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海の声が聞こえなくても・土讃線が止まった秋  作者: リンダ


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二十三歳の結婚式

第43話


二十三歳の結婚式


 二十三歳の春。


 白田小百合は、白いウェディングドレスに袖を通した。


 鏡の前に立つ小百合を見て、栄子は言葉を失った。


 あの日、避難所の白い毛布にくるまっていた九歳の少女。

 声を失い、食べられず、眠れず、ただ震えていた少女。


 その子が今、花嫁になっている。


「お母さん」


 小百合が振り返る。


「変じゃない?」


 栄子は涙を拭きながら笑った。


「変なわけないやろ。世界一きれい」


「お母さん、泣くの早い」


「今日は泣いてえい日やき」


 小百合も少し笑った。


     *


 式場には、たくさんの写真が飾られていた。


 田中勝。

 田中美紀。

 田中悠斗。


 小百合の実の父、母、兄。


 そして、栄子の両親と、亡き夫の写真。


 さらに、浜口美波のスケッチブックから選ばれた一枚。


 風のように走る小百合の絵。


 会場には、小百合の祖父母、田中芳雄と正恵もいた。


 あの大災害を生き抜いた同級生たち。

 高校や大学の友人。

 栄子を支えてきた人たち。


 みんなが、小百合の今日を見届けに来ていた。


     *


 航平は、緊張した顔で小百合を待っていた。


 小百合が歩き出す。


 栄子に手を引かれて。


 父の代わりに、母として栄子が小百合を送り出す。


 バージンロードの途中で、小百合は一度だけ写真の方を見た。


「お父さん、お母さん、兄ちゃん」


 心の中で言う。


「小百合、結婚するよ」


 その隣で、栄子も静かに祈っていた。


「田中家のみなさん。今日まで、この子を見守ってくださってありがとうございました」


     *


 式は、涙と笑顔の中で進んだ。


 指輪を交わし、誓いの言葉を述べる。


 航平は小百合の手をしっかり握った。


「小百合が怖い時は、急がせません。悲しい時は、隣にいます。笑える日は、一緒に笑います」


 小百合は涙をこらえながら言った。


「航平くんとなら、失ったものを忘れずに、でも未来へ歩いていけると思います」


     *


 披露宴で、祝電が読み上げられた。


 送り主は、阪神タイガース。


 会場がざわめいた。


 そして、スクリーンに映像が流れた。


 タイガース監督、佐藤輝明。


『白田小百合さん、森川航平さん、ご結婚おめでとうございます』


 小百合は息をのんだ。


『小百合さん。あなたが大学で努力を重ね、英語、防災、スポーツビジネスを学んできたことを、私たちは知っています』


 栄子が小百合の手を握った。


『このたび、阪神タイガース球団職員としての採用が正式に決まりました』


 一瞬、会場が静まり返った。


 次の瞬間、大きな拍手が起こった。


 小百合は口元を押さえた。


 涙があふれる。


『かつて私たちが送ったウイニングボールを、今度はあなたが次の誰かへつなぐ番です。甲子園で待っています』


 小百合は泣きながら、何度もうなずいた。


「お母さん……」


 栄子も泣いていた。


「叶ったね」


「うん……叶った……」


     *


 式の後、小百合と航平は新婚旅行へ出かけた。


 行き先は、アメリカ・ロサンゼルス。


 MLB、ロサンゼルス・ドジャースとニューヨーク・ヤンキースの試合観戦。


 そしてハリウッド。


 小百合は球場の広さ、観客の熱気、英語のアナウンス、海外の野球文化を肌で感じた。


「航平くん」


「うん?」


「私、こういう場所でも働ける人になりたい」


「なれるよ」


「日本に来る外国の人にも、安心して野球を楽しんでもらいたい」


「うん」


「災害があった時にも、迷わず避難できるようにしたい」


 航平は笑った。


「小百合らしい夢やね」


 小百合は、グラウンドを見つめながらうなずいた。


     *


 帰国後、二人は神戸へ移り住んだ。


 小百合は阪神タイガースの球団職員として研修を受け始めた。


 接客。

 広報。

 国際対応。

 防災マニュアル。

 球場運営。


 すべてが新しかった。


 けれど、小百合は知っていた。


 ここは、ただ野球をする場所ではない。


 誰かが泣き、笑い、生きる力をもらう場所だ。


 かつての自分がそうだったように。


     *


 研修初日の夜。


 小百合は、神戸の小さな部屋で、栄子に電話をかけた。


「お母さん」


『うん』


「今日、甲子園で働いた」


『うん』


「まだ研修やけど」


『それでも、すごいことやね』


 小百合は窓の外を見た。


「お父さんと、お母さんと、兄ちゃんと、美波にも報告したい」


『きっと聞いちゅうよ』


「うん」


 小百合は涙を拭いた。


「私、ちゃんと働く。誰かの希望になれるように」


 電話の向こうで、栄子が優しく言った。


『小百合なら、なれる』


 小百合は静かに笑った。


 家族を失った少女は、新しい家族を持ち、夢だった場所へ歩き出した。


 喪失は消えない。


 けれど、その喪失を抱えたまま、小百合は未来へ進んでいく。



次回予告


第44話「失った家族への報告」


 球団職員としての第一歩を踏み出した小百合。


 神戸での新生活が始まる中、彼女は航平とともに高知へ戻る。


 父、母、兄、美波、そして栄子の家族へ。


 結婚したこと。

 夢が叶ったこと。

 神戸で働き始めたこと。


 小百合は墓前で、静かに報告する。


 次回、

 第44話「失った家族への報告」

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