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海の声が聞こえなくても・土讃線が止まった秋  作者: リンダ


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開かないドア

 第8話

 開かないドア


 炎は、ようやく勢いを弱め始めていた。


 だが、南風11号の先頭車両は、もはや原形を留めていなかった。


 黒く焼けた車体。


 割れた窓。


 歪んだ連結部。


 焦げた臭い。


 そして、助けられなかった命。


 線路脇へ避難した乗客たちは、誰も言葉を発せなかった。


 *


 十一月の山風が吹く。


 汗で濡れた服へ冷気が入り込み、身体の熱を奪っていく。


 子どもが震えていた。


 高齢男性が線路脇へ座り込み、肩で息をしている。


 けが人のうめき声。


 泣き声。


 沈黙。


 すべてが入り混じっていた。


 *


 川原恒一は、周囲を見渡した。


 南風11号の乗客。


 南風14号の乗客。


 合わせれば三百人近い。


 しかも、


 水不足

 負傷者

 寒さ

 余震

 落石危険


 が同時に襲っている。


 このまま山の中へ留まれば、二次被害が出る。


 だが、救助隊は来ない。


 道路は崩落。


 通信も不安定。


 完全に孤立していた。


 *


 その時。


 川原の頭に、大歩危駅の光景が浮かんだ。


 南風14号を停止させる直前、彼は大歩危駅を通過してきた。


 駅は小さい。


 しかし、


「災害対応型自販機」


 が設置されていた。


 停電時や災害時、遠隔操作または非常解放で飲料を取り出せるタイプ。


 訓練で一度だけ説明を受けたことがある。


 川原は顔を上げた。


「石原!」


 石原車掌が振り向く。


「はい!」


「大歩危駅まで、ここから約二キロや」


 石原が目を見開く。


「歩けますか……?」


「歩くしかない」


 川原は即答した。


「ここにおったら、水も尽きる」


 石原は、線路脇の乗客たちを見る。


 小さな子ども。


 負傷者。


 高齢者。


 歩ける者ばかりではない。


「でも……」


「大歩危駅には自販機がある」


「自販機……?」


「災害対応型や。開放できる可能性がある」


 石原の顔に、わずかな希望が戻る。


 *


 川原はすぐに指示を出した。


「石原、お前が先導しろ」


「はい!」


「歩ける人を前へ。負傷者は真ん中。動けん人は簡易担架作る」


「分かりました!」


「線路上を歩く。山側へ寄りすぎるな。落石来るぞ」


 石原は大きくうなずいた。


 真鍋を失ったばかりだった。


 それでも彼は、車掌として立っていた。


 *


 一方、南風14号。


 若い車掌・三谷は、水不足に苦しんでいた。


 乗客百六十二人。


 残っている飲料は、ほとんどない。


「子ども優先でお願いします!」


 そう呼びかけても、不安は抑えきれない。


「いつ救助来るんですか!」


「水くらい配れんのですか!」


「もう喉カラカラや!」


 ついに、中年男性が怒鳴った。


 三谷は頭を下げる。


「申し訳ありません……」


 だが、その時。


 無線が鳴った。


『こちら川原』


 三谷が飛びつく。


「川原さん!」


『聞け。大歩危駅へ移動する』


「移動……?」


『駅に災害対応型自販機がある。水を確保できる可能性がある』


 三谷の顔色が変わった。


 周囲の乗客も、その言葉へ反応する。


『今から11号の乗客を誘導する。14号側も、歩ける乗客は順次移動準備や』


「分かりました!」


 三谷の声が少し明るくなる。


 乗客たちにも、その変化が伝わった。


 *


「皆さん聞いてください!」


 三谷が車内で叫ぶ。


「大歩危駅まで移動します! 駅に飲料確保の可能性があります!」


 車内がざわつく。


「駅まで行けるが?」


「二キロって……」


「でもここにおるよりは……」


 高齢女性が立ち上がる。


「歩くわ」


 別の男性も続いた。


「子ども抱える人、荷物持ちます」


 少しずつ、人が動き始める。


 *


 その頃。


 石原は11号側の乗客へ説明していた。


「これから大歩危駅へ向かいます!」


「線路上を歩きます!」


「必ず係員の指示に従ってください!」


 乗客たちの顔には疲労が色濃い。


 煙を吸い。


 炎を見て。


 仲間を失った。


 それでも、生きている。


 だから前へ進かなければならない。


 *


 川原は、真鍋の亡骸を見た。


 線路脇に、静かに寝かされている。


 制服は煤で汚れ、顔色は白かった。


 川原は帽子を取り、一瞬だけ頭を下げた。


「……すまん。お前、よう頑張った」


 石原も横で立ち止まる。


 しかし、立ち止まり続けることはできない。


 生きている人を守らなければならない。


 *


 午後三時を過ぎる頃。


 二つの特急列車の乗客たちは、線路上を歩き始めた。


 大歩危駅まで、約二キロ。


 だが、その二キロは、果てしなく遠かった。


 余震。


 落石。


 寒さ。


 疲労。


 負傷者。


 それでも、人々は歩く。


 川原は先頭へ立った。


 石原が後方を確認する。


 三谷は14号側の乗客を支える。


 列車が止まった山の中で、鉄道員たちは今、“人を歩かせる仕事”をしていた。


 *


 先頭を歩く川原は、遠くに小さな駅舎を思い浮かべる。


 大歩危駅。


 いつもなら、列車が静かに停まり、観光客が写真を撮るだけの小さな駅。


 だが今、そこは命をつなぐ場所になる。


 自販機の水。


 待合室。


 屋根。


 暖かさ。


 それがどれほど大切か、今なら分かる。


 *


 そして、その時。


 再び山が、小さく揺れた。


 誰かが悲鳴を上げる。


 川原は振り返り、叫んだ。


「止まるな!」


 その声は、山へ響いた。


「生きるために歩け!」


 次回予告

 第9話「線路を歩く」


 大歩危駅を目指し、線路上を歩き始めた乗客たち。


 しかし余震は続き、落石の危険が迫る。


 疲労する高齢者。


 寒さに震える子ども。


 そして、限界へ近づく負傷者たち。


 一方、大歩危駅では、災害対応型自販機を開放できるかどうかが命を左右しようとしていた。


 次回、

 第9話「線路を歩く」


 止まった鉄路の上で、人々は希望を探して歩き続ける

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