子どもたちに語る「あの日」
第48話
子どもたちに語る「あの日」
夜の食卓のあと。
小百合は、悠斗と美波を前に座らせた。
航平も隣にいる。
机の上には、兄のグローブ。
美波のスケッチブック。
田中家の写真。
そして、タイガースのサインボール。
小百合の目には、もう涙が浮かんでいた。
「今日は、お母さんの九歳の誕生日に起きたことを話すね」
悠斗と美波は、黙ってうなずいた。
*
「地震は、また必ずやってくる」
小百合は、ゆっくり言った。
「怖がらせたいんじゃない。けど、知っていてほしい」
声が震える。
でも、止まらない。
「揺れたら、まず自分の命を守ること。海の近くにいたら、迷わず高いところへ逃げること。誰かを待ちたい気持ちがあっても、まず逃げること」
美波の目に涙が浮かんだ。
「お母さんも、逃げたの?」
「うん。学校の交流会で山におったから助かった。でも、おじいちゃんたちは海の近くで働いていて……帰ってこなかった」
小百合は、田中家の写真に目を向けた。
「助かった命も、避難所で失われることがある。寒さ、食べ物、水、トイレ、病気。災害は、揺れや津波だけじゃ終わらない」
悠斗が小さく言った。
「だから、お母さんは防災を勉強したが?」
「うん」
*
小百合は、美波のスケッチブックを開いた。
「この絵を描いたのは、お母さんの親友の美波ちゃん」
娘の美波が、息をのんだ。
「あなたの名前をもらった人」
小百合は涙を流しながら微笑んだ。
「美波ちゃんは、私のことを風みたいって言ってくれた。今でも、その言葉に支えられちゅう」
航平がそっと小百合の背中に手を添えた。
*
「二人に覚えていてほしいのはね」
小百合は、悠斗と美波を見た。
「生きることは、誰かを置いていくことじゃない。生き残った命を、ちゃんと次へつなぐこと」
悠斗は唇を噛んだ。
美波は泣きながらうなずいた。
「もし災害が来たら、自分の身は自分で守って。助かったら、周りの人と助け合って。助かった命が、そのあと失われないようにして」
小百合の声は震えていた。
でも、最後まで届いた。
*
話し終えると、悠斗が小百合に抱きついた。
「お母さん、生きててくれてありがとう」
美波も泣きながら抱きついた。
「お母さんが話してくれたこと、忘れん」
小百合は二人を抱きしめた。
「ありがとう」
その腕の中に、過去と未来があった。
失った命と、生まれてきた命。
小百合は涙を流しながら思った。
あの日を語ることは、過去に戻ることではない。
未来を守ることなのだと。
⸻
次回予告
第49話「子どもたちの巣立ち」
悠斗と美波は成長し、それぞれの道へ進み始める。
母から聞いた「あの日」の記憶。
命を守ること。
誰かを支えること。
好きなものを大切にすること。
その言葉を胸に、子どもたちは新しい世界へ踏み出していく。
次回、
第49話「子どもたちの巣立ち」




