シーン1 「向こう側」
闇が開く。
地下観測室中央。
巨大観測盤の奥。
そこには、
空間と呼べるものが存在していなかった。
上下もない。
距離もない。
現実法則そのものが、
成立していない。
ただ。
“向こう側”がある。
その瞬間。
最初に見えたのは、
光だった。
無数。
あまりにも無数。
星空みたいに、
暗黒の中へ散らばっている。
だが。
違う。
レオノーラは、
本能で理解した。
あれは星ではない。
全部。
“視線”だ。
ぞわり、と。
背筋が粟立つ。
光一つ一つが、
こちらを見ている。
興味。
期待。
好奇心。
歓喜。
失望。
感情だけが、
生々しく流れ込んでくる。
まるで、
巨大な感情の海。
観測室の床が、
軋む。
ミレイユが、
苦しそうに胸を押さえた。
「う……っ」
感情密度が高すぎる。
誰かが笑っている。
誰かが泣いている。
誰かが怒っている。
誰かが熱狂している。
そして。
誰かが、
飽きている。
感情。
感情。
感情。
無数。
洪水みたいに、
情報が押し寄せる。
人間一人分の精神では、
本来処理できない。
ベアトリクスの術式盤が、
限界を超えて明滅する。
解析式が、
高速展開。
観測層構造、
強制表示。
そこで。
ついに、
決定的な事実が映し出された。
観測者たちは、
神ではない。
超越存在でもない。
世界創造主ですらない。
ただ。
“見ている側”。
それだけだった。
セシルの顔色が、
はっきり変わる。
「……これ」
掠れた声。
彼は、
向こう側を睨みながら呟いた。
「ただの観客じゃねぇか」
沈黙。
だが。
その言葉が、
一番正しかった。
向こう側には、
絶対意思など存在しない。
あるのは、
感情反応だけ。
「面白い」
「悲しい」
「続きが気になる」
「推したい」
「泣ける」
そんな。
あまりにも人間的な感情。
それが、
無数に渦巻いている。
レオノーラは、
静かに息を呑む。
怖かった。
神なら、
まだ良かった。
超越存在なら、
まだ理解できた。
だが違う。
向こう側にいたのは。
自分たちと、
あまり変わらない存在だった。
ただ。
“他人の人生を消費する側”。
それだけ。
ベアトリクスが、
震える指で解析結果を拡大する。
「観測出力源、
特定しました……」
声が掠れていた。
「世界を維持してるの、
信仰でも神意でもありません」
一拍。
彼女は、
吐き出すように言う。
「視聴熱量です」
最悪だった。
感動。
熱狂。
悲鳴。
期待。
それらの総量が、
世界そのものを動かしている。
つまり。
この世界は。
“盛り上がる”ほど、
強化される。
人間の人生は、
エネルギー源。
感情コンテンツ。
消費対象。
ミレイユが、
震えながら呟く。
「そんな……」
「じゃあ、
わたしたち……」
誰も答えられない。
向こう側では、
まだ感情が流れ続けている。
歓声。
失望。
期待。
飽き。
好奇心。
そのどれもが、
恐ろしく“普通”だった。
だからこそ、
救いがない。
観測者とは。
神ではない。
悪魔でもない。
人間の人生を、
物語として見ることに慣れきった。
感情消費社会の、
極致だった。




