二十歳の春
第37話
二十歳の春
成人の日。
小百合は、淡い色の振袖を着て、鏡の前に立っていた。
九歳で声を失った少女は、二十歳になっていた。
その背中を見つめながら、栄子は静かに涙を浮かべていた。
「お母さん」
小百合は振り返った。
「ここまで育ててくれて、ありがとう」
栄子は首を横に振った。
「小百合が、生きてくれたからよ」
「違う。お母さんが、ずっとそばにいてくれたから」
小百合は、深く頭を下げた。
「私の二人目のお母さんになってくれて、ありがとう」
栄子はもうこらえきれず、小百合を抱きしめた。
*
式典で、小百合は成人代表として壇上に立った。
会場には、あの日を知る世代と、あの日のあとに生まれた子どもたちもいた。
小百合は、ゆっくりマイクの前に立った。
「私は、九歳の誕生日に、父と母と兄、そして親友を失いました」
会場が静まり返る。
「助かった命は、ただ助かれば終わりではありません。避難所で失われた命もありました。寒さ、食料不足、衛生環境、孤独。そのすべてが、災害の一部でした」
小百合の声は少し震えた。
でも、止まらなかった。
「私は、あの日を忘れません。忘れないために、防災を学びます。誰かが逃げる勇気を持てるように。助かった命が、そのあとも守られるように」
小百合は顔を上げた。
「私たちは、未来を守る世代です。亡くなった人たちの上に立っているのではなく、その人たちの思いを胸に、未来へ歩いていく世代です」
会場に、静かな拍手が広がった。
栄子は、席で涙を拭っていた。
*
式典のあと、小百合は墓へ向かった。
父・勝。
母・美紀。
兄・悠斗。
三人が眠る墓の前に、振袖姿で立つ。
「お父さん、お母さん、兄ちゃん」
小百合は手を合わせた。
「小百合、二十歳になったよ」
風が静かに吹いた。
「お母さん……栄子お母さんが、ここまで育ててくれた。大学にも行けた。英語も、防災も、スポーツビジネスも勉強しゆう」
少し笑う。
「タイガースの球団職員になる夢、まだ諦めてないきね」
小百合は目を閉じた。
「見守っててください」
*
その夜。
小百合は栄子を食事に誘った。
「今日は、私がごちそうする」
「学生が無理せんでえいよ」
「いいの。今日はどうしても」
小さな店で、二人は向かい合った。
小百合は初めて、栄子と盃を交わした。
「お母さん」
「うん」
「私は、誰かを支えられる人になる」
栄子は静かに聞いた。
「タイガースで働く夢も叶える。海外から来る選手やお客さんを支えたい。防災のことも伝え続けたい」
小百合は盃を置いた。
「私は、失ったものをなかったことにはしない。でも、失ったまま終わりにもしたくない」
栄子は微笑んだ。
「小百合なら、できる」
「うん」
小百合は少し涙ぐみながら笑った。
「お母さんがそう言ってくれるなら、できる気がする」
栄子も盃を持った。
「二十歳、おめでとう。小百合」
「ありがとう、お母さん」
二人の盃が、静かに触れ合った。
それは、喪失を越えて生きてきた母と娘の、ひとつの節目だった。
次回予告
第38話「彼との出会い」
二十歳になった小百合。
大学で英語と防災を学ぶ日々の中、ひとりの青年と出会う。
彼は、小百合の過去を無理に聞かない。
沈黙を急がせない。
それでも、そばにいてくれる。
小百合の止まっていた恋の時間が、少しずつ動き始める。
次回、
第38話「彼との出会い」




