南海トラフ巨大地震により、鉄道各線で甚大な被害が確認されています』
画面が切り替わる。
海沿いの線路。
横倒しになった車両。
津波に押し流された駅舎。
折れ曲がった高架橋。
『四国内では、走行中だった列車のうち、半数近くが脱線、停止、または安否確認不能の状態となっています』
待合室に、ざわめきが広がる。
「半数……?」
「そんなに……」
石原車掌は、画面を見つめたまま動けなかった。
自分たちの列車だけではない。
四国中で、列車が止まっている。
*
ニュースは続く。
『予讃線では、沿岸部を走行していた普通列車が津波に巻き込まれたとの情報があります』
画面には、泥と瓦礫の中で横倒しになった車両が映る。
『高徳線では、強い揺れにより複数の列車が緊急停止。一部で脱線が確認されています』
『牟岐線、紀勢本線など太平洋沿岸を走る路線では、津波による線路流失、橋梁損傷が相次いでいます』
『山陽新幹線では高架橋損傷のため、全線で運転を見合わせています』
『九州新幹線でも地震波による緊急停止後、複数箇所で設備損傷が確認されています』
日本の鉄道網が、次々と赤く塗りつぶされていくようだった。
*
三谷車掌が、呆然と呟いた。
「日本中で……」
川原は答えなかった。
答えられなかった。
鉄道員にとって、列車が止まることは重大なことだった。
けれど今は、一本や二本ではない。
日本の時間そのものが止まっている。
*
指令本部の映像も流れた。
職員たちが怒号の中で電話を取り、無線を取り、画面を確認している。
『現在、JR四国では全列車の安否確認を急いでいますが、通信障害と道路寸断により、確認作業は難航しています』
『運転指令によりますと、土讃線では特急列車同士が山間部で被災し、多数の負傷者が出ている模様です』
その言葉に、大歩危駅の人々は息を呑んだ。
それは、自分たちのことだった。
*
石原は、画面から目をそらした。
真鍋悠真。
南風11号。
炎。
助けられなかった乗客。
それらがまた胸に蘇る。
その横で、坂本医師が淡々と処置を続けていた。
「今は画面を見るより、毛布を持ってきてください」
その言葉に、石原ははっとする。
「はい!」
現実はテレビの中だけではない。
目の前にも、まだ苦しんでいる人がいる。
*
旅館の大広間では、避難者たちがニュースの音を聞きながら身を寄せ合っていた。
観光で来ていた女性が、涙を拭う。
「昨日まで、ただ旅行やったのに……」
隣にいた地元の男性が、静かに言った。
「この線路が止まったら、山の町は本当に孤立するがです」
女性は顔を上げる。
「鉄道って……こんなに大事なんですね」
「普段は当たり前に見えるけどね」
男性は、窓の外の山を見た。
「列車の音が聞こえるだけで、町はつながっちゅうと思えるがです」
*
ニュース映像は、さらに過酷な現実を映し続けた。
駅のホームに取り残された乗客。
津波で水没した車両基地。
線路の上に崩れ落ちた土砂。
高架橋の上で止まった新幹線。
そして、海沿いの町で毛布に包まれた少女。
田中小百合。
昨日の映像が、再び流れた。
泥だらけの服。
見開かれた目。
言葉を失ったような姿。
アナウンサーが言う。
『高知市沿岸部で保護された田中小百合さんは、現在も家族と連絡が取れていないということです』
待合室が静まり返る。
列車の被害。
町の被害。
ひとりの少女の喪失。
それらは、全部つながっていた。
*
川原は、画面の小百合を見つめた。
昨日、山の中で見た時と同じ少女。
泣いていない。
泣けないのだ。
川原には、そう見えた。
自分たち鉄道員も、声を失いかけている。
だが、止まるわけにはいかない。
乗客がいる。
負傷者がいる。
山の向こうには、まだ列車がある。
*
駅員が新しい情報を持ってきた。
「川原さん、周辺旅館の一つが、さらに避難者を受け入れ可能とのことです。ただ、建物の一部にひびがあり、人数制限があります」
「重傷者と子どもを優先」
「はい」
「水の残量は」
「駅の自販機分と、ホテル側の備蓄で今日の昼までは何とか。ただし全員には十分ではありません」
「食料は」
「かなり厳しいです」
川原はうなずいた。
全国の鉄道被害を知っても、やることは変わらない。
目の前の命を守る。
それだけだった。
*
昼前。
ようやく、防災ヘリが一機、上空に姿を見せた。
だが、着陸できる場所はない。
山間部の風は不安定で、駅周辺の空き地も狭い。
ヘリは上空を旋回するだけだった。
それでも、乗客たちは空を見上げた。
「来た……」
「見つけてもらえた……」
それだけで、涙を流す人がいた。
ヘリから無線が入る。
『大歩危駅避難者確認。救助調整中。物資投下可能地点を確認中』
川原は無線を握る。
「こちら大歩危駅。負傷者多数。医師一名処置中。水、医薬品、毛布を優先願います」
『了解』
短い返答。
だが、それは確かな希望だった。
*
午後。
駅のホームに、再び地震の揺れが来た。
余震。
しかし、今度は誰も完全には崩れなかった。
伏せる。
声をかける。
子どもを守る。
負傷者を支える。
昨日の混乱とは違う。
人々は、少しずつ災害の中で動く術を覚え始めていた。
*
川原はホームに立ち、止まった線路を見つめた。
土讃線。
予讃線。
高徳線。
牟岐線。
山陽新幹線。
九州新幹線。
全国で列車が止まった日。
それは、日本がどれほど鉄道によって結ばれていたかを、逆に突きつける日でもあった。
列車が走ることは、当たり前ではない。
線路がつながっていることは、奇跡に近い日常だった。
*
川原は、静かに呟いた。
「また走らせる」
隣にいた石原が顔を上げる。
「え?」
「いつになるか分からん。でも、また走らせる」
石原の目に涙が浮かぶ。
「真鍋さんも……そう思いますよね」
「あぁ」
川原は、山の向こうを見た。
「列車は止まったままでは終われん」
ディーゼル音のない山に、風だけが吹いていた。
けれど川原の中では、もう次の音が聞こえ始めていた。
再び列車が走る音。
人々が帰る音。
日常が、少しずつ戻る音。
次回予告
第15話「助からなかった命」
全国規模の鉄道被害が明らかになる中、大歩危駅では救護活動が続く。
だが、医療も物資も限られた孤立状態で、すべての命を救うことはできない。
南風11号で犠牲となった乗客たち。
殉職した真鍋運転士。
そして、救助を待ちながら力尽きる人々。
次回、
第15話「助からなかった命」
鉄道員たちは、守りきれなかった命の重さと向き合う。




