表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海の声が聞こえなくても・土讃線が止まった秋  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/29

津波警報

 第12話

 津波警報


 避難所の朝は、朝とは呼べないものだった。


 明るくなっても、誰も安心しなかった。


 体育館のような広い建物の中に、人々が身を寄せ合っていた。毛布にくるまる人、泣き続ける人、壁にもたれて動かない人、誰かの名前を呼び続ける人。


 水は足りない。

 食べ物も足りない。

 電気は来ない。

 トイレの前には長い列ができていた。


 子どもたちは、もう泣く力も少なくなっていた。


 小百合は、美波の隣に座っていた。


 手には、母が作ってくれた弁当箱。


 まだ開けられない。


 開けたら、昨日の朝に戻れなくなる気がした。


 *


 避難所の隅で、誰かが持ち込んだ小さなテレビがついた。


 発電機につながれた画面には、途切れ途切れの映像が映っていた。


 アナウンサーの声は震えていた。


「南海トラフ巨大地震による被害は、時間の経過とともにさらに拡大しています。現在確認されている死者は全国で五百八十六人、行方不明者は千人を超えています」


 避難所が静まり返った。


「高知市桂浜周辺では、壊滅的な津波被害が確認されています」


 桂浜。


 その言葉に、小百合の体がびくっと震えた。


 画面が切り替わった。


 そこに映っていたのは、港近くの水産加工会社があった場所だった。


 小百合の父が働いていた場所。

 母が笑っていた場所。

 兄が作業着姿で箱を運んでいた場所。

 小百合が、いつか自分も働きたいと夢見ていた場所。


 そこには、もう建物の形がなかった。


 柱は折れ、壁は剥がれ、屋根はどこかへ消えていた。鉄骨が曲がり、瓦礫と泥と壊れた機械が、ぐちゃぐちゃに重なっていた。


 小百合は画面を見つめた。


 息をするのを忘れた。


 声が出なかった。


「……あそこ……」


 美波が泣きそうな声でつぶやいた。


 小百合はうなずくこともできなかった。


 *


 ニュースは、さらに被害を伝え続けた。


 各地で列車が脱線していた。


 新幹線は緊急停止しようとしたが止まりきれず、対向列車の側面に衝突し、大破していた。


 太平洋岸を走っていた列車は、津波の直撃を受けて横倒しになっていた。


 津波に流された車から漏れたガソリンに火がつき、火災が発生していた。強風にあおられ、炎は海岸線に沿って広がっていく。


 まるで、巨大な爆弾が上空で炸裂したかのようだった。


 赤い炎。


 黒い煙。


 泥に沈んだ町。


 折れた橋。


 流された車。


 屋根の上に乗り上げた船。


 映像の中の日本は、小百合が知っている日本ではなかった。


 誰かが避難所で泣き崩れた。


「うちの町や……」


 別の誰かが叫んだ。


「家族がまだおるがや!」


 白田栄子先生が、子どもたちの前に立った。


「見たくない子は、見なくていいです。無理に見ないで」


 でも、小百合は目をそらせなかった。


 見たくない。


 でも見なければいけない気がした。


 あそこに、父がいた。


 母がいた。


 兄がいた。


 *


「お父さん……」


 小百合の唇が動いた。


 でも、声はほとんど出なかった。


「お母さん……」


 次の言葉は、喉の奥で止まった。


 兄ちゃん。


 そう呼ぼうとした。


 けれど、その声は出てこなかった。


 昨日まで、町じゅうを明るくしていた小百合の声。


 タイガースが点を取れば家を甲子園に変えた声。


 運動会で校庭に響いた声。


 美波と笑い、隆に怒り、兄にからかわれて言い返していた声。


 その声が、消えていく。


 美波が小百合の手を握った。


「小百合ちゃん……」


 小百合は何も答えなかった。


 ただ、弁当箱を抱きしめた。


 *


 津波警報は、まだ解除されなかった。


 余震も続いていた。


 外に出ることは許されず、情報は断片的にしか入ってこない。


 避難所には、次々と人が運ばれてきた。


 泥だらけの人。


 靴を片方なくした人。


 毛布にくるまれた高齢者。


 名前を書いた紙を握りしめ、家族を探す人。


「田中勝さん、田中美紀さん、田中悠斗さんを知りませんか」


 白田先生が、避難者の名簿を確認してくれていた。


 けれど、返ってくる答えは同じだった。


「まだ確認できません」


「情報がありません」


「わかりません」


 わからない。


 その言葉が、小百合の胸に何度も刺さった。


 わからないなら、生きているかもしれない。


 でも、わからないから、どこにもいないのかもしれない。


 希望と絶望が、同じ形をしていた。


 *


 昼になっても、小百合は弁当を開けなかった。


 白田先生がそっと隣に座った。


「田中さん。少しでも食べよう」


 小百合は首を横に振った。


「食べんと、体がもたん」


 小百合は弁当箱を抱いたまま、かすかに唇を動かした。


「……お母さんの」


「うん」


「誕生日の……」


 白田先生は言葉を詰まらせた。


 小百合の弁当箱には、母のメモが貼られていた。


『小百合、9歳おめでとう。いっぱい食べて、いっぱい笑いなさい』


 いっぱい笑いなさい。


 その文字が、あまりにも残酷だった。


 小百合は笑えなかった。


 食べられなかった。


 声も、出なかった。


 *


 避難所の外では、まだ防災無線が鳴っていた。


「津波警報が継続しています。海岸や河川には絶対に近づかないでください」


 海岸。


 河川。


 近づかないでください。


 小百合はぼんやりとその声を聞いていた。


 海は、遊び場だった。


 夢を見る場所だった。


 美波と秘密基地を作った場所だった。


 隆と走った場所だった。


 父と母と兄が働く場所へ続く、家族のような存在だった。


 その海が、すべてを奪った。


 小百合の中で、何かが音もなく崩れていった。


 *


 夕方。


 小百合は避難所の壁にもたれたまま、動かなかった。


 美波が隣にいて、何度も声をかけた。


「小百合ちゃん」


 返事はない。


「水、少し飲もう」


 返事はない。


「手、冷たいよ」


 小百合はただ、遠くを見ていた。


 白田先生が毛布をかけた。


 小百合は抵抗しなかった。


 泣きもしなかった。


 叫びもしなかった。


 ただ、声が消えていた。


 知りたくない現実が、少しずつ形になっていく。


 水産加工会社の映像。


 増えていく死者の数。


 行方不明者の数。


 倒れた列車。


 燃える海岸線。


 そして、どこにも見つからない父と母と兄。


 小百合は、そのすべてを見てしまった。


 九歳になったばかりの心には、大きすぎる現実だった。


 次回予告

 第13話「帰れない道」


 津波警報が続く中、避難所には少しずつ被災者が集まってくる。


 泥にまみれた人々。

 家族を探す声。

 貼り出される避難者名簿。


 小百合は、父と母と兄の名前を探す。


 けれど、どこにもない。


 そして、見えてくる。


 帰りたい場所へ続く道が、もう道ではなくなっていることを。


 次回、

 第13話「帰れない道」


 家に帰る、という当たり前が消えていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ