緊急地震速報
第3話
緊急地震速報
ピロン、ピロン、ピロン――
最初に鳴ったのは、運転席の警報だった。
その次に、車内のあちこちからスマートフォンの警告音が重なった。
一つ。
二つ。
十。
二十。
五両編成の特急「南風14号」の中に、鋭い音が一斉に響き渡る。
「緊急地震速報です」
「強い揺れに警戒してください」
車内の空気が、一瞬で変わった。
*
二号車。
弁当を広げていた年配夫婦の手が止まる。
「地震……?」
「列車の中やぞ」
三号車。
外国人観光客が、周囲の乗客の表情を見て異変に気づく。
「Earthquake?」
四号車。
小学生の姉弟が母親の腕にしがみついた。
「お母さん、怖い」
「大丈夫、座っとき。立ったらいかん」
通路に立っていた乗客が、慌てて手すりを握る。
荷物棚の上の鞄が、かすかに揺れていた。
*
運転席。
川原恒一は、すでに動いていた。
緊急地震速報を聞いてからではない。
その直前に感じた、レールから伝わる異様な振動。
山の奥底が唸るような感覚。
それが、長年土讃線を走ってきた川原の身体に警告を送っていた。
「非常制動、入れる」
声は低く、短かった。
助手席側の若い車掌が息を呑む。
「はい!」
川原は前方を確認する。
トンネルではない。
橋梁の上でもない。
カーブは抜けかけている。
いま止める。
ここで止める。
迷いはなかった。
川原の手が制動へ入る。
*
その瞬間、列車の下から、突き上げるような揺れが来た。
ガタン、という音。
続いて、左右へ大きく振られる感覚。
車内から悲鳴が上がる。
「きゃあっ!」
「つかまれ!」
「座ってください!」
車掌の声が、揺れの中で響く。
ディーゼルエンジンの音が、急制動の唸りへ変わる。
車輪とレールがきしむ。
五両の車体が、山間部の線路上で必死に減速していく。
*
川原は奥歯を噛みしめた。
速度が落ちる。
だが揺れが強い。
普通の地震ではない。
左右の揺れが長い。
山が揺れている。
斜面が揺れている。
線路そのものが、踏ん張っている。
「止まれ……」
川原は前方を睨んだ。
「止まれ……!」
車掌が無線を握る。
「車内、強い揺れ!非常制動中!」
だが、指令からの応答は混線していた。
同じ瞬間、四国中の列車が警報と揺れに襲われていた。
*
一方。
岡山発・高知行きの対向特急「南風11号」。
運転席の真鍋悠真は、トンネル入口を目前にしていた。
緊急地震速報。
警報音。
車掌からの無線。
「真鍋さん、速報です!」
「分かっちゅう!」
真鍋はすぐに制動操作へ入った。
だが、タイミングが悪すぎた。
前方には、コンクリートの坑門。
その先はトンネル。
横には斜面。
逃げ場はない。
そして本震が来た。
*
線路が、波打ったように見えた。
車体が大きく横へ振られる。
真鍋の身体が運転台に叩きつけられそうになる。
「くっ……!」
ブレーキを握る手に力が入る。
警笛。
制動。
しかし、車体の挙動が乱れる。
前方のトンネル入口が、揺れの中で歪んで見えた。
真鍋は叫んだ。
「止まれぇぇぇ!」
*
南風14号。
川原の列車は、激しい横揺れの中、速度を落としていた。
車内では、荷物が落ちた。
飲み物が床にこぼれた。
子どもが泣き出した。
誰かが祈るように手を合わせている。
「大丈夫です!座席につかまってください!」
車掌が通路で必死に叫ぶ。
立っていた乗客を、近くの男性が座席へ引き寄せた。
「座って!危ない!」
外国人旅行者に、若い女性が英語で声をかける。
「Sit down! Hold the seat!」
恐怖の中で、人が人を助けようとしていた。
*
運転席。
川原は、速度計を見た。
落ちている。
まだだ。
まだ速い。
ここで横揺れがさらに強くなれば、脱線する。
前方のレールがわずかに歪んだように見えた。
錯覚か。
実際か。
判断する暇はない。
制動を維持する。
「頼む……持ってくれ……」
それは列車に向けた言葉でもあり、線路に向けた言葉でもあり、山に向けた祈りでもあった。
*
南風11号。
真鍋の列車は、トンネル入口の直前で大きく跳ねた。
乗客の悲鳴。
荷物が飛ぶ。
窓ガラスがきしむ。
運転席に衝撃。
レールの上にいる感覚が、一瞬消えた。
真鍋は、全身の血が冷たくなるのを感じた。
まずい。
これは、まずい。
車体が横へ流れる。
先頭車両が、線路中心から外れる。
ブレーキ音。
金属音。
そして――
視界いっぱいに、トンネル入口の壁面が迫った。
*
その直前。
真鍋は、無線に向かって叫んだ。
「南風11号、非常事態!」
次の瞬間。
凄まじい衝撃音が、山間部に響いた。
*
南風14号の運転席にも、その音は届いた。
遠くから、山が裂けるような音。
川原の表情が変わる。
「……今の音は」
若い車掌が青ざめる。
「対向列車……?」
川原は返事をしなかった。
返事をしたくなかった。
だが、長年の経験が告げていた。
ただの落石音ではない。
ただの地震音でもない。
あれは――鉄道車両が、何かに激突した音だった。
*
ようやく、南風14号が止まった。
車体が大きく揺れながらも、止まった。
乗客たちは息を呑み、しばらく誰も声を出せなかった。
川原はブレーキを確認する。
停止。
脱線はしていない。
だが、安全ではない。
余震。
落石。
線路損傷。
対向列車。
すべてが、同時に頭へ押し寄せる。
川原は無線を取った。
「こちら南風14号、川原。非常停止完了。乗客多数。現在位置、大歩危手前山間部。強い揺れあり」
雑音。
混線。
別の列車の声。
指令の混乱した声。
そして、断片的な言葉。
「……脱線……」
「……火災……」
「……応答……」
川原は、握った無線に力を込めた。
「南風11号、応答せよ」
返事はない。
「南風11号、こちら南風14号。応答せよ」
沈黙。
ただ、遠くの山から、かすかに煙が上がっていた。
*
車内では、乗客たちが不安そうに窓の外を見ていた。
「止まった……?」
「大丈夫なの?」
「ここ、どこ?」
車掌が深呼吸してから、車内放送のマイクを握る。
「お客様にお知らせいたします。ただいま強い地震のため、緊急停止いたしました。係員の指示があるまで、席を立たず、座席や手すりにつかまってお待ちください」
声は震えていた。
しかし、必死に落ち着かせていた。
*
川原は、前方の山を見た。
紅葉の山。
さっきまで美しかった山。
その山の一角から、黒い煙が少しずつ立ち上っている。
川原の背筋に、冷たいものが走った。
この地震は、列車一本だけの話ではない。
四国全体が揺れている。
日本が揺れている。
そして今、自分のすぐ近くで、別の列車が沈黙している。
*
川原は、もう一度無線を握った。
「南風11号、応答せよ」
雑音。
沈黙。
そして遠くで、誰かの悲鳴のような音が、無線にかすかに混じった。
若い車掌が、顔をこわばらせる。
川原は目を閉じた。
一秒だけ。
そして、目を開けた。
ここから先は、運転士ではなく、命を守る人間として動かなければならない。
次回予告
第4話「非常制動」
川原恒一の判断により、南風14号は脱線を免れた。
しかし、強い余震と落石の危険は続く。
乗客を車内に留めるべきか。
外へ避難させるべきか。
一方、トンネル入口へ激突した対向列車では、乗客たちが暗闇と煙の中で取り残されていた。
漏れ出す軽油。
歪んだドア。
近づく火の気配。
次回、
第4話「非常制動」
止まった列車の中で、本当の戦いが始まる。




