表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海の声が聞こえなくても・土讃線が止まった秋  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
67/79

山の孤立

 第10話

 山の孤立


 大歩危駅にたどり着いた時、誰もが一瞬だけ「助かった」と思った。


 屋根がある。


 水がある。


 人がいる。


 それだけで、山中の線路脇に取り残されていた人々には、まるで別世界のように感じられた。


 だが、その安堵は長くは続かなかった。


 *


 駅前の道路は、途中で寸断されていた。


 山肌が崩れ、落石と土砂が道をふさいでいる。


 観光バスも、救急車も、消防車も入ってこられない。


 駅員が青ざめた顔で戻ってくる。


「駅前から国道へ出る道、落石で通れません」


 川原恒一は目を閉じた。


「やっぱりか……」


 石原車掌が聞く。


「救急車は?」


「来られません。少なくとも今すぐは無理です」


 大歩危駅。


 観光地の玄関口。


 けれど今は、山に閉じ込められた避難所だった。


 *


 旅館やホテルのスタッフは、すぐに動いていた。


「重傷者はうちのロビーへ!」


「毛布を持ってきました!」


「大広間を開けます!」


「お湯、少しなら沸かせます!」


 観光地だからこそ、人を受け入れる場所があった。


 それは救いだった。


 けれど、医療は足りない。


 薬も足りない。


 包帯も足りない。


 医師もいない。


 負傷者の中には、骨折している者、煙を吸って苦しむ者、意識が朦朧としている者もいた。


 川原は、待合室に横たわる乗客たちを見た。


 助けた。


 でも、まだ守れていない。


 *


 駅の事務室では、無線と電話が断続的に鳴っていた。


 しかし、つながるのは短い時間だけ。


「こちら大歩危駅! 南風11号、14号乗客を収容! 負傷者多数!」


 駅員が叫ぶ。


 だが返ってくる声は、雑音に埋もれる。


『……四国内……複数列車……脱線……』


『……津波……沿岸部……』


『……救助……優先順位……』


「聞こえません! 大歩危です! 負傷者多数!」


 通信は、また切れた。


 駅員は受話器を握りしめたまま、肩を震わせる。


「どうなっちゅうんや……」


 *


 その頃、運転指令本部では、状況がさらに悪化していた。


 壁一面のモニター。


 列車位置表示。


 赤、黄、赤。


 異常を示す表示が次々と増えていく。


「予讃線、沿岸部で津波浸水!」


「高徳線、列車脱線確認!」


「牟岐線、安否不明!」


「土讃線、南風11号火災、死傷者多数の可能性!」


「四国内で走行中列車の半数近くに何らかの異常!」


 指令員たちは、声を枯らして対応していた。


 だが、情報は足りない。


 通信は途切れる。


 列車からの応答がない。


 線路が無事かどうかも分からない。


 日本中が揺れていた。


 四国だけではない。


 紀伊半島。


 関西。


 山陽。


 九州。


 至る所で列車が止まり、脱線し、津波に襲われている。


 鉄道網そのものが、傷ついていた。


 *


 大歩危駅の待合室。


 小さな男の子が、母親の膝の上で眠っていた。


 その隣では、煙を吸った女性が咳き込んでいる。


「水、もう少しありますか」


 旅館スタッフが尋ねる。


 三谷車掌が、残量を書き込んだ紙を見つめる。


「自販機の分はあります。ただ、この人数だと……」


 言葉が続かない。


 避難者は列車の乗客だけではなかった。


 地震で不安になった観光客。


 駅周辺の住民。


 道路が通れず戻れなくなった人。


 次々と大歩危駅周辺へ集まり始めていた。


 水はある。


 しかし、十分ではない。


 食料も限られている。


 夜を越す準備が必要だった。


 *


 川原は、旅館の支配人らしき男性と話していた。


「何人受け入れられますか」


「ロビーと大広間で、五十人ほど。布団はあります。ただ、厨房の水道が不安定で……」


「けが人を優先させてください」


「分かりました」


 別のホテルスタッフが言う。


「うちは外国人観光客もいます。通訳できる人がいれば助かります」


「三号車に英語ができる乗客がいました。協力を頼みます」


 川原は即座に判断していく。


 運転士として列車を走らせていた数時間前には、こんな指揮を執るとは思っていなかった。


 しかし今、この場で動ける鉄道員は限られている。


 誰かが中心にならなければ、人は混乱する。


 *


 石原は、真鍋悠真のことを考えていた。


 南風11号の運転士。


 最後まで乗客を助けようとした男。


 彼の亡骸は、まだ事故現場に残されている。


 本当なら、すぐに迎えに行きたい。


 だが、火災はまだ完全には収まっていない。


 余震も続いている。


 今行けば、二次災害になる。


 石原は拳を握った。


「すみません……真鍋さん……」


 その背中に、川原が声をかける。


「石原」


「はい」


「今は生きとる人を守る」


「……はい」


「真鍋も、それを望む」


 石原は、涙をこらえてうなずいた。


 *


 午後五時前。


 山の影は急速に濃くなった。


 十一月の夕暮れは早い。


 待合室の照明は非常電源でかろうじて点いている。


 だが、どこまでも心細い明かりだった。


 外では、旅館のスタッフと乗客たちが協力して、簡易の避難導線を作っている。


 駅員は避難者名簿を作り続ける。


 負傷者の名前。


 年齢。


 けがの状態。


 家族の有無。


 南風11号か、14号か。


 誰が無事で、誰がいないのか。


 書くたびに、現実が紙の上へ刻まれていく。


 *


 その時、大きな余震が来た。


 駅舎がきしむ。


 ガラスが震える。


「伏せて!」


 川原が叫ぶ。


 待合室の人々が身を低くする。


 子どもが泣く。


 負傷者がうめく。


 外から、山が崩れるような音が聞こえた。


 ドン、という重い響き。


 誰かが言った。


「また道が……」


 駅員が外へ出て、すぐ戻ってくる。


「駅の北側の斜面に亀裂が入っています」


 支配人が顔をこわばらせる。


「ここも危ないということですか」


 川原は、すぐには答えなかった。


 安全な場所など、どこにもない。


 ただ、今いる場所の中で、よりましな場所を選び続けるしかなかった。


 *


 川原は全員へ向かって声を張った。


「聞いてください!」


 ざわめきが止まる。


「救助隊は、すぐには来られません。道路が寸断されています。通信も不安定です」


 その言葉に、不安が広がる。


 だが、川原は続けた。


「ですが、ここには水があります。屋根があります。旅館やホテルが避難者を受け入れてくれています」


 一人ひとりの顔を見る。


「今は、ここで夜を越す準備をします」


 誰かが震える声で聞いた。


「本当に助かるんですか」


 川原は、少し間を置いた。


 嘘はつけない。


 でも、絶望も渡せない。


「助かるために、今できることを全部やります」


 その言葉に、待合室は静まり返った。


 *


 夜が近づく。


 大歩危駅は、孤立していた。


 だが、完全な絶望ではなかった。


 人がいた。


 手があった。


 声があった。


 駅員が名簿を書く。


 旅館が毛布を運ぶ。


 乗客が子どもをあやす。


 鉄道員が負傷者を運ぶ。


 観光客が通訳をする。


 誰かが誰かの隣に座る。


 山に閉ざされた駅で、人々は小さな社会を作り始めていた。


 *


 川原はホームに立ち、遠くの山を見つめた。


 暗くなり始めた山の向こうに、南風11号がある。


 そのさらに向こうには、寸断された線路。


 傷ついた鉄道網。


 そして、同じように助けを待つ無数の人々がいる。


 川原は帽子を握りしめた。


「まだ終わってない」


 そう呟いた。


 山の孤立は、始まったばかりだった。


 次回予告

 第11話「山の孤立」


 大歩危駅で夜を越すことになった乗客たち。


 しかし、医療も物資も不足し、負傷者の容体は悪化していく。


 道路は寸断され、救助隊の到着は見通せない。


 運転指令本部では、四国各地の列車被害がさらに深刻化。


 そして、大歩危駅周辺の山肌にも、新たな崩落の兆候が現れる。


 次回、

 第11話「山の孤立」


 たどり着いた先も、安全な場所ではなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ