声にならない会話
第39話
声にならない会話
航平を家に連れていく日、小百合は少し緊張していた。
「お母さん、変なこと聞かんでね」
栄子は笑った。
「聞かんよ」
「ほんま?」
「ほんま。小百合が大事にしゆう人なら、お母さんも大事に会うだけ」
その言葉に、小百合は少し頬を赤くした。
*
航平は、栄子の前で深く頭を下げた。
「森川航平です。小百合さんと、大学の防災講座で知り合いました」
栄子は穏やかに微笑んだ。
「白田栄子です。小百合の母です」
小百合はその言葉を聞いて、胸が温かくなった。
母。
栄子がそう名乗ってくれることが、今でも小百合には救いだった。
航平は、無理に明るく振る舞うこともなく、静かに話した。
防災のこと。
大学のこと。
小百合が英語を頑張っていること。
タイガースの話になると、小百合が少し早口になること。
栄子は、それを聞きながら何度も笑った。
「この子、昔からタイガースになると止まらんかったがよ」
小百合は慌てた。
「お母さん、それ言わんでえい」
航平は笑った。
「えいと思う。好きなものがある人は強いき」
小百合は、少しだけ目を伏せた。
*
その後、三人は墓参りへ向かった。
最初に訪れたのは、栄子の家族が眠る墓だった。
栄子の両親。
そして、結婚したばかりで亡くなった夫。
栄子は静かに手を合わせた。
「小百合、二十歳になりました。今、大学で頑張っています」
小百合も手を合わせた。
「お母さんを、私が支えられるようになりたいです」
航平も黙って頭を下げた。
*
次に、田中家の墓へ向かった。
父・勝。
母・美紀。
兄・悠斗。
小百合は、花を供えた。
「お父さん、お母さん、兄ちゃん」
少し間を置いて、航平を見た。
「この人、航平くん」
航平は背筋を伸ばし、深く頭を下げた。
「森川航平です。小百合さんと、一緒に学ばせてもらっています」
小百合は、少し照れたように続けた。
「まだ、恋人とか……そういうのは、ちゃんと言えんけど」
栄子が横でやさしく笑う。
「でも、大事な人」
その言葉に、航平は静かに目を伏せた。
*
その時だった。
少し離れた墓の前に、一人の青年が立っていた。
小百合は息をのんだ。
「……隆兄ちゃん?」
青年が振り向いた。
山下隆。
かつて、防波堤を一緒に走った兄貴分。
小百合が幼い頃、少しだけ胸を揺らした存在。
隆は少し驚いた顔をして、それから静かに笑った。
「小百合か」
小百合は、しばらく言葉を失った。
九年ぶりだった。
隆は大人びていた。
けれど、面影は残っていた。
「久しぶり」
「うん……久しぶり」
*
隆は、自分の両親の墓参りに来ていた。
「あの地震のあと、うちの親は助かったんやけど」
隆はゆっくり話した。
「二人とも両足を骨折して、動けんなって。救助はされた。でも避難先で体調崩して、そのまま……」
小百合は息を詰めた。
「そうやったが……」
「うん」
隆は墓を見た。
「その後、俺は親戚の家に引き取られて、松山で暮らしゆう。今日は帰省して、墓参りに来た」
小百合は、何を言えばいいかわからなかった。
声にならない。
けれど、今の小百合は知っていた。
声にならない沈黙にも、意味があることを。
「隆兄ちゃん……」
それだけ言うと、隆はうなずいた。
「小百合も、生きちょってよかった」
小百合の目に涙が浮かんだ。
「隆兄ちゃんも」
*
航平は、少し離れてその様子を見ていた。
小百合の過去に、自分の知らない時間がある。
隆という人がいたこと。
小百合が失ったものの深さ。
それを感じても、航平は踏み込まなかった。
墓地を出る時、航平は小百合にそっと言った。
「話せんことは、話さんでえい」
小百合は航平を見た。
「でも、いつか話したくなったら聞く」
小百合は、涙を拭いた。
「うん」
そして、ほんの少し笑った。
「ありがとう」
*
声にならない会話がある。
墓の前で交わした沈黙。
隆との再会。
航平の待つ姿勢。
栄子の静かな見守り。
言葉にしなくても、伝わるものがある。
小百合はその日、またひとつ知った。
過去は消えない。
けれど、過去を知っても、そばにいてくれる人がいる。
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次回予告
第40話「手をつなぐ理由」
隆との再会で、過去の記憶が揺れた小百合。
航平は何も急がせず、ただ隣を歩く。
ある帰り道、小百合は自分から航平の手を取る。
それは恋の始まりであり、恐怖の中でも人を信じたいという願いだった。
次回、
第40話「手をつなぐ理由」




