魔物を救うための場所だと聞いていたのに、そこには魔物の群れが暮らしていました
三本の黒い杭を停止させた翌朝、俺達はルーヴェルへ戻らず、そのまま第七地点を目指すことになった。
本来なら三日後に設置される予定だったらしいが、前日の杭が勝手に起動した以上、その予定を信用する理由はもうない。バルド自身も同じ考えらしく、夜明け前から地図を広げ、何度も道順を確認していた。
「三日後って言ってたよな」
俺が尋ねると、バルドは地図から目を離さずに答えた。
「ああ。ただ、あの三本を誰かが予定より早く起動できたなら、第七地点の予定を守る保証はない」
「だったら、もう杭が置かれてる可能性もあるな」
「ある。だから急ぐ」
その答えに嘘は感じなかったが、だからといって信用したわけでもない。
リリアも同じらしく、少し前を歩くバルドと若い男から一定の距離を保ちながら、いつでも剣へ手を伸ばせる位置を崩していなかった。灰耳は俺達の少し前を歩き、蒼雷鷲は上空を大きく旋回している。
「ところで」
ミミナが横を歩きながら、若い男へ視線を向けた。
「そっちの人は名前ないの?」
「ありますよ」
「なんで教えてくれないの?」
「聞かれなかったので」
「バルドさんは急に名乗ったもんね」
「バルドさんは変なところで律儀なんです」
「おい」
前を歩いていたバルドが振り返る。
若い男は少しだけ笑い、改めて俺達を見る。
「レインです」
「よろしくって言っていいのかな?」
俺が言うと、レインも困ったような顔をした。
「俺も迷ってます」
「じゃあ、とりあえず今日はよろしくでいいんじゃない?」
ミミナが軽くまとめる。
「明日は?」
「明日は明日考える!」
「ずいぶん雑だな」
バルドが呆れたように言ったが、今の俺達にはそれくらいがちょうどいい気もした。
敵だった相手と一晩で仲間になれるほど単純ではないが、昨日一緒に《夜棘》を止めた事実まで無かったことにする必要もない。信用できるかどうかは、これから何をするのかを見て決めればいい。
◇
第七地点は、ルーヴェルから北東へさらに一日近く進んだ山間部にあるらしい。
人間が使う街道から外れ、午後になる頃には周囲から建物も畑も完全に消えていた。代わりに古い森が広がり、左右の山の間を縫うように一本の広い谷が続いている。
「ここが魔物の移動路?」
俺が尋ねると、バルドが頷いた。
「正確には、第七地点はもう少し先だ。複数の谷が一つに合流する場所がある」
「そこに杭を置くの?」
「ああ」
バルドの返事に、リリアの表情が険しくなる。
「なぜその場所なのですか」
「地下の魔力脈が太いからだと聞いている。杭を使って魔力を地上へ戻すなら、効率がいい場所らしい」
「本当にそれだけなのか?」
俺が問い直すと、バルドがこちらを見た。
「何が言いたい」
「昨日、第七地点に杭を置いたら数百以上の魔物が動くかもしれないって言っただろ。それを分かってて置く予定だったんだろ?」
しばらく返事がなかった。
やがてバルドは足を止め、谷の先を見ながら口を開いた。
「俺達が聞かされていた話では、あそこは恒常的な住処じゃない」
「どういう意味?」
「季節によって魔物が通ることはあるが、普段は空白地帯に近いと説明されていた。だから魔力を戻せば、周辺で住処を失った魔物が新しい生活圏として使えるようになる、と」
俺は少し考える。
「つまり、誰もいない土地を魔物が住める場所に戻すために杭を置くつもりだったってことか?」
「そうだ」
「それなら、なんで数百匹も動くって話になるの?」
バルドの顔が少し曇った。
「昨日までは、杭の影響で周辺の魔物が新しい魔力環境へ集まってくるからだと思っていた」
「昨日までは?」
「ああ、そうだ。ただ……今は分からなくなった」
その答えに、ノアが反応した。
「前日の強制起動を見たからですか」
「ああ。俺達が教えられていた制御範囲を完全に超えていた」
バルドは歩きながら続ける。
「本来の計画なら、《夜棘》があれほど急激に増えることも、魔物が一斉に逃げ出すほど魔力環境が変わることもないと聞いていた。実際には何度も起きていたが、それでも俺は『調整途中だから仕方がない』という説明を信じていた」
「ずっと?」
「……信じたかったんだろうな」
昨日までより、声に迷いが混じっている。
「住処を奪われた魔物を何度も見た。鉱山が広がって巣を失った奴も、森を切られて人里へ出て討伐された奴も見た。それを変えられると言われた時、俺にやらない理由は無かった」
俺は何も言わなかった。
バルドの考えを肯定するつもりはない。
でも、否定する気にもなれなかった。
ルーヴェルで俺達自身が、人間が鉱殻獣の住処を知らないまま掘ろうとしていたのを見ているからだ。
「だからこそ」
バルドが低く続ける。
「第七地点を自分の目で確認したい」
◇
夕方近くになり、谷はさらに広くなった。
左右から別の獣道が何本も合流し、地面には大小さまざまな足跡が増えていく。
「かなり通ってますね」
リリアがしゃがみ込み、土の跡を確認する。
「新しいものもあります。少なくとも、今この周辺に魔物がいないとは思えません」
バルドが立ち止まった。
「そんなはずはない」
「でも足跡あるよ」
ミミナが指差す。
ホーンラビットらしい小さな跡だけではなく、鹿型の蹄、狼型の肉球、さらに大型魔物らしい深い足跡まで残っている。
「季節的な移動じゃないのか?」
俺が尋ねると、バルドは首を横に振った。
「聞いていた時期と違う」
「情報が違ったんじゃないのか?」
「そんなはずはない」
バルドは少し焦った様子だ。
誰かが嘘をついたと決めるのはまだ早い。
もしかしたら、少し前までは本当に魔物が少なかった可能性もあるし、ここ最近で環境が変化したのかもしれない。
だが、もう少し進んだところで、その可能性は急に低くなった。
「これ……」
ミミナが声を落とす。
木の根元に、小さな巣があった。
枯れ草を集めて作られた簡単なものだが、中には白い殻の破片が残っている。その周囲には、同じような巣がいくつも続いていた。
「一時的に通ったんじゃないよね」
「ええ」
ノアがしゃがみ込み、直接触れずに確認する。
「繁殖場所として使われています。住んでいるとみて間違いないです」
バルドの顔色が変わった。
「知らなかった」
「本当に?」
リリアの声にはまだ警戒がある。
「ああ」
バルドは巣を見つめたまま答える。
「こんな情報は、一度も聞いていない」
レインも落ち着かない様子で周囲を見る。
「でも、調査班の資料には『定住個体なし』って……」
「資料があるのか?」
俺が聞く。
「本物を直接見たわけじゃないです。俺達には要点だけ渡されるんです」
「誰から?」
レインがバルドを見る。
バルドは少し迷ったあと、答えた。
「仲介役だ」
「会ったことは?」
「ある。ただし相手の事はよく知らない」
小さいが有力な情報ではある。
ただ、今は目の前の土地を確認する方が先だった。
◇
日が山の向こうへ傾き始めた頃、灰耳が突然走り出した。
「灰耳?」
俺達も後を追う。
林を抜けると、谷の中心部が一気に開けた。
そこには小さな川が流れ、両岸に広い草地が続いていた。水辺ではホーンラビットが草を食べ、少し離れた場所では鹿型の魔物が群れを作っている。森の端には数頭のフォレストウルフまで見えた。
戦ってはいない。
種類の違う魔物達が、互いに距離を保ちながら同じ水場を使っている。
「空白地帯……?」
ミミナが呟く。
どう見ても違う。
ここは通り道ですらない。
生活している。
子供の魔物もいる。
傷ついた個体を群れの中央へ置いている種族もいる。
そして、もっと先。
川の向こう側に、小さな白い影が見えた。
「白角鹿……」
ルーヴェルへ魔物の群れを導いた、あの白い角を持つ鹿型魔物だった。
白角鹿もこちらに気づいたらしく、ゆっくりと顔を上げる。
胸の奥で《縁》が温かく震えた。
偶然、移動してきた一頭ではない。
周囲には同じ種類の鹿が何頭もおり、その中には小さな子供までいる。
「ここが……住処なんだ」
俺が言うと、バルドは絶望しているようだった。
顔から血の気が引いている。
「バルド」
「違う」
「何がだ?」
「俺達が聞いていた話と違う」
彼は何度も首を横に振った。
「ここは魔物が住んでいない。杭を使えば、追われた魔物が戻れる場所になると聞かされていた」
「でも実際は」
「……もういるじゃないか」
バルドの声が掠れた。
その時、白角鹿が突然川の上流へ顔を向けた。
灰耳も同時に唸る。
蒼雷鷲が上空から鋭い声を上げた。
「何?」
リリアが即座に剣へ手をかける。
俺も上流を見る。
最初は何も見えなかったが、少しして木々の間から細い煙が上がっているのに気づいた。
「誰かいる」
俺達は距離を取りながら川沿いを進んだ。
やがて見えてきたのは、一台の荷車だった。
人はいない。
馬もいない。
ただ、荷台には黒い布をかけられた長い箱がいくつも積まれている。
バルドが走った。
「待って!」
リリアも追う。
荷車の前まで来たバルドは、黒い布を掴んで一気に外した。
下に並んでいたのは。
黒い杭だった。
三本でも五本でもない。
箱ごとに何本も収められている。
「……何本あるの?」
ミミナが息を呑む。
バルドはすぐに数え始めたが、途中で手を止めた。
「二十……いや、それ以上だ」
「二十本?」
俺は思わず聞き返した。
「第七地点って、一本置く場所じゃないの?」
「俺達が受けていた指示では三本だ」
バルドが箱を睨む。
「こんな数は知らない」
ノアが荷車の周囲を確認する。
「運び込まれたばかりのようです。車輪跡も新しいですね」
「じゃあ人は?」
リリアが周囲を見る。
「まだ近くにいる可能性があります」
その瞬間。
荷車の奥から、短い金属音がした。
バルドの表情が凍る。
「離れろ!」
「え?」
「杭に触るな、全員離れろ!」
俺達が後退する。
箱の中の一番上に置かれていた黒い杭に、紫色の細い線が灯った。
すると、すぐにその隣もさらにその次も、まるで順番に目を覚ますように、箱の中の杭へ光が広がっていく。
バルドはそれを見つめたまま、唇を噛んだ。
「三日後じゃなかったのかよ……」
返事をする者はいない。
俺は背後を振り返った。
川辺には、何も知らない魔物達が暮らしている。
白角鹿の群れ。
フォレストウルフ。
ホーンラビット。
数え切れないほどの命がいる。
ここへ魔力を戻して、新しい住処を作る。
それがバルド達に説明されていた計画だった。
でも、ここにはすでに住処がある。
そして、その中心で二十本以上の黒い杭を起動すれば何が起きるのかは想像がつく。
少なくとも、魔物を救うための計画ではない。
俺は光り始めた黒い杭を見ながら一つだけ確信した。
誰かがバルド達を罠にはめたのだと。
――第六十四話 終
最後までお読みいただきありがとうございます!
第七地点へ向かったユウト達。
バルド達が聞かされていたのは、
「普段は魔物がほとんど暮らしていない土地」
という情報でした。
ところが実際に辿り着いた場所には、
白角鹿をはじめ、多くの魔物が生活し、
子供まで育てていました。
そして見つかった荷車。
積まれていた黒い杭は、
予定されていた三本ではなく二十本以上。
さらに、
本来の予定より早く起動を始めます。
バルド達も知らなかった数の黒い杭。
間違った土地の情報。
勝手に変更される起動時刻。
黒い杭を置く実行者達もまた、
何者かに利用されている可能性が
はっきり見え始めました。
そして目の前には、
すでにここを住処としている多くの魔物達がいます。
第65話へ続きます!
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