紅葉のディーゼル特急
第1話
「紅葉のディーゼル特急」
十一月一日。
四国山地は、少しずつ秋の色へ変わり始めていた。
山の上から、赤。
橙。
黄色。
そして、まだ夏の名残を残す深い緑。
その色彩の中を、四国を代表する特急列車「南風」が、五両編成の車体をくねらせながら走っていく。
ゴォォォォォ……
ディーゼルエンジンの重厚な音が、山々へ反響する。
吉野川沿いを縫うように続く線路。
切り立った岩肌。
深い渓谷。
断続するトンネル。
土讃線。
それは、四国の山を越え、人と人を結ぶ鉄路だった。
*
高知発・岡山行き。
特急「南風14号」。
先頭車には自由席。
二号車、三号車には指定席。
四号車はグリーン車。
最後尾には再び指定席。
平日ではあったが、紅葉シーズンに入ったこともあり、車内は八割ほど埋まっていた。
*
「次はぁ〜、大歩危〜、大歩危〜」
車内放送が流れる。
窓際に座っていた小さな男の子が、目を輝かせた。
「お母さん!見て!川!」
「ほんとやねぇ〜、綺麗やね」
母親が微笑む。
向かい側では、年配夫婦が観光パンフレットを広げていた。
「祖谷そば食べたいねぇ」
「帰りは高知でカツオやなぁ」
その後ろでは、外国人観光客がスマートフォンを窓へ向けている。
車窓に映る紅葉。
吉野川。
鉄橋。
渓谷。
すべてが、“日本の山岳鉄道”そのものだった。
*
一方、最前部。
運転席。
川原恒一は、静かに前方を見つめていた。
四十八歳。
JR四国のベテラン運転士。
土讃線歴二十五年。
四国山地の線形を、身体で覚えている男だった。
左手でマスコンを微調整する。
速度計確認。
ATS確認。
前方信号確認。
確認動作に無駄がない。
*
「今日は観光客多いですねぇ」
助手席の若い車掌が言った。
「紅葉シーズンやきな」
「外国人のお客さんも増えましたね」
「コロナ明けてから、一気や」
川原は穏やかに答える。
だが、その目は一瞬たりとも前方から離れない。
*
土讃線は、簡単な路線ではなかった。
急曲線。
急勾配。
長大トンネル。
落石。
大雨。
台風。
自然と隣り合わせの鉄路。
だからこそ、運転士には経験が必要だった。
少しの判断ミスが、大事故につながる。
川原は、それを誰より知っていた。
*
列車は、長いトンネルへ入る。
窓の外が暗くなる。
エンジン音が壁へ反響する。
ゴォォォォォ……
そして、再び光。
目の前に広がる渓谷。
色づき始めた山々。
その美しさに、車内のあちこちで小さな歓声が上がる。
*
「やっぱり土讃線はえいなぁ……」
後ろの席で、鉄道ファンらしい男性が呟いた。
隣の友人が笑う。
「お前、毎回来るたび同じこと言いゆう」
「いやでも、この景色は別格やろ」
「まぁ、それは分かる」
二人は窓の外を見つめる。
赤く染まり始めた山。
渓谷を渡る鉄橋。
ゆっくり流れる吉野川。
平和な秋の午後だった。
*
一方。
岡山発・高知行き。
対向の特急「南風11号」もまた、山間部へ差しかかっていた。
こちらも五両編成。
乗客数は約百七十人。
運転席には、真鍋悠真。
三十四歳。
責任感の強い若手運転士だった。
「このあと、大歩危で行き違いですね」
車掌が確認する。
「あぁ。今んとこ定時や」
真鍋が頷く。
彼もまた、この路線を誇りに思っていた。
山を越え、人を運ぶ。
それが鉄道員の仕事だった。
*
午後一時三十分。
四国山地の空は、どこまでも青かった。
風は少し冷たい。
もう冬が近い。
だが、その冷たさすら心地よい秋の日だった。
*
川原は、前方の山を見る。
少しずつ色づく木々。
その向こうへ続く線路。
今日も無事に岡山まで届ける。
それだけだった。
それが、鉄道員の日常だった。
*
しかし。
午後一時四十二分。
その“いつもの日常”は、突然終わる。
*
最初に異変を感じたのは、川原だった。
「……?」
ほんのわずか。
窓ガラスが小さく震えた。
レールから伝わる振動も、どこか妙だった。
長年の経験が、身体へ警告を送る。
「なんや……?」
その瞬間。
運転席に、鋭い警報音が鳴り響いた。
ピロン、ピロン、ピロン――
「緊急地震速報です」
「強い揺れに警戒してください」
川原の顔色が変わる。
助手席の車掌も凍りつく。
「地震……!?」
川原は即座にマスコンへ手を伸ばした。
窓の向こう。
山が――
わずかに揺れた。




