表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海の声が聞こえなくても・土讃線が止まった秋  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
42/79

少しずつ話せるように

第41話


少しずつ話せるように


 春の終わり。


 大学のキャンパスに、やわらかな風が吹いていた。


 桜は散り、若い緑が増えていく季節。


 小百合は、ベンチに座ってノートを開いていた。


 防災の講義で使うメモ帳とは別の、もう一冊のノート。


 九歳の頃から続いている、自分のためのノートだった。


 ページには、いくつもの言葉が重なっている。


「ありがとう」

「また応援したい」

「美波の絵を忘れない」

「誰かを助けたい」


 そして、書きかけで止まっているページ。


 そこに、小百合はペンを置いたまま、動けずにいた。


     *


 その日、航平と待ち合わせをしていた。


 いつもと同じ場所。


 いつもと同じ時間。


 でも、小百合の中では、少し違う一日だった。


 ――話したい。


 ――でも、怖い。


 胸の奥で、二つの気持ちがぶつかっていた。


 あの日のことを、誰かに全部話すこと。


 それは、自分の中にしまっていた扉を開けることだった。


 開けたら、戻れないかもしれない。


 壊れてしまうかもしれない。


 でも。


 航平には、知ってほしいと思った。


     *


「小百合」


 声がした。


 航平だった。


 いつものように、急がず、静かに近づいてくる。


「待たせた?」


「ううん」


 小百合はノートを閉じた。


 しばらく、二人は並んで座った。


 風が通る。


 遠くで笑い声がする。


 何でもない、普通の時間。


 その普通が、小百合にはまだ少し不思議だった。


     *


「航平くん」


「うん」


「今日……ちょっと話してもえい?」


 航平はすぐにうなずかなかった。


 小百合の顔を見て、ゆっくり言った。


「えいよ。でも、無理せんでえい」


 その一言で、小百合の肩の力が少し抜けた。


     *


「私……九歳の誕生日の日に」


 言葉が止まる。


 喉が詰まる。


 でも、小百合は続けた。


「地震があって……津波が来て」


 航平は、何も言わずに聞いていた。


「学校で山に避難して……助かった」


 小百合の指が震えた。


「でも、お父さんと、お母さんと、兄ちゃんは……海の近くで仕事しよって」


 声がかすれる。


「そのまま……」


 言葉が出なくなった。


 呼吸が浅くなる。


 航平は、何も言わなかった。


 ただ、そっと手を差し出した。


 小百合は、その手を握った。


     *


「……美波も」


 小百合は続けた。


「親友やった。ずっと一緒におった」


 目に涙が浮かぶ。


「助かったけど……避難所で……」


 その先が言えない。


 でも、航平はうなずいた。


 わかっているというように。


 小百合は、涙をこぼしながら言った。


「私は助かったのに……みんなおらんなった」


 その言葉は、何度も自分に突き刺さってきた言葉だった。


「なんで私だけって、ずっと思いよった」


 航平は、やっと口を開いた。


「うん」


 それだけだった。


 でも、その「うん」は、小百合の言葉を受け止めるためのものだった。


     *


「声も出んくなって……」


「うん」


「何も言えんくなって……」


「うん」


「でも……お母さんが」


 小百合は少し笑った。


「栄子お母さんが、ずっとそばにおってくれた」


 航平も少し微笑んだ。


「えいお母さんやね」


「うん」


 小百合は強くうなずいた。


「今も、怖いことは消えてない。急に思い出すし、音も怖いし、海もまだ全部は見れん」


 航平は静かに聞いていた。


「でも……」


 小百合は航平を見た。


「航平くんには、ちゃんと知ってほしかった」


     *


 しばらく沈黙があった。


 風が通り過ぎる。


 木の葉が揺れる。


 航平は、小百合の手を少し強く握った。


「話してくれて、ありがとう」


 小百合は、少し驚いた顔をした。


「……怖くなかった?」


「怖かったと思う。でも、それでも話してくれた」


 航平は、まっすぐに言った。


「それが大事やと思う」


 小百合の目から涙がこぼれた。


 でも、その涙は少しやわらかかった。


     *


「全部は、まだ話せんと思う」


 小百合は言った。


「えいよ」


「ゆっくりになる」


「えいよ」


「途中で止まるかもしれん」


「えいよ」


 航平は、少しだけ笑った。


「俺、待つの得意やき」


 小百合は、涙の中で笑った。


     *


 その日、小百合は初めて、自分の過去を「誰かに話した」。


 全部ではない。


 断片だけ。


 途中で止まりながら。


 涙をこぼしながら。


 それでも、確かに「言葉にした」。


     *


 夜。


 小百合はノートを開いた。


 新しいページに書いた。


今日、航平くんに話した。


 少し考えて、続けた。


全部じゃないけど、少し話せた。


 さらに書いた。


怖かったけど、逃げなかった。


 最後に、ゆっくりと書いた。


少しずつでいい。


     *


 小百合の声は、完全には戻っていない。


 過去も消えていない。


 悲しみも終わっていない。


 でも。


 言葉にできるものが、少しずつ増えていた。


 誰かに届く声が、少しずつ育っていた。


 それは、小百合が前に進んでいる証だった。



次回予告


第42話「海を怖がる私を好きだと言った人」


 自分の過去を話し始めた小百合。


 それでも、海への恐怖は消えない。


 そんな小百合に、航平は言う。


「海が怖くてもえい。そのままの小百合がえい」


 逃げたくなる心も、震える体も、そのままでいい。


 次回、

 第42話「海を怖がる私を好きだと言った人」


 小百合は、ありのままの自分を受け入れられていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ