帰れない道
第13話
帰れない道
避難所の朝は、前の日よりも静かだった。
泣き声は減っていた。
その代わりに、押し殺したような声と、重たい沈黙が増えていた。
夜の間にも、多くの人がここへたどり着いた。
泥にまみれた人。
濡れたままの服で震える人。
靴も履かずに歩いてきた人。
名前を呼び続ける人。
「○○見ませんでしたか!」
「家族が……」
「昨日から連絡が……」
その声は、誰に向けたものでもなかった。
ただ、どこかに届いてほしいという願いだけだった。
*
避難所の壁に、大きな紙が貼られた。
避難者名簿。
そこに名前を書いていく。
無事な人。
ここにいる人。
生きていると確認できた人。
白田栄子先生が、小百合のそばに立った。
「田中さん、行こう」
小百合はゆっくりと立ち上がった。
足が重い。
一歩ごとに、何かを踏みしめているような感覚だった。
名簿の前に立つ。
たくさんの名前。
知らない名前。
見慣れた名前。
探す。
父の名前。
母の名前。
兄の名前。
田中勝。
田中美紀。
田中悠斗。
指でなぞる。
何度も、何度も、最初から見直す。
でも――
どこにもない。
小百合の手が止まった。
「……ない」
かすれた声だった。
美波が隣で息をのんだ。
「もう一回見よう……」
小百合は首を横に振った。
それ以上、見られなかった。
見続けることが怖かった。
*
避難所には、次々と新しい情報が入ってきた。
ラジオから流れる声。
「四国内の鉄道は広範囲で運休。線路のゆがみ、橋梁の損傷、土砂崩れにより復旧の見通しは立っていません」
「高速道路でも路面の崩落、法面崩壊、トンネル内の落石・崩落が確認されており、通行止めが続いています」
「東海道・山陽・九州新幹線は、安全確認と復旧作業に長期間を要する見込みです」
「在来線も各地で寸断され、一部区間を除いて運行停止となっています」
誰かが小さくつぶやいた。
「もう……どこにも行けんがや……」
太平洋側の地域は、ほとんど機能を失っていた。
道路が壊れ、鉄道が止まり、物資が届かない。
ガソリンも、食料も、水も。
今あるものだけで、なんとかするしかなかった。
*
昼頃。
避難所の入り口付近がざわついた。
新しく避難してきた人たちが運び込まれてきた。
泥だらけの服。
疲れ切った顔。
ぼんやりとした目。
その中に、小百合は知っている顔を見つけた。
「……あ」
大翔の父親だった。
大翔が駆け寄る。
「お父さん!」
父親は大翔を見て、崩れるように膝をついた。
「無事やったか……」
「お母さんは!?」
その問いに、父親は答えなかった。
ただ、抱きしめた。
その様子を見て、小百合の胸が締めつけられた。
答えがないことが、答えになってしまう瞬間。
それを、小百合は見てしまった。
*
午後、小百合たちは一度、避難所の外に出ることを許された。
ただし、近くまで。
先生が必ずついてくる。
「遠くへは行かないこと」
「危ない場所には近づかないこと」
白田先生の声は、相変わらず強かった。
外に出ると、空は晴れていた。
あまりにも普通の空だった。
それが逆に、現実を遠ざけているように感じた。
少し歩くと、小百合は足を止めた。
「……ここ」
見覚えのある道だった。
いや、道だった場所。
今は、瓦礫と泥で覆われていた。
電柱は倒れ、車は横倒しになり、どこが道でどこが庭なのかもわからない。
「小百合ちゃん……」
美波が小さく呼ぶ。
「ここ、うち……通ってた道や」
学校へ行くとき。
美波と帰るとき。
隆と走ったとき。
タイガースの話をしながら笑ったとき。
何度も通った道。
それが、もう道ではなかった。
小百合は一歩踏み出そうとした。
でも、足が止まった。
進めない。
どこへ行けばいいのか、わからなかった。
「帰りたい……」
その言葉は、誰にも届かなかった。
*
避難所へ戻ると、物資の配給が始まっていた。
少量の水。
乾パン。
わずかな保存食。
「一人ずつ、順番に!」
大人たちが列を作る。
子どもたちも並ぶ。
小百合は、ぼんやりとそれを見ていた。
美波が言った。
「小百合ちゃん、並ぼう」
小百合はゆっくりとうなずいた。
並びながら、小百合は思った。
昨日まで、家にはご飯があった。
母が作ってくれたご飯。
兄と取り合ったおかず。
父が静かに食べていた味噌汁。
当たり前だった。
それが、今はもうない。
*
夜。
避難所の中は、さらに冷え込んだ。
毛布にくるまっても、寒さは消えなかった。
余震は続く。
誰かのすすり泣きも続く。
名前を呼ぶ声も続く。
小百合は目を閉じた。
浮かぶのは、朝の食卓。
父の声。
母の笑顔。
兄のからかい。
「行ってきます」
「気ぃつけて行きよ」
あの時は、また帰ってくると思っていた。
帰れると思っていた。
でも今は、その道がもうない。
家へ帰る道。
家族のもとへ帰る道。
そのすべてが、消えてしまった。
小百合の中で、何かが静かに崩れていった。
音もなく。
ゆっくりと。
でも、確実に。
次回予告
第14話「消えた家」
避難所での日々が続く中、ついに小百合は、自分の家があった場所へ近づく。
そこにあったはずの家。
家族四人で過ごした場所。
笑い声と、夕ごはんの匂いと、タイガースの歓声があった場所。
しかし――
そこには、何も残っていなかった。
次回、
第14話「消えた家」
帰る場所が、完全に消える瞬間。




