表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海の声が聞こえなくても・土讃線が止まった秋  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
70/79

夜明け前

第13話


夜明け前


 夜明け前の大歩危駅は、深い冷気に包まれていた。


 誰も、まともには眠れていない。


 待合室では、毛布に包まった避難者たちが肩を寄せ合っている。


 ホームには、うっすら白い息が漂う。


 余震のたびに目を覚まし、地鳴りのたびに身を縮める。


 夜は、あまりにも長かった。


     *


 午前五時過ぎ。


 空の端が、少しずつ青みを帯び始めた。


 黒かった山の輪郭が、ゆっくり見えてくる。


 崩れた斜面。

 落石。

 歪んだ線路。

 遠くに残る煙。


 明るくなるということは、希望でもあり、現実を見せつけることでもあった。


     *


 旅館のロビーでは、煙を吸った男性の呼吸がさらに苦しくなっていた。


「息が浅いです」


 旅館スタッフが不安そうに言う。


 石原車掌が唇を噛む。


 医者はいない。


 救急車も来ない。


 このままでは、助かった命がまた失われる。


 その時だった。


     *


 駅前から、誰かの声がした。


「けが人はどこですか!」


 全員が振り向く。


 朝の薄明かりの中、初老の男性が駅へ向かって歩いてきていた。


 白衣ではない。


 防寒着にリュック。


 足元は泥で汚れている。


 その後ろに、看護師らしき女性が二人。


 息を切らしながらも、まっすぐ駅へ向かってくる。


     *


 駅員が駆け寄る。


「どちらから……!」


「町の診療所の医者です。坂本と言います」


 男性は短く名乗った。


「本職は内科ですが、外科の応急処置もできます」


 その言葉に、周囲の空気が変わった。


 医者。


 その一言が、どれほど大きいか。


 夜を越した避難者たちには、痛いほど分かった。


     *


 坂本医師は、すぐに言った。


「今からトリアージを行います」


 看護師二人が手早くバッグを開く。


 包帯。

 消毒液。

 聴診器。

 血圧計。

 簡易酸素。

 色分けされたタグ。


 川原が近づく。


「重傷者はこちらです」


「案内してください」


 坂本医師は、疲れた顔のまま、しかし迷いなく歩き出した。


     *


 待合室と旅館ロビーが、即席の救護所になった。


「意識あり。呼吸苦あり。煙を吸っています」


「こちら、左脚骨折疑い」


「頭部打撲。意識はあります」


「子どもさんは先に体温確認を」


 看護師たちが声を掛け合う。


 避難者たちは、静かに道を開けた。


 昨夜までの恐怖だけの空気に、少しだけ秩序が戻っていく。


     *


 坂本医師は、煙を吸った男性の胸に聴診器を当てた。


「呼吸が悪い。横向きにしてください。温めて。水は少しずつ」


 看護師がうなずく。


「はい」


 次の患者へ移る。


 傷を見る。


 脈を見る。


 意識を確認する。


 短く、確実に判断していく。


     *


 石原は、その様子を見て、目に涙を浮かべた。


「助かるかもしれん……」


 昨夜、何度も思った。


 このまま誰かが死ぬのではないか。


 助けた命を、また失うのではないか。


 けれど今、医療が届いた。


 完全ではない。


 病院ではない。


 それでも、命をつなぐ手が届いた。


     *


 川原は坂本医師へ頭を下げた。


「先生、ありがとうございます」


 坂本医師は顔を上げずに答える。


「礼は後です。まだ夜は終わっていません」


 その言葉通りだった。


 夜は明け始めた。


 だが、孤立は終わっていない。


 道路はまだ寸断されている。


 救助隊の本格到着も見えない。


 そして、山はまだ揺れている。


     *


 駅の外では、朝日が少しずつ山の稜線を照らしていた。


 美しいはずの紅葉が、崩落した斜面の土色に裂かれている。


 それでも、光は差した。


 大歩危駅のホームに、薄い朝日が届く。


 川原はその光を見つめた。


 夜は越えた。


 まだ終わっていない。


 でも、確かに一つ、越えた。


     *


 その時、待合室の奥で、小さな子どもが言った。


「朝や」


 誰かが、静かにうなずいた。


「朝が来たね」


 たったそれだけの言葉に、避難者たちは涙をこらえた。


 昨日まで当たり前だった朝。


 今日は、それが奇跡のように思えた。



次回予告


第14話「全国で列車が止まった日」


 夜を越えた大歩危駅に、町の診療所から医師と看護師が到着した。


 だが、救護が始まる一方で、全国の鉄道被害はさらに明らかになっていく。


 四国では走行中列車の半数近くが脱線・停止。


 関西から九州に至るまで、津波と激震が鉄道網を寸断していた。


 次回、

 第14話「全国で列車が止まった日」


 土讃線の惨劇は、日本中で起きた鉄道災害の一部に過ぎなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ