土佐弁だらけの放課後
第6話
土佐弁だらけの放課後
その朝、小百合はいつもより三倍元気だった。
理由は簡単だった。
「昨日、タイガース勝ったき!」
坂道に、小百合の声が響く。
浜口美波は隣を歩きながら、少し眠そうに笑った。
「小百合ちゃん、朝から声が大きいちや」
「勝った翌朝はこうなるがやき!」
「昨日も家、すごかったが?」
「すごかった! うちが応援団長で、お父さんが静かな監督で、お母さんが拍手係で、兄ちゃんがツッコミ係!」
「田中家、ほんまに甲子園みたいやね」
「そうながよ!」
小百合は胸を張った。
その時、道端に赤い百合の花が咲いているのを見つけた。
朝の光を浴びて、ぱっと燃えるような赤。
小百合は足を止めた。
「美波、見て!」
「わあ、きれいやね」
「赤い百合や!」
「小百合ちゃんの百合やね」
「うちみたいに元気な花や!」
小百合はしゃがみ込み、花をじっと見つめた。
「えいねえ。堂々と咲いちゅう。誰にも負けんって顔しちゅう」
「小百合ちゃんみたい」
「美波、それ褒めちゅう?」
「褒めちゅうよ」
「ほいたら、えい!」
小百合は赤い百合に向かって、びしっと指を差した。
「今日からあんたは、うちの仲間やき!」
「花に仲間宣言しゆう」
「大事なが!」
美波は笑った。
風が吹き、赤い百合が小さく揺れた。
まるで、小百合に返事をしているみたいだった。
*
学校では、運動会の練習が始まっていた。
校庭には白線が引かれ、先生たちの声が飛び、子どもたちは帽子をかぶって走り回っている。
小百合は運動会が大好きだった。
走れる。
叫べる。
みんなで盛り上がれる。
つまり、小百合向きの行事だった。
「小百合、今年も速いがやろうな」
岡村大翔が言った。
「当たり前やき!」
「女子では一番やろ?」
「学年女子一番を狙う!」
西野陽菜が言う。
「もう狙うどころか、たぶん一番やと思うで」
「油断は禁物!」
松本蓮がぼそっと言った。
「カニよりは速い」
「蓮、それ褒めちゅう?」
「たぶん」
「たぶんって何!」
美波は日陰でスケッチブックを抱えながら、楽しそうに見ていた。
「小百合ちゃん、走りゆう時ほんまに風みたいやき」
「ほいたら、今日は台風になる!」
「台風は困るちや」
先生の笛が鳴った。
「三年生、短距離走の練習を始めます!」
小百合はスタートラインに立った。
隣には陽菜。少し離れて、別のクラスの速い女子たちもいる。
足を前後に開く。
腕を構える。
前を見る。
心臓がどんどん速くなる。
でも怖くはなかった。
走る前のこの感じが、小百合は好きだった。
「位置について」
風が止まったように感じた。
「よーい」
笛が鳴る。
小百合は飛び出した。
砂が跳ねる。
帽子のゴムが頬に当たる。
声援が後ろへ流れていく。
「小百合ちゃん、いけー!」
美波の声が聞こえた。
小百合はさらに足を伸ばした。
誰にも抜かせない。
誰より先にゴールへ行く。
赤い百合の花みたいに、まっすぐ前へ。
ゴールテープが近づく。
小百合は一番で駆け抜けた。
「やったあ!」
小百合は両手を上げた。
先生が笑って言った。
「田中さん、速いねえ。今年も女子では学年一番候補やね」
「候補やなくて、一番になります!」
周りの子どもたちが笑った。
大翔が言った。
「自分で言うか!」
「言うた方が本当になるがやき!」
*
運動会当日。
空は晴れていた。
校庭には万国旗が揺れ、保護者たちの声がにぎやかに響いている。
小百合の父・勝、母・美紀、兄・悠斗も見に来ていた。
美紀は弁当の入った重箱を抱え、勝は帽子をかぶって静かに校庭を見ている。悠斗は少し眠そうな顔をしていたが、小百合がこちらを見ると、軽く手を上げた。
「小百合ー! 転ばんようにね!」
美紀が叫ぶ。
「わかっちゅう!」
悠斗が続ける。
「声で走るなよー!」
「走るわ!」
「やっぱり走るがか!」
勝は一言だけ言った。
「落ち着いて走れ」
「うん!」
短距離走で、小百合は一番だった。
女子の中では文句なしの学年最速。
ゴールした瞬間、美紀は手を叩き、悠斗は笑いながら言った。
「ほんまに速いな、あいつ」
勝は静かにうなずいた。
「足はある」
「声もある」
「それはありすぎる」
そして午後。
運動会最後の大きな種目、クラス対抗リレー。
小百合は決勝のメンバーに選ばれていた。
同じクラスの仲間たちが円陣を組む。
「絶対勝つで!」
「バトン落とさんようにしよう!」
「小百合ちゃん、頼むで!」
小百合は拳を握った。
「任せちょき! うちが風になるき!」
「また台風になるがやろ」
陽菜が笑う。
「今日は追い風台風や!」
小百合の走順は最後から二番目だった。
前の走者からバトンを受け取った時、小百合のクラスは二位。
一位との差は少しあった。
けれど小百合は、諦めなかった。
「小百合ちゃん、いけー!」
美波の声。
「小百合ー!」
母の声。
「走れー!」
兄の声。
父の声は聞こえなかった。
でも、きっと見ている。
小百合はそう思った。
バトンを握りしめ、地面を蹴る。
前の走者の背中が近づく。
風が耳元を鳴らす。
赤い百合の花が、頭の中に浮かんだ。
うちみたいに元気な花。
誰にも負けん顔で咲いちゅう花。
「抜くき!」
小百合は内側から一気に前へ出た。
校庭がわっと沸いた。
「小百合が抜いた!」
「速い!」
最後の走者へバトンを渡す。
「頼む!」
「任せて!」
小百合のクラスのアンカーは、そのまま一位を守り切った。
ゴール。
白いテープが切られる。
小百合のクラスは一位だった。
「やったああああ!」
小百合は飛び跳ねた。
みんなが抱き合い、笑い、跳ね回る。
美波も駆け寄ってきた。
「小百合ちゃん、すごかった!」
「見た!?」
「見た! 風やった!」
「台風やなかった?」
「今日は、えい風!」
小百合は笑った。
声が校庭いっぱいに響いた。
*
帰り道。
小百合は赤い百合の花の前で立ち止まった。
朝と同じように、その花はまっすぐ咲いていた。
「勝ったで」
小百合は花に向かって言った。
「うち、一番やった。リレーも勝った」
美波が隣で笑う。
「赤い百合さんに報告?」
「仲間やき」
「そっか」
小百合は花を見つめた。
「美波」
「なに?」
「うち、今日、ちゃんと女の子やった?」
美波は少し驚いて、それからやさしく笑った。
「うん。誰より元気で、誰よりかっこいい女の子やった」
小百合は満足そうにうなずいた。
「ほいたら、えい」
夕方の風が吹いた。
赤い百合が揺れる。
遠くから、海の音がした。
小百合の声は、まだ町じゅうを明るくしていた。
言葉が弾み、笑い声が響き、土佐弁だらけの放課後が続いていた。
それが当たり前だと、誰もが思っていた。
次回予告
第7話「家族四人の夕ごはん」
運動会で大活躍した小百合。
その夜、田中家の食卓はいつも以上ににぎやかだった。
母・美紀の手料理。
父・勝の静かな笑顔。
兄・悠斗のからかい。
そして、テレビから流れるタイガース中継。
「今日の主役はうちやき!」
「はいはい、リレーのヒーロー様」
「兄ちゃん、もっと褒めて!」
「調子乗るき嫌や」
笑い声と湯気に包まれた、家族四人の夕ごはん。
何でもない食卓。
でも小百合にとって、そこは世界で一番安心できる場所だった。
次回、
第7話「家族四人の夕ごはん」
あたたかな食卓に、幸せな声が満ちていく。




