母になるということ
第47話
母になるということ
悠斗と美波が成長していく姿を見るたびに、小百合は胸の奥が熱くなった。
悠斗が少し生意気な口をきくと、兄の悠斗を思い出す。
「お母さん、声大きいで」
そう言われると、小百合は思わず笑ってしまう。
「それ、昔のお兄ちゃんと同じこと言いゆう」
美波が絵を描いたり、静かに人の話を聞いたりすると、親友の美波を思い出す。
けれど、この子たちは身代わりではない。
森川悠斗。
森川美波。
二人は二人として、まっすぐ育っていた。
*
小百合は、阪神タイガースの球団職員として忙しい日々を送っていた。
選手が安心して試合に出られるように。
監督やコーチが試合に集中できるように。
海外から来た選手が日本で孤立しないように。
外国人観客が甲子園で迷わないように。
通訳、案内、調整、球場運営、防災対応。
小百合の仕事は、表に立つものばかりではなかった。
けれど、小百合は知っていた。
誰かが安心して笑える場所には、見えないところで支える人がいる。
*
甲子園球場で試合がある日は、特に忙しかった。
外国人選手の通訳。
メディア対応。
観客案内。
緊急時の避難導線の確認。
それでも、グラウンドに選手が立ち、スタンドに拍手が広がる瞬間、小百合は思う。
ここで働けてよかった。
かつて自分を救ってくれた場所で、今度は誰かを支えられている。
*
そして、家に帰ると。
「お母さん! 今日の先発、前回よりストレートの平均球速上がっちゅうで!」
美波がタブレットを片手に駆け寄ってくる。
小百合は目を丸くした。
「え、そこまで見ちゅうが?」
「当たり前やん! あと、右打者への外スラの被打率が低いき、今日もそこ勝負やと思う!」
航平が横で笑う。
「小百合より詳しくなってきたな」
「ほんまに」
小百合は苦笑した。
美波は、小百合以上のタイガースラブに育っていた。
選手のデータ、打率、防御率、球種、守備指標。
小学生とは思えないほど詳しい。
「美波、将来何になるが?」
小百合が聞くと、美波は即答した。
「タイガースの分析担当!」
「本気やね」
「本気!」
その目の輝きに、小百合は笑った。
*
母になるということ。
それは、ご飯を作ることだけではなかった。
寝不足の夜を越えること。
泣く子を抱きしめること。
子どもの夢に驚かされること。
自分の過去と向き合いながら、それでも未来を信じること。
小百合は、ふと思う。
美紀は、どんな思いで自分を育ててくれたのだろう。
栄子は、どれほどの覚悟で自分を抱きしめてくれたのだろう。
その答えが、少しずつわかる気がした。
*
夜。
悠斗と美波が眠ったあと、小百合は二人の寝顔を見つめた。
「お母さん」
航平が声をかける。
「ん?」
「また泣きそうな顔しちゅう」
「うん。ちょっとね」
小百合は微笑んだ。
「母になるって、すごいね」
航平は隣に座った。
「小百合は、えいお母さんや」
「そうかな」
「そうや」
小百合は、眠る子どもたちを見つめた。
「この子たちには、いっぱい笑って生きてほしい」
その声は、祈りに近かった。
悠斗と美波。
失った名前からつながった、新しい命。
小百合は、その二人を抱きしめるように見守りながら、静かに思った。
私は、母になった。
そして今、やっと少しだけ、母に守られてきた意味がわかる。
次回予告
第48話「子どもたちに語る『あの日』」
悠斗と美波が成長する中、小百合はついに、子どもたちへ「あの日」のことを語る決意をする。
九歳の誕生日。
南海トラフ巨大地震。
失った家族。
親友・美波。
そして、命をつないでくれた人たち。
怖がらせるためではない。
生きる力として伝えるために。
次回、
第48話「子どもたちに語る『あの日』」




